4月22日 三笠の昔話

ロンドン軍縮会議閉会(1930) #三笠の昔話
1
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

今日は、ロンドン軍縮会議閉会の日(1930)です。 巡洋艦から駆逐艦にいたるまでの補助艦艇に対する軍縮規定が設けられましたが、この軍縮条約受け入れにより、日本海軍は軍備縮小という足かせのみならず、修復不可能な大きな禍根を残す結果となりました。 #三笠の昔話

2015-04-22 22:02:08
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

普段何気なく使っている「重巡」「軽巡」という概念が出来たのも、このロンドン条約以降。これは、去年ご紹介しましたね。 主砲口径で 8インチ(20.5cm)から6.1インチ(15.5cm)より大きい=重巡 6.1インチから5インチ(12.7cm)より大きい=軽巡 #三笠の昔話

2015-04-22 22:35:30
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

また、吹雪級(特型)駆逐艦の抑制のため、排水量が大きい駆逐艦の保有量にも上限が設けられました。それぐらい、吹雪級が世界に与えた衝撃は大きかった、ということでもあります。 そして、補助艦艇保有量は英:米:日=10:10:6.975。 #三笠の昔話

2015-04-22 22:38:21
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

なんかえらく端数が出ているな・・・と思った方も多いと思いますが、このわずか0.025が、日本海軍を真っ二つに割ってしまったのです。 というのも、当時、対米艦隊決戦で勝つには最低でも米海軍の7割以上の補助艦艇が必要という試算があり、これを割ることはすなわち・・・ #三笠の昔話

2015-04-22 22:40:38
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

対米艦隊決戦で負けることを是とする、ということにつながりかねなかったからです。 これがいわゆる「艦隊派」と「条約派」の対立の原因となり、内部分裂を起こした海軍は、陸軍の動きに対抗できるだけの体力を失ってしまったのです。 #三笠の昔話

2015-04-22 22:43:04
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

また、駆逐艦の保有制限を回避すべく初春級(大型規定を下回る)、千鳥型水雷艇(補助艦艇制限の排水量下限600tを下回る)が導入。 しかし、排水量に対し過大な武装を積んだことで無理が出てしまい、友鶴事件などの一連の不祥事を起こしたのはご存知のとおり。 #三笠の昔話

2015-04-22 22:53:05
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

また、ワシントン軍縮会議では加藤友三郎海相を派遣したのに対し、ロンドン会議では文官(若槻禮次郎元首相)が交渉に当たったのですが、これが「大元帥たる天皇の統帥権を侵す」すなわち統帥権干犯であるとの論調が議会で繰り広げられ、政局が混乱・・・ #三笠の昔話

2015-04-22 23:00:47
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

後にこの論理は「議会が軍政に口を差し挟むことは一切まかりならぬ」という論理に変貌して、議会ですらも戦争へ突き進む動きのブレーキになりえない、という状態が出来上がってしまったのです。 その結末は、ご存知のとおり。 #三笠の昔話

2015-04-22 23:03:25
戦艦だった三笠 @senkan_mikasa

最近「文民統制」が話題になりましたが あれほどに政治家が「文民統制」という文言に拘るのは、こうした過去の反省に立っているからに他なりません。 歴史を知ると、今がわかる。記念艦三笠に展示された資料からも、ぜひとも「今」を読み取ってください。 おわり #三笠の昔話

2015-04-22 23:06:52