多賀城の復興に関する話

ツイート主がオペラ鑑賞後のお店で聞いた話。 ツイート数が多いのでまとめました。
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カラサワ @cxp02120

先週行った多賀城でのオペラ鑑賞、終わって会場の文化市民ホールを出たのが9時半。周囲は真っ暗で、食事が出来る店などもほぼ皆無。「地方交付金でこういうハコモノだけ建てても、文化は根付かない。周囲の環境も整えなきゃ」などという辛口批評が胸に浮かんだが、後で冷や水を浴びせられた。#多賀城

2016-04-04 12:46:28
カラサワ @cxp02120

ホテルの近くで一軒だけ開いていた居酒屋に飛び込んだが、満席。多賀城まで来て晩飯食いそびれるか、と暗澹たる気持ちになったが、その店のお姉ちゃんに教えられてたどりついた店のカウンターで何とか息をついた。60恰好の親父さんが一人で切り盛りしていたが、刺身、天ぷら、みな絶品。#多賀城

2016-04-04 12:47:28
カラサワ @cxp02120

マツモの酢の物と、牡蠣の天ぷら(どちらも塩釜産)を絶賛したら、どちらも震災後五年を経て、やっと流通が復活したとのこと。マツモは採っていたおばさんたちが多く被害にあって命を落としたこと、牡蠣は風評被害が原因だったとか。あと、岩手地鶏の手羽先、手羽元焼きが美味とも美味!#多賀城

2016-04-04 12:48:07
カラサワ @cxp02120

「多賀城まで何の用事で」と訊かれ、業界の先輩が関わったオペラを観にと答え、「ホールは立派だったけど、近くに入れる店がどこもなくて」と愚痴った。すると親父さん曰く「そうでしょうねえ。あの辺りの街は5年前の津波で根こそぎなくなっちゃいましたから」と。聞いて脇の下に汗が流れた。#多賀城

2016-04-04 12:48:29
カラサワ @cxp02120

オペラ見ながら、その会場の豪華さに感心し、よくこんな大きなホールを建てられたものだ、と思っていたが、それも道理で、津波で一切合切が無くなってしまった故に、ある意味いくらでも敷地はあったのだ。皮肉だが、それで土地が安く確保できたからこそこれだけのものが建設可能だったのだ。#多賀城

2016-04-04 12:48:42
カラサワ @cxp02120

震災から5年を閲し、記憶が薄れたとはいえ、あまりにホールが立派だったため、逆に震災の爪痕に思いを馳せることを失念していた。空腹にかられて、どこにも食事の場所がないことにちょっと腹を立てたが、そのこと自体、まだこの土地の傷が完全に癒えていないことを示していたのだ。#多賀城

2016-04-04 12:48:55
カラサワ @cxp02120

そのことを素直に詫びたが「いえ、無理もないですよ。こっちの被害は、被災地としちゃ軽微だったと言っていいんです。だからマスコミにスルーされた。彼らにとっちゃ、被害の大きい地域だけが飯のタネなんです」この地域の被害者代表メンバーもつとめたという親父さんのその口調は厳しかった。#多賀城

2016-04-04 12:49:22
カラサワ @cxp02120

「……じゃあ、まだそんな状況でオペラを上演するのは、地元の人にとってはあまり歓迎できないこと?」「いえ、とんでもない。いいことだと思ってます。マスコミも来るだろうし、そうなれば去っていった人たちも、“ああ、もうオペラやるくらい復興したのか”と考えて戻ってくるでしょう」#多賀城

2016-04-04 12:49:47
カラサワ @cxp02120

親父さんの復興論。「災害をね、特殊な体験と思う人が多いですが、それは一瞬のこと。その後うんざりするくらい長い、退屈な避難生活という“普通の”毎日が続くんです。被災者という立場に世間の……マスコミの、と言ってもいいけど、目は厳しい。楽しかったり喜んだりしちゃいけないんです。#多賀城

2016-04-04 12:50:31
カラサワ @cxp02120

「いわば牢獄の生活ですよね。そういうときにね、一番嬉しいのは芸能人ですね。炊き出しや奉仕が嬉しいんじゃない。そこに「普段会えない人」が来るのが嬉しいんですよ。普通の毎日がちょっと変わることが「毎日を変えられない」被災者には何より嬉しいんです。それで少しでも気分が浮き立つ。#多賀城

2016-04-04 12:50:51
カラサワ @cxp02120

親父さんの言葉には難しい単語は何ひとつ使われていないが、内容は深い。どこまでも深い。これをわれわれ文筆業の言葉で言えば人間には「非日常」が必要だということだろう。それも、日常にすぐ立ち返られる程度の非日常が。それが芸能人というものの存在意義だ。#多賀城

2016-04-04 12:51:06
カラサワ @cxp02120

「一番の被害はやはり津波ですか。それとも原発?」と訊いたら、吐き捨てるように「いえ、民主党ですな。特に菅直人。あれが一番の元凶です」と言い放った。常々ネットでは言われているし、私もそう思っているのは確かだが、地元の被害者代表団までつとめた人の口から出たその言は強烈だった。#多賀城

2016-04-04 12:51:36
カラサワ @cxp02120

民主党政権の悪口を言うのが目的ではないので採録は控えるが、親父さんの口から出る民主党議員たちの態度、無能さへの罵倒は熱い。「最近、党名変えてごまかそうとしてますがね、東北の人間の胸の奥には、あのときのうらみが染み付いてます。東北票がある限り、絶対政権復帰なんかさせません」#多賀城

2016-04-04 12:51:50
カラサワ @cxp02120

「日本人はあきらめが早い。特に東北人はそれが心の底にみんな染み付いてます。それがいまだに憎しみと、“あいつがトップでさえなかったら”という恨みが残っているのは、みんな、あの時の民主党の態度ですよ。あいつらは都市層の票で政権を取った。地方なんか視野に入ってなかったんです」 #多賀城

2016-04-04 12:52:31
カラサワ @cxp02120

「補償の審査で役人がうちにも来ましたが、タクシーで乗り付けて、審査は5分もやらない。屋根損壊だったんですが、屋根だけでは全部落ちても一円も出ない。「出ませんね」と言って終わり。“この度は……”という見舞の言葉もなし。怒鳴りつけてやりました。都市の役人なんてあんなものです」#多賀城

2016-04-04 12:53:17
カラサワ @cxp02120

「震災後、東北六県の知事会議が開かれて、その後記者会見があった。各県の知事たちみんな熱をこめて語っていた中で、岩手だけが、原稿の読み上げだったんです。さすがに途中で記者たちから「もういいです」と止められたな。あそこの議会はみんな小沢のロボットですから。自分で考えられない」#多賀城

2016-04-04 12:53:58
カラサワ @cxp02120

「あと、復興には絶対電気が必要ってことですね。自衛隊が持ち込んでくれた電源で、被災後初めて電灯が灯ったときの、あの安心感。明るいことがどんなに人を慰めてくれるか、しみじみわかりました。電気だけは止めてはいけません」……“たかだか電気”と言った文化人に聞かせたかった。#多賀城

2016-04-04 12:54:50
カラサワ @cxp02120

思えば不思議な一夜だった。ホール近くに一軒でも空いている店があれば、この居酒屋には入らなかっただろう。いくつもの偶然が、私をこの店のカウンター席につかせ、親父さんの飾らない言葉で、被災者の本音を聞くことになった。何かに導かれたような経験だった。#多賀城

2016-04-04 12:56:19
カラサワ @cxp02120

あの、豪華なオペラは、ひょっとして私をこの小さな店に連れてくるために上演されたのではないか。……そんな風に思えるほどだった。親父さんも不思議な感覚があったようで「お客さん、前に来たことないですか? 何かそんな記憶があるんだけどな」と言っていた。前の世での記憶かもしれない。#多賀城

2016-04-04 12:57:24