狭山へ行ってきました~感想編~
- h_ujinori1545
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こんばんは、今日はちょうど一週間前に伺いました、狭山の講演会について少しお話させて頂きたく思います。…といっても、覚えている範囲内ですが…
2016-04-02 21:59:47とても面白く、そして楽しいお話でしたので、本当は朝まで語り明かしたいところではございますが…流石に怒られそうですので、少々の間たいむらいんをお借りさせて頂きますね。
2016-04-02 22:02:04さて、講演会がございましたのは先月二十六日でした。題目は「戦国大名北条氏と狭山」…はい、題目から既に期待感が高まってきますね。私を含め、狭山市民の皆様もきっとわくわくされていたことと思います…
2016-04-02 22:05:15ちなみに二時間設けられていた枠の中で、一時間と四十五分ぐらいは曾祖父様である早雲様のことでした。隣で邦兄上が、「幻庵様の語り口に似ている」とぶっちゃけていたのを昨日のように覚えています。
2016-04-02 22:09:32ちなみに隣のご婦人は「……狭山は?」と呟かれておりましたが、二時間枠を超え、狭山のことまで全て語って講演会は無事終了。こういう言い方は何ですが…とても熱かったです。熱心に語られておりました。そもそも最初に「北条のいめーじあっぷにきました」とお話されていたので私思わず拍手しました。
2016-04-02 22:13:44「(氏邦)いやあれはお前恥ずかしかったぜ」 …仕方ないでしょう、「現在の大河の北条は悪どく見えちゃうじゃないですかー!今日はそのいめーじ払拭です!」って仰られて…私の中ではすたんでぃんぐ…なんでしたっけ、そんな気分でしたよ。
2016-04-02 22:16:58では、覚えている範囲内のお話を。 ◆戦国大名北条氏初代「早雲」について ・早雲様の肖像画は、「僧の姿で書かれている武将」の中で一番古いもの ・いろいろ主家を討ったりして「梟雄、腹黒い」のイメージがあるが、そもそも幕府から頼まれてる(だから騒がなかった) ・居城は善得寺城ではないか
2016-04-02 22:22:46◆北条氏の印判状制度 ・虎朱印「禄壽應穏」には何で虎が乗るのか ・信長・秀吉らも印判を出していたが、彼らと違うのは「家」として印を用いて書状を出していたところ=統治体制の印によるシステム化が果たされていた ・実は現在に伝わる文書総数、五千にのぼります。えっへん。
2016-04-02 22:28:49◆小田原合戦&合戦後の北条氏と狭山 ・長宗我部、島津は元の領地一部安堵されたのに、何故北条は関東を奪われたのか →徳川氏との関係が原因か。小牧長久手の頃から徳川に警戒感を持っていた秀吉は、徳川~北条の関係が強固になるのを恐れ、関東を奪ったのではないか。
2016-04-02 22:34:08…徳川との関係は確かに厚かったと思います。故に、秀吉は警戒していた…小田原の陣では、わざと川・海側に徳川・織田の陣を引かせたようです。そして秀吉は石垣山に登った、何故なら小田原を見渡すと同時に徳川をも監視するために、万が一謀反が起きた場合でも迎え撃てるように…
2016-04-02 22:36:21………いいえ、私は間違ったことをしたとは微塵も思いません。私は私のやれる範囲の事をしたまで。…力及ばずだったかもしれません。しかし、それだけ太閤に手間を取らせたというだけで、多少なりとも気は晴れます。
2016-04-02 22:44:23…失礼、話がそれました。ところで、 ・虎朱印「禄壽應穏」には何で虎が乗るのか このお話について、先生独自の見解ではあると前置きはされましたが、とても面白かったので少し呟かせて頂きますね。
2016-04-02 22:47:30印に何故「虎」を用いたのか。勿論、武将という荒々しい印象を与えるものである…という説明がちらほら見られるのですが、先生のお話では、「禄壽應穏の上に置く生き物が荒々しい虎では、ずれているのではないか」というご見解でした。
2016-04-02 22:50:49そういえば、皆様は「禄壽應穏」がどういう意味合いかご存知でしょうか? 「禄(財産)と壽(生命)が應(まさ)に穏やかであるように」、…人々が平和に暮らせるように。……私たちはずっと聞かされて育ちましたね…。
2016-04-02 22:54:49city.odawara.kanagawa.jp/kanko/hojo/p09… こちらのページの下の方に虎朱印の画像と共に掲載されていますよ。
2016-04-02 22:55:54そう、人々の平和を願う意味の上に虎を置く。…これは、「虎」の持つ意味が違うのではないか。…虎朱印の画像、よく見てみて下さい。寝そべっているように見えませんか?
2016-04-02 22:58:06もしお時間があれば、「四睡図」、検索をしてみて下さい。私が何を言わんとしているかが分かると思います。四睡図は禅の世界において、一番の悟りを現した図、だそうです。…早雲御祖父様は、大徳寺で禅を学んでいらっしゃったとか…ふふ、ご想像にお任せします。
2016-04-02 23:04:02ううんと、後は…ああ、そうです。何故現代において上杉・武田ばかりが取り上げられていて我等が北条はこんなに汁だの何だと言われているのか…。……ちなみにあれは創作ですから、はい。
2016-04-02 23:10:43北条があまり取り上げられず微妙な扱いなのは、小田原合戦に起因します。…私たちの仲では、徳川家と仲が良かったのですが、江戸の世ではどうしても「徳川と敵対した」ことになってしまいます。…故に、浮世絵等大衆娯楽で描かれることがなく、現代に至るわけです。…でも武田だって三方ヶ原…
2016-04-02 23:13:46直接関係のある話ではないが、氏規の戒名は一睡院で始まる。趣のあることだ。 twitter.com/h_ujinori1545/…
2016-04-02 23:14:11