その日、ネオサイタマでは珍しく重金属酸性雨が止み、マッポーめいた月が重い雲を背後からぼんやりと照らしていた。カーテンの隙間から、鈍い光がアサリの自室に差し込む。アサリは寝支度を終え、枕元のボンボリ・ライトを消し、フートンに潜り込んだ。1
2016-02-15 15:41:43今日はバレンタインデーだった。学校ではオリガミ部の友達と手作りのマッチャ・チョコを交換しあった。アサリのハート型オリガミ・メールはクラスで話題となり、他クラスの生徒まで作り方を聞きに来た。楽しい1日だった。2
2016-02-15 15:41:54アサリはフートンのなかで、ぼんやりと1日の出来事を反芻する。オリガミ部の皆と考案中の新たなオリガミのこと。ハートのオリガミ・メールの織り方を教えてくれた少女のこと。取り留めのない思考が、微睡んだアサリのニューロン内に漂う。3
2016-02-15 15:42:08「「「アイエエェ……!!」」」「「「イヤーッ」」」……遠くで悲痛な叫び、邪悪なシャウトが響く。アサリは思わずフートンで身を縮めた。酔っ払いの乱闘、カツアゲや強盗・暴行。ネオサイタマではチャメシ・インシデントだ。この部屋にも時折、被害者の悲鳴やヨタモノ達の笑い声が微かに届く。4
2016-02-15 15:42:20あの夜はまるで悪夢のようだった。アサリはヤモトと歩いた夜のことを思い出す。ファック&サヨナラのヨタモノ達。殴られて歪む視界。悲鳴と混乱。ナイフを持ったヤモトは、子どものように震えていた。思わず抱きしめた。5
2016-02-15 15:42:30ここへ別れを告げにきてくれたあの夜から、アサリはヤモトの姿を見ていない。自分に迷惑をかけないため、とヤモトは言った。ヤモトに何が起こったのか、アサリははっきりと知る由もない。しかし、二人にはユウジョウがあった。それだけで良かった。6
2016-02-15 15:42:42ただ、もう一度だけ会うことも叶わないのだろうか。雨音もない静けさのなか、フートンのなかでアサリはヤモトを思い浮かべる。と、その時、カーテンから漏れる光に影が差した。7
2016-02-15 15:42:53アサリは思わず起き上がった。そして、ガラス戸を勢いよく開けた。そこには、ドクロめいた満月が、静かにインガオホーを告げていた。ヤモトの姿はなかった。8
2016-02-15 15:43:07アサリはそっとため息をついた。こんな夜更けに、私は一体何を期待したのだろう。カラカラとガラス戸を閉めかけて、アサリは足元のボックスに気が付いた。9
2016-02-15 15:43:19黒いボックスには白のリボンがかけられ、蝶々結びで留められている。そしてリボンの間に、ハートのオリガミ・メールが挟み込まれていた。10
2016-02-15 15:43:36アサリは壊れるものを扱うように、ゆっくりとボックスを持ち上げた。オリガミ・メールには「アサリ=サンへ」とだけ書かれており、差出人の名前はない。 ボックスのなかには、艶めいた色とりどりのチョコが仕切りの中に納められていた。11
2016-02-15 15:43:51ガラス戸からカーテンがベランダに流れ、風にはためく。アサリは箱を大事そうに持ったまま、俯いてしばらく微動だにしなかった。涙が頬を伝った。それを拭いながら、アサリは空を見上げて微笑んだ。色つきの風が遥か遠くに見えた気がした。12
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