追い詰められた人間の自殺は許されざる罪か正当な権利であるのかについての議論

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アトレティコ・アドリー @rrrt77

自殺とは自我が苦痛をこれ以上感じることを阻止するためにわが肉体ごと自我を消し去るという営為である。 自我を満たすために直属の身体すら犠牲にする。この部分で自殺とはある意味エゴイズムの究極ということもできる。

2016-05-03 09:08:39
アトレティコ・アドリー @rrrt77

同時に自殺を遂行したときに、自我はその肉体をどこまでも思うがまま操れるという意味における 真の所有者であることを証明する。 しかしながらこの所有とはあくまで刹那的なものに過ぎない。

2016-05-03 09:08:59
アトレティコ・アドリー @rrrt77

生命活動の停止とともに、あるいはより早い段階で自我たるものは消えうせ、残った肉体は微生物であったり 鳥や動物であったり、あるいはその放置を快く思わない人間の手でたちまち解体処理され

2016-05-03 09:10:05
アトレティコ・アドリー @rrrt77

尊厳も何もない形で炭素に戻されることとなる ゆえに自殺による身体の所有確認はストックではなく消費、あるいは浪費の形で進められる

2016-05-03 09:10:25
アトレティコ・アドリー @rrrt77

物質論的に生物を眺めれば、意思とは個体としてのそれを生きながらえさせ、 繁殖の成功を導きやすくするための知的回路が複雑化した結果の産物である。 しかしながらその集積は根幹部分に単純な反応とも演算とも異なる、「私」という主体を形成し、

2016-05-03 09:13:05
アトレティコ・アドリー @rrrt77

他者とは異なる独立した存在としての「私」をどういう方角に運んでいくかに関する情報処理を支配させる。「私」の宿る「私」の器を「私」として認識した上でこれにとって有利になる方向性への邁進=エゴイズムを発動するための動力源にして本体がこの自我とよべるものであるが、

2016-05-03 09:16:22
アトレティコ・アドリー @rrrt77

自我と生命体としての身体との目指す目的地は必ずしもイコールではない 人体に宿る自我は各種被圧のもと容易に傷つき 自分自身、あるいはこの世自体を価値のないものとみなし、 生きている行為こそが自分に害であると憎み、

2016-05-03 09:17:26
アトレティコ・アドリー @rrrt77

自らの肉体など殺してしまってかまわないと判断した上で実際その行為に移るが、 脳がこの裏切りを策謀している間もありとあらゆる細胞は「自己保存」という生命体としての本懐を果たすべく 複雑無比な代謝経路を駆動しているのであり、

2016-05-03 09:26:59
アトレティコ・アドリー @rrrt77

もしその努力一つ一つに目を配り、彼らの立場から眺めるのであれば、 生きる行為に意味などないと一人わめく自我など軽薄で滑稽な道化でしかないのかもしれない。 あるいは傍迷惑なバグを起こした不良品なのかもしれないし、 またあるいはその本質へ泥を塗る氾濫分子に映るかもしれない。

2016-05-03 09:27:36
アトレティコ・アドリー @rrrt77

しかしながら肉体が自分自身の生存確率を高めることを期待して自我という情報処理システムの主を生み出し 肉体を含め「私」のあり方すべてをこれに一任してしまった以上、

2016-05-03 09:28:31
アトレティコ・アドリー @rrrt77

物質反応の集積に過ぎない肉体は生殺与奪のすべてを預けなお不服を口にすることはできなくなる。 自殺は「自己保存」セオリーにしたがって生きようとする生命体としては止むに止まれぬ副産物であるということができる。

2016-05-03 09:29:08