即興小説・庭師の庭と猫の庭

即興で書いた話です。
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佐々木匙@やったー @sasasa3396

昔々、あるところに立派なお屋敷と、そのお屋敷の立派な庭がありました。立派な庭には一人の庭師がついていて、広い敷地を全て一人で管理しておりました。庭師は働き者で、主から任された庭の面倒をきちんと見、伸びすぎた枝はすぐに剪定し、花がそれぞれの季節に綺麗に咲くように心がけていました。

2015-12-31 05:43:17
佐々木匙@やったー @sasasa3396

ことに庭師が心を砕いていたのは、迷路のように入り組んだ生垣の手入れと、それから何種にも渡る、色とりどりの薔薇の花の世話でした。彼は毎日の見回りを欠かさず、多くもなく少なくもない水やりを徹底的に続けました。おかげで庭はいつも綺麗に維持され、主も満足そうにしておりました。

2015-12-31 05:46:10
佐々木匙@やったー @sasasa3396

さて、そうやって毎日を淡々とした満足で満たしていた庭師ですが、いつからか、時折考え込むことが多くなりました。なんだか、心に穴が空いているような気がするのです。庭師は仕事をしながら、この穴はなんだろう、とうんと考えました。何がさびしいのか? 答えはやがて見つかりました。

2015-12-31 05:47:47
佐々木匙@やったー @sasasa3396

このお屋敷はとても立派ですが、訪れる人がほとんどいないのです。住んでいるのも、年老いた厳格な主と、二人いる無口な召使いだけ。庭を通る客人など、年に一人あるかないか、というところでした。つまり、と庭師は思いました。自分は、自分の作った庭を誰かに見てもらいたくてたまらないのだな、と。

2015-12-31 05:49:54
佐々木匙@やったー @sasasa3396

そう気付いた途端、庭師は居ても立ってもいられなくなりました。自分が丹精込めて作った、大事な庭を誰かに見てもらいたい。誰かにすごいねって言ってもらいたい。もし何かおかしなところがあるのなら、ここがおかしいよって指摘してもらいたい。そういう思いでいっぱいになったのです。

2015-12-31 05:51:50
佐々木匙@やったー @sasasa3396

慎ましく生きてきた庭師にしては、ずいぶん大それた願いでした。こんなことを考えていいものなのか、とベッドの上で悩んだりもしたものです。でも、その思いはどうしてもおさまりませんでした。それどころか日に日に強くなり、庭仕事をしている時にも、頭のどこかにその思いはいつもありました。

2015-12-31 05:54:26
佐々木匙@やったー @sasasa3396

日が昇り、日が沈み、雨が降り、また止んで、幾つも日が過ぎても、客人は訪れませんでした。庭師は、誰か来ないかな、という気持ちでそわそわしながらも半分諦めて、毎日の仕事をこなしておりました。そんなある日のことです。念願の、しかし予想もしなかった客人が現れたのは。

2015-12-31 05:56:47
佐々木匙@やったー @sasasa3396

その日、庭師はいつものように迷路のようになった生垣を巡り、おかしなところがないか探しておりました。すると、ちりん、と小さな音がします。首を巡らせてみると、赤い鈴のついた首輪をつけた、小さな黒猫がそこにいたのです。庭師はおや、と思いました。どこかの飼い猫でしょうか。

2015-12-31 05:59:03
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「こんにちは」黒猫は口を開いてそう言いました。庭師は少し驚きましたが、「こんにちは」と挨拶を返しました。「僕、ここで迷っちゃったんです。出る道を教えてもらえますか」黒猫は存外礼儀正しくそんなことを言いました。「ああ、ここはややこしいからね。おいで、案内をしてあげよう」

2015-12-31 06:01:59
佐々木匙@やったー @sasasa3396

庭師は生垣を歩き出しました。黒猫がそれに続きます。「ここ、なんでこんなにややこしくなっているのかなあ。僕みたいな小さいものにはとても大変です。誰が作ったのかしら」無邪気な言葉に、庭師は少しがっかりしましたが、それでも念願の客人をいそいそと案内しました。

2015-12-31 06:03:42
佐々木匙@やったー @sasasa3396

やがて生垣を抜け、光の差し込む庭に出ました。ちょうどいい季節で、たくさんの薔薇が陽光にきらめいているようでした。「わあ」と黒猫は感嘆の声を上げます。「すごい庭ですねえ、とても綺麗」庭師はそれを聞き、たいそう満足しました。この言葉を待っていたのです。ずっと。

2015-12-31 06:05:48
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「でも」と黒猫は続けました。「ちょっと花の位置が高すぎるや。僕みたいな小さいものは、首を上に向けるのが大変です」黒猫は、少し残念そうにそう言うのです。「そうかい」庭師も急にしょんぼりした気分になってそう返しました。「ちゃんと計算したんだがなあ」

2015-12-31 06:07:57
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「このお庭は、あなたがつくったのですか」黒猫は、背の高い庭師をうんと見上げてそう尋ねました。庭師はぐんとしゃがんでやって、答えました。「そうだよ」「人間のためのお庭ですね」「ああ、猫が見ることは全く考えていなかったよ」庭師は悲しそうに言います。

2015-12-31 06:09:45
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「僕が人間だったら、とても喜んだと思います」黒猫は首を巡らせて辺りを見渡しました。「僕の方がこのお庭に合ってないだけなの。気にしないでください」「でも、せっかくのお客を喜ばせることができなかったよ」庭師はがっくりと肩を落としました。今までの努力はなんだったんだろう、と。

2015-12-31 06:12:47
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「あっ」突然、黒猫がぴんと耳を動かしました。そして、軽い足取りでどこかへ走っていきます。「おおい、待ってくれ」庭師はそれを追いかけました。やがて一匹と一人は、庭の片隅の四阿の辺りまでやって来ました。特に人がほとんど来ないところです。黒猫は、そこでくるくると歩き回りました。

2015-12-31 06:15:43
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「僕、ここ好きです」「ここが?」庭師は周りを見回します。そこは、綺麗に整えられた庭とは違い、できるだけ自然の草花を残すように作られた場所でした。とはいえ、毎日手入れを行っている、立派な彼の庭です。そこには薔薇ほど大きくはありませんが、可憐な野の花がいくつも咲き乱れておりました。

2015-12-31 06:18:27
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「僕にちょうどいいお庭です。とても素敵。こんないいお庭を作れるなんて、あなたはとてもすごい庭師なんですね」庭師はほんの少しばつの悪い気持ちになりました。表に比べて、ここは手入れの手間がそれほどかからないこともあり、それほど自慢にしていたわけではなかったからです。

2015-12-31 06:20:19
佐々木匙@やったー @sasasa3396

「正直に言うよ。ここよりもさっきの生垣や薔薇園の方が、ずっと自信作だったんだ」「なら、ここにも自信を持ってください。あなたの気がつかないところで、あなたはとても素敵なものを作ってたんです」黒猫は花に顔をうっとりとこすりつけます。「なんていい匂いだろう」

2015-12-31 06:22:47
佐々木匙@やったー @sasasa3396

庭師はぽかんとして、その様子を見ていました。それから、だんだんとむず痒いような顔になり、そして、顔をほころばせました。「そうか、そんなに好きになってくれたのか」ふう、と息を吐きます。「ありがとう」黒猫は花と踊るようにじゃれていました。疲れるまでずっと。

2015-12-31 06:24:47
佐々木匙@やったー @sasasa3396

黒猫は、しばらくして家へと帰っていきました。庭師はいつものように仕事を終え、くたくたになってベッドに入ります。そして、今日の出来事をぼんやりと反芻しました。思いがけない客人と、その思いがけない言葉について。人間と猫について。生垣と薔薇と野の花について。

2015-12-31 06:27:23
佐々木匙@やったー @sasasa3396

彼は、どんなに頑張って作ったものでも、人に喜んでもらえるわけではない、ということを学びました。そして、取るに足らないと思っていたものがかえって喜ばれるようなこともあるのだと。少し自信をなくしたところも、逆に自信が出たところもあります。黒猫は両方の気持ちをくれました。

2015-12-31 06:29:28
佐々木匙@やったー @sasasa3396

賢明な庭師は気づいていました。黒猫に言われたからといって、全てを変える必要はないのだと。彼の全てが否定されたわけではないのですから。でも、やれることはある。庭師は起き上がり、古い手帳を繰りました。黄ばんだ紙には、いくつもの種類の草花について記されておりました。

2015-12-31 06:32:18
佐々木匙@やったー @sasasa3396

あくる日、庭師はほんの少しだけ庭を変える作業に入りました。生垣の中に花を何種類か植え、通る道をわかりやすく飾ったのです。人間の目の高さと、猫の目の高さと両方に。季節が変わっても大丈夫なように、いくつかの花を用意しました。これで迷うことはないはずです。

2015-12-31 06:34:45
佐々木匙@やったー @sasasa3396

それから薔薇園では、低く這うように咲く蔓薔薇を植えました。まだ花は咲きませんが、いずれ綺麗に庭を彩ってくれるでしょう。庭師は、くたくたに疲れながらも大変満足でした。また黒猫にこの庭を見せてやれる日が、早く来ればいいのに、と思いました。

2015-12-31 06:37:46
佐々木匙@やったー @sasasa3396

ある日のことです。庭の草をいじっていた庭師の耳に、ふいに、ちりん、というかわいらしい音が響きました。庭師は笑顔になり、振り向きます。ほんの少し新しくなった、自慢の庭を案内するために。

2015-12-31 06:41:07