佐藤正美Tweet_20160301_15

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佐藤正美 @satou_masami

技術が、外見上、変わっていないとしても、技術は、適用のなかで、「ききめ」を、つねに験証されなければならないので、日々、技術の妥当性を検討していて、外見上の同一性が、かならずしも、「完成」をしている訳ではない。技術の「完成」とは「中断」にすぎない、と私は思っています。

2016-03-09 17:51:42
佐藤正美 @satou_masami

技術は、的確な目的を示して構造的に整っていれば、使いながら「ききめ」が験証されるので、総体的な「評価」は10年くらいしなければ わからない「事後判断」です。ユーザは「即効」を期待しますが、自らの技術を世に問うのであれば、改良を前提にして、長い目で観なければならない。

2016-03-09 17:56:39
佐藤正美 @satou_masami

或る論点に関して、複数の理論が提示されているとき――そして、それらが、それぞれ、ひとつの体系として整合的であれば――、どの理論を信じるかという点は、「使用上の目的」と「人生観(すき・きらい)」が作用するでしょう。証明は万人向けだけれど、信心は個人事なのだから。

2016-03-09 18:01:00
佐藤正美 @satou_masami

すでに成熟した技術が導入されている領域――言いかたを替えれば、新しい下地を考える余地のない、技術を踏襲するしかない領域――に対して、(いまから伸びようとする)若い世代が興味を示す訳がない。事業分析のモデル技術も その1つなのかもしれない。

2016-03-09 18:09:00
佐藤正美 @satou_masami

事業分析のモデル作成の愉しみを味わうには、まず、事業過程に対して興味を感じることが先であって、事業という営みに対して興味を抱かない人は、事業のモデル(模型)のなかに、愉しみを感じることは、金輪際、できないでしょう。

2016-03-09 18:11:55
佐藤正美 @satou_masami

私は数学を独学しました。「正規の」教育をうけていない。それぞれの学問には、それぞれの固有の「見かた(原論)」があって、学問の歴史のなかで継承され整えられてきています。独学は、「我流」に陥る危うさがある――「間違った読みかたをしているのではないか」という怖れが、つねに付きまとう。

2016-03-09 18:15:03
佐藤正美 @satou_masami

(理論を無視して、)現実を「凝視」すれば現実を記述できるというふうに思いやすいが、現実を「凝視」するには――そして、現実を観て、問題点を感知するには――、あらかじめ、問題点を定式化できる理論がなければならない。同じ事態を、こども と おとな が観ても、それぞれ、抱く心象はちがう。

2016-03-09 18:21:13
佐藤正美 @satou_masami

管理過程を知らないで、事業過程そのものを記述できる訳がない。

2016-03-09 18:22:25
佐藤正美 @satou_masami

「情報」は――それが、コンピュータ・システムから出力されていようがいまいが、フォーマルであろうがインフォーマルであろうが――、データの集まりではない。「情報」は、或る目的を実現するために使われているのであり(goal-oriented)、その目的は管理過程のなかでしめされている。

2016-03-09 18:27:08
佐藤正美 @satou_masami

10年間も同じ仕事をやっていれば、どんな不器用が人でも、それなりの成果を出すことはできるでしょう。熟練の十分条件の1つは、年季でしょうね。ただ、年季を重ねれば自然に身に着く技術を自らの才能がもたらした成果だ、と勘違いさえしなければ。

2016-03-09 18:29:58
佐藤正美 @satou_masami

高い技術力を体得したエンジニアでも、40歳を過ぎてから、技術力を、なお、向上する意欲があるかどうか。技術力が商品価値であれば、技術力が落ちれば、商品価値は低下します。どんな人にでも、労働価値としての寿命があると言えば、非情な言いかたになるかもしれないのですが、当然の事実です。

2016-03-09 18:32:47
佐藤正美 @satou_masami

20歳代・30歳代であれば、人間関係と称した・小賢しい政治的な駆けひきを覚えなくても良い。そういう駆けひきは、いずれ、40歳代になれば、嫌と言うほど、やらなければならなくなるでしょうから。

2016-03-09 18:35:08
佐藤正美 @satou_masami

私が哲学書を読んでいると言えば、SEたちは、おおかた、怪訝な顔をするし、ときには、「(嫌悪感を示すような)嫌な」顔をすることもあります。おそらく、哲学書というのは、システム作りに対して、一切、関係のない「戯言(たわごと)」集のように思われているのでしょうね。

2016-03-09 18:38:32
佐藤正美 @satou_masami

私は数学を専門にしていないので、数学の目的・意義を語るほどの知識がないのですが、少なくとも、ゲーデル(Godel, K.)の論文やコーエン(Cohen, P. J.)の論文を読むと、数学も哲学を除いて考えることができないのではないか、と感じています。

2016-03-09 18:41:33
佐藤正美 @satou_masami

関係モデルの前提となっている直積集合の考えかたは、「選択公理」という観点からも説明できます。しかし、「選択公理」を使えば、とたんに、哲学に抵触します(!)

2016-03-09 18:44:05
佐藤正美 @satou_masami

モノ(物)を、「空間(事物)」と「時間(事象)」という視点から見たら、とたんに、「空間」と「時間」の関係という哲学に抵触します。

2016-03-09 18:46:51
佐藤正美 @satou_masami

目の前で起こっている「出来事(事態)」を、「時間」と「空間」のなかで、どのように解釈するか、という点が論点になります。私は、ホワイトヘッド(Whitehead, A. N.)が提示した「モーメント」概念に賛同して、空間は時間のなかで解釈できる、という観点を採用しています。

2016-03-09 18:50:14
佐藤正美 @satou_masami

苦労しながら多数の年月を費やして哲学を学習しても、金銭の収入を得られる訳じゃない。逆に、哲学を学習するには、仕事する時間を犠牲にして、学習のための多大な時間を確保しなければならない。幸いにも、1つのモデルを作ることができれば良いのですが、膨大な努力が結実しないこともあります。

2016-03-09 18:55:18
佐藤正美 @satou_masami

モデル作りに「取り憑かれた」エンジニアは貧乏である、というのが宿命のようです(苦笑)。

2016-03-09 18:56:08
佐藤正美 @satou_masami

読んでいる書物が、目的・前提・体系を示していれば、その書物のなかで、論理の飛躍があっても、私は気にはしない。なぜなら、論理が飛躍している点は、新たな着想を生む契機を私に与えてくれることが多いから。

2016-03-09 18:59:06
佐藤正美 @satou_masami

書物が示している目的・前提・体系を丁寧に検討しないで、書物のなかで拾った幾つかのキーワードを対象にして、書物(書物のなかで述べられている論理)を批評する態度に対して、私は強烈な嫌悪を感じます [ 書評の類にも、こういう いい加減な態度が多いようです ]。

2016-03-09 19:03:51
佐藤正美 @satou_masami

全体の文脈のなかでキーワードは意味を付与されているので、全体を精確に読まなければ、キーワードの意味を正確に把握sることはできないし、キーワードが、すでに、聞き覚えのある用語であればあるほど、間違って読み取る危険性が高い。

2016-03-09 19:06:38
佐藤正美 @satou_masami

モデルの論点など単純なことであって、「開かれていたドア」に気づいていない人たちが、「モデル遊び」をやって難しくしている、というだけのことです。だから、事業のなかで、日常言語を使って仕事をしているエンドユーザは、「モデル遊び」などに興味を示さないのでしょうね。

2016-03-09 19:09:37
佐藤正美 @satou_masami

システム・エンジニアの作ったモデルが使い物にならなければ、エンドユーザは、自らの仕事を守るために、自然言語を使ったインフォーマル・システムを作る、ということです。なぜなら、エンドユーザにとって、自らが渦中にいる「生活様式」は「自明のこと」だから。

2016-03-09 19:12:24
佐藤正美 @satou_masami

エンドユーザの間で共有されている暗黙知のなかで、確実に形式化され伝達されているのが「(一定の報告形式に準拠して、自然言語を使って記述された)情報」です。暗黙知を対象にしてモデルを探すことに比べたら、「情報」を対象にして事業を記述するほうが効果的・効率的です。

2016-03-09 19:15:41