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misonikomioden
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げんま「ピクセルが大きいというのは、私がこれを原理として支配したのだ、ということ。 スリット状のピクセルとしてみせるベクターのような形は、その形自体が環境でありそれをとやかくいう必要はないのでは?つまり問うなということ。
2016-04-03 19:52:25![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
げんま「室井のシールについては、、、 室井「一回見つけたらそれ以上は考えないというか げんま「シールがパレットようになる 室井「シールは手垢を否定であり、糊さえつけず画面が作れる。左から右へ線を引いても揺れがでるがシールはそれすらない
2016-04-03 19:53:47[修正]
パレットよう→パレットのよう
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半田「のっぺりとは? げんま「モチーフは関係ないってことだ。技術的にシミの配列でしかない。そこに指示性、つまり肖像写真ならこれは誰でその眼差しは…とか、その両極が写真の面白さだが 半田「写真は嘘のメディアだ。二次元プリントだがそこに風景を見だしたりとか
2016-04-03 20:09:38![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
半田「嘘のメディアが写真だが、それを人が見た時に認識してしまう。それが記録性。写真以前が絵画で、万国博覧会で光と影がはっきりした肖像画を見た時日本画家がなぜ顔が黒いと言ったそうだ。つまり影なない描き方をするのが日本画家。一方写真も光と影の芸術物で、それで嘘をつく
2016-04-03 20:11:27![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
げんま「純粋な形態にみてくれるのか? 半田「テクノロジーで人の認識は変わる。前提になる感性が変わる。 シミそれ自体を錯覚し形態をみるかシミとしてみるか、文化的背景が関係するのではないか。
2016-04-03 20:14:21![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
げんま「話を西洋美術史として話すが、シミを葉っぱの先だとみなすのをリアリズム、それをシミとみなすのがモダニズムとすれば、シミだというは物質性だが一方で形態性は対極だ。そこに意味のニュアンスはもたせない。 ベクターで考えれば数式に意味はなく数字の並びにしかすぎない
2016-04-03 20:16:34![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
半田「ベクターを方程式だと言ってる私だが、方程式のことわかんないし数学わかんないし げんま「方程式を使うことで形が吐き出されると考えればよい
2016-04-03 20:17:22![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
げんま「リアリズムが意味で、モダニズムで物質があり、そして形態がある、と。 ステイトメントでオブジェクトを問うとあるが、それも3つに分けて考える必要がある。 順番は西洋美術史という偶然で意味の後に物質があるが、地理的な問題かもしれない
2016-04-03 20:18:52![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
げんま「意味のレベルは旗が映ってる、物質レベルだとインク、形態なら四角だったりだが、その形態レベルで操作がされてるのが半田作品だ。
2016-04-03 20:19:27![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
半田「意味と形態の2つを繋げられなかったのは、「オブジェクト」としてしたことにも繋がるが、ロシア構成主義そしてバウハウス、彼らは作品をオブジェクトと呼んでいた。そこからきている。つまりテクノロジーから来てることだ
2016-04-03 20:21:29![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
半田「テクノロジーってのは前衛なんですよ。それこそ80年代と90年代の違いだ。 げんまの指摘は性質に迫れる指摘だが、コピペにこだわるのは、純粋なコピーは、絵や画像についてデジタル出現において初めて可能になった思う。
2016-04-03 20:22:30![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
半田「文字で構成される文章は多少変形しても意味は変わらないはずだ。文字は意味を変えずコピーが可能だ。しかし絵は、複製技術の発達があったとはいえ、デジタルまでは無理だ。 写真は印画紙を通すので光のゆらぎ現像液のゆらぎがあり、厳密なコピーは不可能だ。
2016-04-03 20:23:52![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
半田「デジタル出現でデータ上は数値変換され、デジタル特徴に3つあるそうだが、いずれにせよ数値化だ。 室井「画像についていえば、アナログで描いた絵をデジタルに持ってきた時同一かどうかわからない。 半田「それとは違う。はじめからデータで作られることでそれが複数できることだ
2016-04-03 20:25:34![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
げんま「半田は手で行う作業に執着している。その強調であればソフトウェアでやるほうが純粋で原理主義ではないか 半田「それは言われることだ。しかし自分で指示することでグリッチとの差異を言いたい げんま「そこに画家の未練があるのではないか 室井「まあ、グリッチではないですね。グリッチ風
2016-04-03 20:28:25