戦場の刀と槍

無用組一景
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Crux's @whose_novels_

荒涼の戦場には血臭と土埃と、鉄の匂いの他に立っているものはいなかった。 息のあるものでさえ少なく、折れて地面に刺さる刀や槍ばかりが天日を白々と反射している。 ただ一つ意識があるものといえば、欠けた刀を後生大事に握りこんで倒れふす一人の男だった。

2016-01-31 21:41:30
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男は人ではない。人の力によって目覚めた刀の付喪神であった。その名は同田貫正国。剛の刀と名高い九州肥後の刀工の一振りである。加藤清正に抱えられし一族の名に恥じぬ剛刀は折れず曲がらずに、今もなお生きている。 刀はうめいた。途切れていた意識が戻ったのだ。

2016-01-31 21:44:55
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ゆっくりと目を開き、黄金色の虹彩を天日に瞬かせながら、周りを見わたす。一瞬だけ茫洋とした目つきは次の瞬間にはその歴戦の戦を物語る鋒のように鋭くなっている。思わず身をおこして、痛みにうめき声をあげる。 「ぐ……」

2016-01-31 21:47:09
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黒を基調とした墨染の衣はしとどに濡れている。独特の鉄錆の匂いとぬめりから、血のりと知れる。痛みに呻きつつ身をおこしきり、凛々しい眉は苦痛に歪む。しかしその口元は好戦的な笑みを刷いて、不敵であった。

2016-01-31 21:49:05
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「折れなかったか。くく、儲けたな」 握りこんだ刀身を天日にかざし、切込傷ばかりであることを確認して嬉しげに目元を緩ませる。折れず曲がらず。切込傷はむしろ誇りだ。本丸に戻って手入れを受ければ問題なく元にもどるだろう。 一息、深い嘆息をもらした時、雷のように記憶が戻ってきた。

2016-01-31 21:51:43
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この絶体絶命で不退転の殿を努めたのは正国一振りではなかった。 「御手杵……。御手杵は折れたか」 立ち上がって周りを見わたす。折れた刀槍の林が正国の周りに亡霊のように佇んでいる。その中に、あの独特の穂先がありはせぬかと目を凝らす。

2016-01-31 21:54:22
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「折れてねえよ、後ろ」 苦笑いのような声がして、正国の体から力がぬけた。 「生きてたか」 「お前もな」 正国の凭れていた岩の裏から御手杵が苦笑しつつ答える。その声は静かだが、端々に苦しげな息が挟まっていた。

2016-01-31 22:03:55
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「小夜たち、無事に戻れたかな」 「多分な。短刀一振りたりとも、通しちゃあいねえよ」 「なら良かった。無事だろうさ。なんたって陸奥守も和泉守もついてるしな。正国も歩けねえほどじゃないんだろ?」 「おう。俺ァ折れず曲がらずの同田貫だからな」

2016-01-31 22:06:31
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正国は胸を張る。切り傷はひどいが、歩けぬほどの痛みはないだろう。深く切りつけられた脇腹も運良く急所は外れ、血も止まっている。背後で御手杵は笑う。 「じゃあ、正国……、先にゲートの方へ行ってくれ。もうしばらくしたら救援部隊が来てくれる。そん時こんなとこで二本で待ってたらいい的だ」

2016-01-31 22:09:35
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「まあ確かにな。遡行軍のやつらがいつまたこっちに来るかわからねえわけだし」  正国は同意しつつ、頭の隅で囁く警告に従った。刀身を支えに起き上がり、岩に手を添えながら裏に回る。 目の当たりにした、御手杵の有様に正国は言葉を失った。

2016-01-31 22:11:28
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「御手杵……お前」 肩と腹に深い傷を負い、太ももには柄の折れた御手杵自身が刺さっている。何をどうしたのか、周りに折れ砕けた薙刀と槍を見れば察しがついた。 今目を閉じたら、ただ死にゆくばかりの肉塊になる。それを恐れたのだ。穂先は歪み、柄はへし折れている。

2016-01-31 22:15:59
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幸いなるかな、それでも穂先は折れず、柄も折れているとはいえ茎にまでは達していないようだった。 「戦してるんだし、こういうこともあるよな」 吐息に交じる、死の匂いが正国の鼻に流れ込んだ。離れていては気付かなかっただろう死相に正国は奥歯を噛む。

2016-01-31 22:17:56
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正国の在籍する本丸は、主があまりに人臭く、刀剣にもそれを要求する本丸だった。情が深く、慎重で資材に余裕があれば軽傷でも手入れを施す。無理な出陣は控え、練度を上げてから確実に陣を取る。故に、正国はまだ折れる刀を目の当たりにしたことはなかった。

2016-01-31 22:21:10
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「救援部隊が来るまでもつか」 「どうだろ。厚樫山を踏み越えられる練度のやつは、遠征から呼び戻したとしても用意に時間がかかる……。資材も……」 「口をひらくな! 息することだけに必死になってろ阿呆!」 「正国だけでも、先にゲートにいけよ。俺は大丈夫だから」

2016-01-31 22:23:38
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正国はひどく鋭い舌打ちをした。大丈夫だと、どの阿呆の口がのたまうのか。答えずに止血を行ったが、あふれる血はただ正国の首巻きを濡らす。 「お前の血の匂いもひどいぜ正国」 「お前の鼻がバカになってるだけだ」 「いいから行けよ」

2016-01-31 22:25:59
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御手杵は動く方の手で正国の肩を押した。 「いつ遡行軍がくるか……わからねえんだぞ。二人で折れるような間抜けを晒したくねえよ俺は。」  顔を逸らして刺々しい言葉を吐く。わざわざ嫌味ったらしく吐き捨てた御手杵の言葉に、正国は自分でも驚く程に激昂した。

2016-01-31 22:32:21
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地が揺れ桜島が火を噴いたような、実に腹のそこから噴き上がった熱く激しいふざけるなの怒りだった。どん、とエネルギーが沸き立って、不意に力がみなぎった。

2016-01-31 22:34:03
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頭の片隅の冷静な部分がここで怒らなければならなかったのだと告げる。 「行くぞ」 「――は?」 間の抜けた声がする。青ざめた顔の御手杵を、正国はひと思いに担ぎ上げた。太ももを貫く槍を動かさぬことだけは丁寧であった。 「暴れるなよ」 低く厳しい声で言いつければ、御手杵は動きを止めた。

2016-01-31 22:36:11
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「降ろせよお」 泣き出しそうな情けない声にも、俺は怒っているのだから、と耳を貸さず、正国は重たい一歩を踏み出した。 「正国、血が……」 開いた脇腹の傷が開き、血糊の足跡を残している。 「歩けもしねえやつにいわれたくねえな。黙ってろ」 動く片手で腰の飾り巻をとり巻きつける。

2016-01-31 22:42:23
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御手杵とその槍を固定し、少し屈んで岩にかけてあった己の刀身の腹を咥える。重たい鋼をなんとか噛み締めて、もう一歩をぬっしと踏み出した。 帰還ゲートの近くには隠蔽加工が施されている。そこまで行けば、襲われる心配がないと聞いている。

2016-01-31 22:45:05
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御手杵の槍と己の刀、身の丈の大きな二人分を合わせて三十貫近い重さは血水でぬかるんだ正国の足跡を深く沈ませた。 「正国、おまえ、ばかだよ」 感じ入ったような、呆れたような、泣きそうな声で御手杵は力なく正国を罵った。

2016-01-31 22:47:05
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先程までの虚勢も剥がれたか、蚊のなくような声には生気がない。口のふさがった正国は鼻を鳴らしてそれに応じる。頭の中で、誰かが恐怖している。この声は聞き覚えがあるぞ、ひとがしぬまえの声だと、恐れている。 敵の気配がないことが救いだった。

2016-01-31 22:49:38
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一歩足をすすめるたびに、体中を走る激痛と、鋼の痛む苦痛に力が抜けかけたが、その度に音がするほど歯を食いしばって再び足をうごかした。目と鼻の先にある木立までがあまりに遠く感じる。ぬめる足跡が一人分。ぽとりと落ちる血は誰のものかは判然とせぬ。

2016-01-31 22:52:41
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ふ、と御手杵のこわばりがとけ、肩にかかる重みがました。気を失ったのだろう。肩の重みに増した痛みに唸りつつ、正国は思い切り顔をしかめた。汗はだらだらと垂れ、顔は紅潮して赤黒く、痛みは体中を襲う。落としかけた刀身を咥える力を強めれば苦痛が増す。

2016-01-31 22:55:03