世界観とその対立、事実と「真実」のことなど

事実、真実、世界認識とその構造に関する過去のつぶやきから拾ってみた。
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道草クー太郎 @KutaroMichikusa

「観察事実の集積」と「解釈の仕方への反省」。天動説が信奉された時代の「事実群」と、地動説の受容が始まる時代の「事実群」は異なる。しかし、地球の方が運動しているという「事実」もまだ無い。 pic.twitter.com/e01hMGEDrk

2014-08-02 09:34:33
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道草クー太郎 @KutaroMichikusa

つまり、地動説の受容は「事実認識」のみならず人々の「解釈の仕方」の反省に負うところが大きい。地動説によって世界観が変わったのではなく、世界観が変わる中で地動説が受容されたと考えるのがもっともらしい。

2014-08-02 09:35:41

「真実」は絵、事実はそのパーツ

道草クー太郎 @KutaroMichikusa

@King_Tamaishi 真実と事実の違いに拘る立場から言いますと、この場合は「真実はどうでもいい」ではなく、特定の事実を軽く見るような強力な「真実」が信奉されているのだと思います。

2015-06-26 20:19:09
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

じゃ、改めて私の拘りの理解。「真実(しんじつ)」というのは諸々の事実(じじつ)の解釈や関連付けによって脳内に構成された強い観念のこと。その観念が事実の解釈や関連付けにフィードバックされるので、信じた「真実」は容易に修正されない。

2015-06-26 20:34:45
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

無理を承知でジグソーパズルに喩えると、完成すると信じられている絵が「真実」で、それを構成する個々のパーツが事実。うまく絵に収まらないパーツ(事実)は軽んじられ、欠落したパーツはどこかに隠れている(あるいは隠蔽されている)と考えたりする。

2015-06-26 20:35:39
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

このような認識スタイルそのものは誰もが持っていると思うのだが、信じている絵を疑ってみたり、個々の事実の関連付けを反省してみたりする心の柔軟性がないと、ドツボに嵌るまで修正ができなくなる。(科学はそれを回避する手続きを自己に構造化している)

2015-06-26 20:36:23
道草クー太郎 @KutaroMichikusa

柔軟性を阻害する要因として、世界観、宗教、党派的な利害や正義の意識、自己愛、経験からの単純な思い込みなどがある。心理学の専門家はもっと厳密なことを言うと思うが、私の場合は経験からそう考える。

2015-06-26 20:36:58