【キャプション】京博 「刀剣を楽しむ」キャプション抜き書き【乱舞】

京都国立博物館で開催中の特別展示「刀剣を楽しむ」のキャプションをまとめました。 走り書きを解読したので、誤字脱字あるかもしれません。ご寛恕ください。 詳細なキャプションは随時追加していきます(・∀・) *12月25日追加しました。 *骨喰藤四郎、義元左文字のキャプションはなく、音声ガイドのみです。有料サービスになりますので、全文掲載は展示終了後にいたします。
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平 資盛 @sukemori_t

現在に至っている。 現在、前回の研磨から百年の時を経たためか横手下から物打ち下にかけて映のような黒い影が浮き上がっている。 この肩の張った大振りのこぶのような影こそが吉行の得意とした拳形丁字であり、本品本来の刃文の残滓である。 京都・三品派の流れをくむ→ #京博キャプション

2015-12-27 23:45:44
平 資盛 @sukemori_t

大和守吉道に師事した吉行は、師の得意とした拳形丁字に殊の外長けており、その作例も多い。 龍馬が兄に当てた手紙の中にあるように、彼の吉行は京都の人々に「丁字乱の名人粟田口一竿子忠綱のようだ」と評された。 華やかな出来であったのは間違いなく、→ #京博キャプション

2015-12-27 23:48:18
平 資盛 @sukemori_t

この刃文をいかに保存・修復するかが今後の課題となるだろう。 以上。 音声ガイド(607,608)一部 ・坂本家家宝だった吉行は本来末っ子の龍馬に与えられるものではなかった。 ・「国難に臨む際は家宝の武具をもって、死にゆく時もその刀をそばに置きたいと」と綴る #京博キャプション

2015-12-27 23:51:47
平 資盛 @sukemori_t

・陸奥守吉行は陸奥国森村藩(現在の福島県相馬市)に住む一族の出身。 ・父や兄とともに上方に。 ・生まれ故郷である陸奥国の受領名を許される ・晩年兄とともに土佐藩に招かれ、四国を代表する刀鍛冶となった。

2015-12-27 23:54:44
平 資盛 @sukemori_t

刀 銘粟田口近江守忠綱 刀 銘長曽祢虎徹入道興里 刀 銘長曽祢虎徹入道興里(重文) 音(609/エンディング) エンディングの番号は長曾祢虎徹の展示の後、「コ」の時の書き出しの部分で、見逃しやすい位置にありますからご注意。

2015-12-19 09:53:02
平 資盛 @sukemori_t

【13】「刀 銘粟田口近江守忠綱」(江戸時代 17世紀) *浅田幸一コレクション (音声ガイド 323) 京都きっての片山伯耆流の達人 浅田八段が自らの差料としていた大小のうちの太刀。 作者の粟田口一竿子忠綱は世に万丈夫と呼ばれた名工であるが、→ #京博キャプション

2015-12-27 23:59:50
平 資盛 @sukemori_t

その技術系統は判然としない。 父の代から「粟田口住人」を名乗っている点と「粟田口国綱末葉 浅井氏作之」と記した作品が残ることから、山城や近江に縁がある浅井氏の流れをくむと喧伝していたことは確実である。 作風は本品のような足の長い丁字乱れに焼き頭を横に貫く→ #京博キャプション

2015-12-28 00:01:57
平 資盛 @sukemori_t

長い砂流しがかかるものと助広風の濤瀾刃(とうらんば)を焼くものの二通りがある。 また忠綱の名を一気に高めたのが天明二年(1784)に江戸城内で起きた若年寄田沼意知の襲撃事件である。 番士 佐野政言が忠綱の大脇差で意知を惨殺したこの事件は、→ #京博キャプション

2015-12-28 00:07:17
平 資盛 @sukemori_t

巷間での田沼意次親子の人気の低さも相まって佐野のことを「世直し大明神」と賞賛する声まで上がった。 坂本龍馬の愛刀陸奥守吉行に対し、京都の刀剣家が「みな粟田口忠綱くらいの目利き」としたのは、作品としての類似性や作行よりも「忠綱に似た刀を持つあなたこそが→」 #京博キャプション

2015-12-28 00:11:02
平 資盛 @sukemori_t

「世直しの人なのですよ」との隠喩を込めた京都人ならではの褒め言葉だったのだろう。 以上。 《音声ガイド 323》一部 ・天下泰平の世にあって大胆不敵にも粟田口の末裔を名乗った ・のちに「一竿子」と号し摂津国に住んだ ・打ち寄せる波を思わせる「濤瀾刃」 ・上方文化の体現者

2015-12-28 00:14:56
平 資盛 @sukemori_t

【14】「刀 銘長曽祢虎徹入道興里」 甲冑鍛冶出身の興里は、いつ、どこで、だれから刀鍛冶の技術を学んだのであろうか。 この疑問に対して江戸時代から様々な説が唱えられており、多くは興里の出身地である越前の刀鍛冶、肥後大掾貞国や山城守国清、越前康継を→ #京博キャプション

2015-12-28 00:19:34
平 資盛 @sukemori_t

彼の師として挙げている。 しかしながら作風の上からこれら諸鍛冶の直接的な関係性を見出し難く、現在最も有力視されているのは江戸の鍛冶 和泉守兼重及びその弟子重清(播磨大掾清光)を師とする説である。 これは興里の最初期の作品に片削ぎ形の茎が存在していることから→ #京博キャプション

2015-12-28 00:22:31
平 資盛 @sukemori_t

同じ形の茎仕立てを行う重清が直接興里に指導する形で兼重一門の門下となったとする考え方である。 以上。 (音声ガイドはだれもメモってませんでしたm(_ _)m)

2015-12-28 00:27:35
平 資盛 @sukemori_t

【15】「重文 刀 銘長曾禰興里入道乕徹」(江戸時代 17世紀) *永藤一コレクション 新刀期の江戸を代表する名工長曾祢興里、いわゆる虎徹の手による刀。 近江国の出身である長曾根一族は元来甲冑制作を生業としていたが、虎徹は五十才近くになって刀鍛冶を志し、→ #京博キャプション

2015-12-28 00:31:32
平 資盛 @sukemori_t

江戸に上って作刀に専念した。 この刀は虎徹の「虎」の字に異体字の「乕」を用いるようになったハコトラ時代のもので、虎徹の活動時期としては後期の作にあたる。 刀作りの本質である斬味にこだわりぬいた虎徹ならではの強い地鉄が美しく、まさしく虎徹の最高傑作といえる 以上 #京博キャプション

2015-12-28 00:34:16
平 資盛 @sukemori_t

以上が、「コ」の字展示の刀剣です。

2015-12-28 00:40:18
平 資盛 @sukemori_t

太刀 国綱(髭切 鬼切丸) 源氏の重宝「髭切」の太刀。出羽最上家に伝わり江戸時代には「鬼切丸」と号された。 小峰で腰元で大きく反りやや伏さり気味になる古雅な太刀姿。 地鉄はやや黒ずみ細かな地錵がついて、焼山の低い錵出来の小乱刃を焼き、鎬に達する程の錵映りのたつ映が→

2015-12-19 01:06:53
平 資盛 @sukemori_t

山城風の錵映である点は珍しいが、以上の特徴から本品は伯耆鍛冶の手によるものと考えられる。 現状の銘は「国綱」であるがあ、”くにがまえ”の二画目の縦線が後世の手による太い○(自分の字が解読不明)彫でなされており、付属する「鬼切丸伝来記移し」にも本来「安綱」と銘があったものに手を加え

2015-12-19 01:09:44

太い○→太い蹴

平 資盛 @sukemori_t

「国綱」となしたとある。 ↑ ここまでで半分。

2015-12-19 01:10:09
平 資盛 @sukemori_t

(続き) これを受けて、重文指定名称も「太刀 銘安綱(鬼切丸)」とされているが、この安綱銘の○(自分の字が判読不明)多くの疑問が残る。 国宝「太刀 銘安綱(名物童子切)」(トーハク蔵)や国宝「太刀銘安家」(京博蔵)に見られるように「安」の字は小さめで棟よりに次の字を→

2015-12-19 01:17:29

安綱銘の○→安綱銘には

平 資盛 @sukemori_t

大きめに中寄りに刻むのはこの時期の伯耆鍛冶の特徴で、更にその位置は目釘孔の直上である。 本品の銘は全体的なバランスも位置もこれとは異なり、鏨運びは細めで繊細である。 おそらくに「安綱」銘そのものが後世に追刻された、いわば極(きわめ)の銘だったと考えられる。 以上。誤字ご勘弁を

2015-12-19 01:20:41
平 資盛 @sukemori_t

重文太刀 銘■忠(名物膝丸・薄緑) 源氏の重宝「膝丸」の太刀。源氏重代の宝刀として安井門跡に伝わったが門跡廃絶後大覚寺に納められたと付属する「薄緑太刀伝○」にある。 髭切と同じく伏さり気味となる小峰(ただしくは金ヘン)と腰元で反る太刀姿に時代○が感じとれる。→

2015-12-21 16:41:50

「薄緑伝来○」→「薄緑伝来記」

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