2016年3月23日

テキトー論など

上野桜木にて開催された布施琳太郎1人展「布施なき世界」内にて開催された布施琳太郎×仲山ひふみのトーク「人工知能のエコーチェンバー」を契機としたツイートのまとめ。 布施琳太郎 1994年生まれ 東京芸術大学在 映像や詩を想像力の媒介として、新しい物語の条件について考えている。複合的なインスタレーションの形態をとることが多い。
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布施琳太郎 @RINTARO1123

布施琳太郎 1人展 「布施なき世界で」 3/,12,13,19,20 13:00〜18:00 上野桜木2-10-1他/自宅を中心した複数会場 上野駅徒歩10分、根津駅徒歩8分 告知↓ rintaro3olo.tumblr.com pic.twitter.com/d7iIdfOQVX

2016-02-18 19:00:51
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布施琳太郎 @RINTARO1123

🔷告知🔷 明日3/19に16:00より17:30頃 トーク「人工知能のエコーチェンバー」 布施琳太郎×仲山ひふみ ボクの考えていることを仲山さんに引き出してもらいます!21世紀の芸術を考えるための有意義な会になると思います!是非 pic.twitter.com/L8Bash4P7z

2016-03-18 22:05:22
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布施琳太郎 @RINTARO1123

@RINTARO1123 写真はrei nakanishiが撮影してくれた、初日の「再演:realなをexhibitする」の記録です

2016-03-18 22:22:12
宇宙意志 @qoaala

3/20 布施琳太郎 1人展「殺戮すべき多くの世界」@Galley kazane ※他2会場にて展開 pic.twitter.com/SCbfyyu5qy

2016-03-20 15:14:09
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仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

明日16時から美術家の布施琳太郎さんの個展でトークします。場所はギャラリー風音(上野桜木2丁目10−1)というところです。お題は「人間なき世界でアートは可能か」といったところでしょうか。どうなるかわかりません。楽しみです。twitter.com/rintaro1123/st…

2016-03-18 23:34:30
花房太一 @hanapusa

琳太郎「ぼくのBODYを見せたい」 !!!? pic.twitter.com/nimYF105sv

2016-03-19 16:16:35
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仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

布施琳太郎君の一人展でのトークつつがなく終了しました。パーソナライゼーションと物自体、複数の時間性と言語の我有化、神のためのアートと人間のためのアートの差異、iPhoneと遠近法など、あっちこっちに話題が飛びつつも充実した時間を過ごせたと思います。ご来場ありがとうございました。

2016-03-19 19:22:44
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

そういえば今日のトークでは言い忘れましたが、西美のカラヴァッジョ展は本当に素晴らしかったので、絵画に関心ある現代アート系の人たちはみな見に行ったほうがいいです。近年マイケル・フリードもこの画家を論じたりしていますが、カラヴァッジョは本当に「現在」の作家なのだと思い知らされました。

2016-03-19 23:20:42
ユササビ @yusasabi

布施さん展で宇宙人や世界、神、人工知能、NDGなどの話を聞いた pic.twitter.com/cwE67YWFe2

2016-03-20 18:02:01
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仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

一昨日のトークでなんとなく口にした「根源的テキトーさ」について考えてみる。まず普通の、疲労や倦怠に由来するものとしてのテキトーさと、それは別なるものである。同時にまた、ニヒリズムなどの思想を背景に持ってなされる意図的な放下ともそれは異なる。受動的でと能動的でもないテキトーさ。

2016-03-21 16:12:03
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

そのようなテキトーさは、自由の原理ともバックドアで通じているあの「根源悪」の観念と似たような意味で「根源的」と形容され得るだろう。ところで「根源的テキトーさ」とは事物の状態のそれ自身を通じた表示、一種のトートロジーなのだろうか。そうではないだろう。指示はテキトーに逸れるだろう。

2016-03-21 16:19:21
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

テキトーというのは奇妙な言葉で、それはadequateであり、なおかつcarelessでもある。どうでもいいことに忠実であることのどうでもよくなさを体現している。あるいはどうでもよくないことに忠実でないことのどうでもよさを表している。それらの規定の最大の多義性において。

2016-03-21 16:25:10
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

もう少しわかりやすく言おう。ある種のシチュエーションにおいて「要領の悪い奴」が「先輩」に対して「テキトーにやれって言うけど具体的にどうやればいんすかね」という質問を投げかけるとき、「先輩」は、答えるにせよ答えないにせよその対話全体にある不必要性を、「どうでもよさ」を感じる。

2016-03-21 16:29:12
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

その「どうでもよさ」は、積極的に間違ったことを教えよというのではなく、細かく正しい説明を行ったとしてもその細かさや正しさ全体が無意味であるということを多くの場合、意味する。「テキトーに」というのは、そもそも「要領が悪い奴」が仮に失敗したとしても問題ないということを意味するから。

2016-03-21 16:33:48
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

テキトーなことができない「要領の悪い奴」が引き起こす結果はある予測可能性の範囲内に収まるので、それ自体テキトーに扱えるものとなる。だが予測し得ないハプニングを引き起こす「特異的スットコドッコイ」というものが世界には少なからず存在し、「先輩」は常にわずかにその可能性を懸念している。

2016-03-21 17:30:41
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

「先輩」が「どうでもよさ」を感じてやまない「テキトーにやっといて」の内実に関する説明の中で、抑圧され否認されているある種の認識があって、それがこの「特異的スットコドッコイ」の存在の可能性ということなのである。「根源的テキトーさ」はこのSingular Idiociesを解放する。

2016-03-21 17:33:58
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

「特異的スットコドッコイ」や「根源的テキトーさ」といった急造された術語は、それ自体ある「テキトーに」の命法に従っている。だいたい「テキトーにやっといて」という指令の出し方が既にしてテキトーである。テキトーなことはグレーなことでもある。「先輩」が説明を厭うのはそれがグレーだからだ。

2016-03-21 18:21:17
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

ある人物が最初から「特異的スットコドッコイ」であるとわかっているなら、その人物は要監視対象であり、そもそも作業の現場に配置されることはないはずである。「要領の悪い奴」でしかなかった人間があるとき突然予測し得ないハプニングを引き起こす「特異的スットコドッコイ」になるのだ。

2016-03-21 18:24:45
千葉雅也『新潮』6月号発売 @masayachiba

ひふみ君のテキトー論が展開されている。どうでもよさ whateverness やケアレスネスの話を僕が出してもしばしばなかなか理解されないのだが、この「テキトーにやっといて」の例は実践的だしわかりやすい。「アンチ・エビデンス」の話につながる。

2016-03-21 18:26:57
千葉雅也『新潮』6月号発売 @masayachiba

広く言えば、こういう話は、ドゥルーズの愚かさ論を背景にしているとも言える。シェリングの悪と自由の話もそこに関わっていたわけで。

2016-03-21 18:29:36
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

だとすれば「先輩」の「テキトーにやっといて」には責任が生じるのではないか。「先輩」の指令の出し方のテキトーさこそ失敗の始まり、「起源的スットコドッコイ」だったのではないかと考えたくなる。この思考法はだが無限退行に陥る。瑕疵は監督者の監督者の監督者へと無限に遡って追及できてしまう。

2016-03-21 18:30:07
KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion

ちょっと気になるので書いておくと、綾屋紗月さんが、自閉症傾向の強い人は「テキトーにやっておいて」と言われるとどうしていいのか全く分からずに大混乱してしまうという話をしています。 matogrosso.jp/yuragu/yuragu-… twitter.com/masayachiba/st…

2016-03-21 18:35:04
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

もちろん普通の「要領が悪い奴」が引き起こす失敗は「テキトーに」処理できてしまうものである。換言すれば頻度主義的に取り扱える。組織における監督者と被監督者の階層構造は、組織全体の活動が内包するあらゆる偶発的事故の規模と頻度に対応するかのごとく形成されるだろう。「テキトーさ」の狡知。

2016-03-21 18:37:02
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