【実体語と空体語のバランス①】天秤の世界/なぜ日本人は狡猾であると思われるのか/”実体語”と”空体語”のバランスからなる日本教の不思議な世界「天秤体制(バランスクラシー)」

イザヤ・ベンダサン『日本教について~あるユダヤ人への手紙~』/実体語と空体語のバランス/天秤の世界/25頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【実体語と空体語のバランス/天秤の世界】前便で「全ては『一向宗』である」と申しましたが、今回は、この「一向宗」が日本教の中で、どういう状態で、どういう位置を占めているかを、検討してみたいと思います。<『日本教について―あるユダヤ人への手紙―〔イザヤ・ベンダサン〕』

2016-04-17 12:38:56
山本七平bot @yamamoto7hei

②日本人は狡猾であるという印象をもつ外国人は少なくありません。 が、同時に西欧人には当然であることが、日本人には狡猾と見える場合もあります。 後の場合は別の機会に譲ることにして、前の場合だけを取りあげて、なぜ我々がそういう印象をうけるかを、検討してみたいと思います。

2016-04-17 13:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

③もちろん、狡猾さが皆無の個人も民族も、現実には存在しないと思いますが、日本人が特にそう見えるのは、日本人が日本人独特の、不思議な世界に住んでいるからです。

2016-04-17 13:38:59
山本七平bot @yamamoto7hei

④これは非常に面白い一種の論理(とは言えませんが、ほかに言いようがありません)で形成されている世界で、簡単な実例をあげますと、 「安保条約は必要だ。だがしかし、安保反対を叫びうる状態も必要だ」 という一種の「考え方の型」といったものです。

2016-04-17 14:09:14
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤もう一つ例をあげれば 「自衛隊は必要だ。だがしかし、自衛隊は憲法違反だといいうる状態も必要だ」 となります。 この「考え方の型」は、単に、以上のような大きな政治問題だけでなく、小団体の問題から個人の日常の些事まで、全てに共通する「考え方の型」、いわば基本的な型です。

2016-04-17 14:38:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥これが時には与党・野党といったグループ間の半永久的平衡状態にもなり、また時には、一個人の内心の平衡状態ともなります。 従って私は、日本という世界は、一種の天秤の世界(もしくは竿秤の世界)であると考えています。

2016-04-17 15:09:12
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦そしてこれの支点となっているのが「人間」という概念で、天秤…の皿の方にあるのが「実体語で組みたてられた」世界で、分銅になっている方が「空体語で組みたてられた」もう一つの世界です。 pbs.twimg.com/media/B4JqY2iC…

2016-04-17 15:38:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧「実体語」とか「空体語」とかいう奇妙な言葉をお許し下さい。これ以外に言いようがないからです。 「実体語」は「空体語」に対比する為の言葉ですから、これは一応我々がいう「言葉」と同じだとしておきましょう…。

2016-04-17 16:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨これに対立する「空体語」とは、まさに天秤が平衡を保つため必要な分銅の役割をしている言葉とお考え下さい。 従ってこの「空体語」を無意味、無内容の言葉…と誤解されませんように。 pic.twitter.com/CtLlSDBcQl

2016-04-17 17:29:02
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山本七平bot @yamamoto7hei

⑩…分銅も…一種の実体ですが例え質量があり、かつ手で触れる事ができても実は一種の尺度であって、尺度にすぎないという意味では実体ではありません。 しかしそれでいて天秤を水平に保つにはどうしても必要であり、天秤皿の上の実体と同じだけの重さがなければ分銅になりません。問題はここです。

2016-04-17 17:30:16
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪「自衛隊は必要である」という「実体語」は口にせず「自衛隊は憲法違反であるといえる状態も必要である」という分銅の方を尺度として口にし、それによって天秤の平衡を保つ事は、例え口にしなくとも自衛隊の存在を認めて初めて言える言葉ですから「実体語」でいえば「自衛隊は必要だ」という事です。

2016-04-17 17:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫だがそれを「空体語」で言わないと、天秤は平衡を保てなくなってしまいます。 今まで申し上げましたこの「実体語」と「空体語」の関係を、日本人はよく、西欧の「理想」と「現実」の関係と混同します。 いや混同ではなく、同じ事だと思い込んでいるようです。

2016-04-17 18:09:11
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬そして困った事に、その日本人の思込みが今度は西欧人にも影響して、日本研究家の中にもこれを混同している人が沢山います。 言うまでもなく西欧では原則として「現実」という言葉で規定されているものを自分が現在立っているスタートラインとすれば「理想」はそのゴールを規定した言葉であります。

2016-04-17 18:38:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭従って論議は常に、言葉によって現実をどう規定するか、また言葉によって理想をどう規定するか、まずこの二つを規定してから、この「言葉によって規定された現実」から同じく「言葉によって規定された理想」までをつなぐ道を…どう歩むかを「方法論という言葉」で規定するという形になります。

2016-04-17 19:09:04
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮この場合、「現実」という言葉も「理想」という言葉も、共に同じく言葉である事は、議論をする場合の当然の前提ですが、日本人の場合は、この前提が既に違うのです。

2016-04-17 19:38:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯これを詳細に説明しようとしますと一冊の「日本語論」になってしまいますので、ここではただ、この差は「具体的」「抽象的」といった差とは全く別のものであり、そこで私が「実体語」と「空体語=分銅」という奇妙な比喩を使わざるを得なくなった理由であると申し上げるに止めます。

2016-04-17 20:09:16