3/20 水戸の偕楽園に梅見に行く師弟

2016年3月20日に水戸の偕楽園に梅見に行く師弟のログです。
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芭蕉さんbot @matuobasyou

そうだね、周りも立派な樹が多いや。

2016-03-20 11:10:21
曽良君bot @onidesi

さすがにもう早咲きの梅は散ってしまっていますね。

2016-03-20 11:13:27
芭蕉さんbot @matuobasyou

でも咲いてる樹もまだまだあるから悪くないよ。広いね~

2016-03-20 11:14:05
曽良君bot @onidesi

こう、なんと言うか・・・畑感がありますね。

2016-03-20 11:15:28
芭蕉さんbot @matuobasyou

あぁ~確かにあまり桜はこういう風には植えないもんね。

2016-03-20 11:16:17
芭蕉さんbot @matuobasyou

近くでよく見る、と花びらが八重だったりピンクだったりいろんな種類あるなあ。 pic.twitter.com/TQlUeyaIjL

2016-03-20 11:18:08
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曽良君bot @onidesi

梅の花の香りがとてもしますね。

2016-03-20 11:20:06
曽良君bot @onidesi

梅だけでなく、つつじ、萩、桜、藤もあるので何処季節に来ても楽しめる作りになっているそうですよ。

2016-03-20 11:32:16
芭蕉さんbot @matuobasyou

みんなのアイドル俳聖松尾芭蕉が12時くらいを水戸からお知らせしちゃうんだぞっと! あっ、梅アイスだってさ~食べたい!!

2016-03-20 12:00:50
曽良君bot @onidesi

昔こんな色の梅の板ガムありましたよね。

2016-03-20 12:01:41
芭蕉さんbot @matuobasyou

んんん~屋台がいっぱいあって目移りしちゃうな。鮎の塩焼き食べたい・・・

2016-03-20 12:04:28
曽良君bot @onidesi

まず常磐神社に参拝してからにしましょう。

2016-03-20 12:05:25
曽良君bot @onidesi

この常磐神社は水戸藩第2代藩主 徳川光圀公と第9代藩主徳川斉昭公が祀られています。 pic.twitter.com/0DFwg7PfFW

2016-03-20 12:08:18
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芭蕉さんbot @matuobasyou

黄門様は私たちと同時代の人だよね~。 5代将軍綱吉様が制定した生類憐れみの令に反発して当時は忌避されてた肉食をしたり、野犬20匹を捕らえてその皮を綱吉様に献上したという話もあったり、果断な気質は当時から江戸でも人気あったんだよ。

2016-03-20 12:10:19
曽良君bot @onidesi

水戸黄門というと、白髭と頭巾姿で諸国を行脚してお上の横暴から民百姓の味方をするご隠居様を思い浮かべますが、江戸時代後期から講談や歌舞伎の題材として黄門漫遊譚が確立され大衆的人気を獲得した事で、そのイメージが定着したようです。

2016-03-20 12:12:15
曽良君bot @onidesi

実際は日光、鎌倉、金沢八景、房総などしか訪れたことがなく関東地方の範囲から出た記録は無いそうですが、『大日本史』の編纂に必要な資料収集のために家臣を諸国に派遣したことや、隠居後に水戸藩領内を巡視した話などから諸国漫遊がイメージされたと思われます。

2016-03-20 12:14:38
芭蕉さんbot @matuobasyou

水戸徳川家藩主は参勤交代を行わず江戸に定府してたんで、常に将軍の傍に居る事から水戸藩主は俗に「(天下の)副将軍」と呼ばれたりしたんだよ。

2016-03-20 12:16:12
曽良君bot @onidesi

徳川家康の孫に当たり、徳川一門の長老として5代将軍徳川綱吉期には幕政にも強い影響力を持った方でしたからね。 そういえば副将軍という名の日本酒が売店で売ってましたね、お土産に買って行きましょう。

2016-03-20 12:18:31
芭蕉さんbot @matuobasyou

九代藩主の斉昭公の方は、偕楽園を作った人って位しか知らないな~。

2016-03-20 12:20:24
曽良君bot @onidesi

徳川 斉昭公は最後の将軍である徳川慶喜の実父です。藩政改革に成功した幕末期の名君の一人ですね。 先ほどの副将軍の謂れも、実の息子である慶喜を将軍職に就けるため、斉昭公が裏で動いて水戸徳川家は「天下の副将軍」であるという話を世間に広めようとしたのだという説があったりします。

2016-03-20 12:22:38
曽良君bot @onidesi

幕末期に人材の少なかった徳川家では唯一のカリスマ性と行動力を持ち合わせた人物であり、諡号の「烈公」にもあるように、まさに幕末をその荒々しい気性で生き抜いてきたそうです。

2016-03-20 12:23:43
芭蕉さんbot @matuobasyou

そこらへんの剛毅な気質は祖先の光圀公にも通じるところがあるんだろうね。

2016-03-20 12:24:33