「数」概念が人類史にもたらした画期的な意味 by 安田登さん( @eutonie )
今回の中国ゲットのひとつに殷代の馬と射の論文が載っている本があります。馬と射は「六芸(礼楽射御書数)」の中の2つで内田さん @levinassien も最終講義でお話されていました。実は僕の『論語』本には幻の一冊があって、そこで六芸についてかなり詳しく書きました(続)。
2011-01-27 10:11:44幻というのは某出版社から出すはずだったのですが、かなり書いた時点で編集長から難しすぎると言われボツになり結局、出なかった本なのです。で、その中で六芸を「心」の発達史に呼応するということを書き(こんなこと書いたからボツになったのかも)「礼楽」「射御」「書数」のペアで語りました(続)
2011-01-27 10:13:37「心」の基本機能は「ここにないものを現存せしめる」ということで「礼(葬礼)」は死者を現存せしめ「楽」は礼にもつながりつつ、されに一歩進めてその現存を立体化する。LSDとかペヨーテのような力があるのです。で、これはネアンデルタール人にもあり、史的には第一段階。でも最も大事(続)。
2011-01-27 10:17:17「射御」の「射」は、はじめて道具を手放せた瞬間。クロマニョンから可能になる。空間、時間ともに「先」が生まれ、ここに「時間」が生まれた。で、「御(馬を操る)」では、この「射(先を見通す)」の能力を使ってコミュニケイトできる他生物を「見つける」という事ができるようになったし(続)、
2011-01-27 10:21:11まだうまくコミュニケイトできない段階から、コミュニケイトできた時点も見通せるようになり、名伯楽の登場となる。これまた内田さんもよくおっしゃる「予祝」。ちなみに殷代における馬の飼育は盤庚以降盛んになり、甲骨文には伯楽の存在を暗示するものまで現れている(続)。
2011-01-27 10:23:54「書」は共同体成員の合意によって始めて成り立つという「記号」の登場だが、しかし礼楽という複雑な手順を踏まなくても「非在」を「現存」させてしまう超便利ツール。儒・仏・基ともに「コトバ」を重視する。絵よりもさらに象徴化が進む。古代中国では3,300年前に登場
2011-01-27 10:27:24「数」はさらにそれを抽象化。「数」えるという行為自体がとても抽象的。心が「ここにないものを現存せしめる」のが機能だとした場合、その行為すらもなかった事をここに作り上げてしまうという驚きの芸が「数」なのです。で、「礼楽」がネアンデルタール、「射御」が3万年~1.5万年前、(続)…
2011-01-27 10:31:45「書数」が数千年前で、各々の中にも順序があり(礼の方が楽より先)、でもこの六つが組み合わさった時にこそ「心」がちゃんと機能する。さらに60年代にLSDやカスタネダとかが流行ったのは「心」の行き詰まりと、その開放を希求する時に無意識に古え返り(楽)をしていたのではないか(続)、
2011-01-27 10:36:08@eutonie そ、そうだったんですか。つまり六芸とはすべて「存在するとは別のしかたで」私に触れてくるものとのかかわりを学ぶ技術だったんですね。わお。
2011-01-27 10:38:00ジョンの曲なんかにも、その傾向は見えるんじゃないか(70年代だけどね)。でも、論語にはそんなのはいっぱいあるよってことを書いたのでした。こんな誇大妄想だからペケだったのかも知れないけど、ラノベの資料にと思って探したのですが、この原稿、見当たらないんです…。
2011-01-27 10:38:24あ、でも、これは僕の考えで、正しいかどうかは…。先日の最終講義で久しぶりに思い出しました。RT @levinassien: eutonie そ、そうだったんですか。つまり六芸とはすべて「存在するとは別のしかたで」私に触れてくるものとのかかわりを学ぶ技術だったんですね。わお。
2011-01-27 10:39:13二度寝から目覚めたら、安田登さんが凄いことを書いていたので、いっぺんで眼が覚めてしまいました。「書」については白川静先生がいるので、その奥行きについて多少の見通しはありましたが、「数」概念が人類史にもたらした画期的な意味については考えておりませんでした。その原稿読みたいです!
2011-01-27 10:41:23恐らくは二年前に壊れたPCに入っていたものと思われ、あれだけ書いてボツになったので頭にきてバックアップも取ってなかったと思われ…(泣)RT @levinassien:その原稿読みたいです!
2011-01-27 10:44:26