《胎界主第一部 再読感想まとめ》 26-4 無責任飛行 本戦〈8〉
- lovethemlover
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p27 この少年は予選から気絶しっぱなしだったのか・・・まぁ、選抜じたいは半日もかかってないからなくもないか #264無責任飛行8
2015-10-24 23:40:07p27 部族の少年「(あれ…?首輪がない、首に爆弾つけてるなんでゾクゾクしちゃったのに…)」 #唐突な嘘八百 #264無責任飛行8
2015-10-04 10:32:16#264無責任飛行8 「ダメな大人たちから世界の宝へ 最後の親切だ 貰ってやってくれ」 「なんや二郎ちゃん また心配して来てくれたんけ」
2015-09-27 19:08:09「ダメな大人たちから世界の宝へ 最後の親切だ 貰ってやってくれ」 信じてもいない価値の為に殺し、殺し、殺し殺し殺しそして死んだ、ただの「ダメな大人たち」。 そして無我の「最後の親切」。 #264無責任飛行8
2015-10-04 10:36:09p28 「ダメな大人たちから世界の宝へ」 亜州では円が機軸通貨になっているのでロシア系の人たちが円をもっていても問題が無いのである! #264無責任飛行8
2015-10-24 23:44:57p29 ここではリョースのことをアイツ呼びするアスちん。リョースはロックヘイムの管理者としてそれ相応の扱いをされてるんだけど、人徳自体はないのがわかる。 #264無責任飛行8
2015-10-24 23:51:31p29「気にしなくていいよ 子供にはそんな責任ないんだからな」 たといその「子供」の感じる「責任」が、それを全うする「覚悟」が本物であったとしても、 そんなものは踏み躙ってやる。 無我は「子供」に優しく、子供の心がわからない。 #264無責任飛行8
2015-10-04 10:41:53無我はその発生からして、両親の記憶を持たない。産みの親であろうと育ての親であろうと。 それは最初の地震、その崩落のトラウマ(語りえぬ精神的外傷)としてのみ持ち、彼が認識する「育ての親」は、ただの人の記憶の映像のようなものとして、ただただそこにある。 #264無責任飛行8
2015-10-04 10:44:34無我は更に、幼年期の記憶も持たない。第二部で仮象的に描かれた「凡蔵稀男 享年 七歳」は、その断絶を示す。 それ以降、地震以降の地点からの幼年期の想起は「その時 喜怒哀楽していた或る子供」のPOV、一人称映像記録でしかない。 #264無責任飛行8
2015-10-04 10:51:01その2つを組み合わせると、無我の「子供への優しさ」の正体がぼんやり視えてくる。無我は、両親の自分への対応「取り替えられた子供への行い/仕打ち」を「実感として」は知らないのだ。 「子供であった時、優しくされた記憶がないのに、子供に優しくできるのは何故か」。 #264無責任飛行8
2015-10-04 10:57:45無我はゼロから再構成された。「幼年期と育ての親」の顛末を葬り去る為にそうされたのだから、「素材」としてのそれは当然に精神的外傷のクレバスに投げ込まれている。 では「素材」なしでどうして親子を語りうるのか。子供への優しさを行いうるのか。 #264無責任飛行8
2015-10-04 11:00:02「ママだからさ」「子供にはそんな責任ないんだからな」 無我の親子観は、本などから拾い上げた「フィクションにおける親子観」なのだ。 無条件の愛/無条件の愛の受容。無際限の責任/免責。子供を持ったことの無い者が「すべての子供は天使だ」と言う様な、淡い夢。 #264無責任飛行8
2015-10-04 11:07:00どうしようもなく血が繋がっていることへの恋着と憎悪を、自らの血を分けた子供への絶望と驚愕を、意に沿わず外へと飛び出していく背中への望外の喜びと孤立感を、あるいは日々の笑いの中で、ふと両親のどちらでもない目で見ていることへの恐怖を、なにも、何も知らずに。 #264無責任飛行8
2015-10-04 11:12:50「子供」は許す。親は子供を許すものだから。 「だから赦して欲しい」と思っているかどうかは、知らない。 同じく「子供」たる享年七歳の凡蔵稀男には、元々負うべき責任などないのかもしれない。 親でも、子でもなく、無責任に/無責任を許す無我の、無責任飛行。 #264無責任飛行8
2015-10-04 11:20:16p32 これ、解題で幾通りかの解釈が提示されていたね。 ① 子供は手を振っている ①-A 稀男と子供は手を振り合っている ①-B 稀男が手を振った頃には、子供は向こうを向いている ② 子供は手など振っていない(稀男の幻視)/稀男だけが振っている #246無責任飛行8
2015-10-04 11:29:56