- ryuseiasahina
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日本の身体性。
能的ガチガチさと
チェルフィッチュのふにゃふにゃな身体。
今の日本は身体性がふにゃふにゃだと言われるけど。 たとえば、能は禅の影響があったり、 芸道として精神修養として考えられて、 倫理観と結び付けられて考えられていて。 だとすれば、今のふにゃふにゃの身体は新しい倫理を作るのに良いのではなか。
2016-04-08 10:33:00Wけんじ企画。
戯曲は変でも、演技はリアルに。
休むこと、リラックスすること。
1日、稽古するより、 1日、散歩したり、温泉とか岩盤浴行ったり、日向ぼっこする方が、 演技が良くなることもあるのでは?
2016-04-14 11:36:27カガク、北限について。
『東京ノート』ではプロセニアムがまさしく、フェルメールの絵の額縁に例えられたけど、 『北限の猿』では、人間の生態を観察するためのガラス槽という感じ?
2016-04-14 23:03:13オリザさんの戯曲は全部そうかもしれないし、WSとかはまさにそうだけど、 何を言うかじゃなくて、どう言うか(トーンやテンポ)、どう聞くか(聞かないか)、関係性(上下関係、好悪関係)、(心理的・物理的)距離感、役としての緊張具合? とかの雰囲気と、 その変化を見る劇なんだなぁ、と。。
2016-04-14 23:06:12役の緊張ではなく、舞台に立つ役者としての緊張、お客さんに観られることによる緊張は、 その雰囲気の伝達の上で邪魔だから、 リラックスするべきなのかなぁ。
2016-04-14 23:07:31稽古をしてると、 自分の普段のパーソナルスペースの感覚とか緊張感を忘れちゃって、 どの相手に対しても似た距離感・親密さになっちゃうから、 ちゃんと役としての相手との関係性・距離感を思い出して、作らなきゃなぁ、 とか思った。
2016-04-14 23:10:39たぶん、太田省吾のトレーニングで何分も時間をかけて立つ、というのがあるのだけど、 それをすると普段使えてない小さな筋肉を使えてるような気がする。 繊細な作業が必要なのと、普段のスピードだと簡単にダメージを受けてしまう小さな筋肉を大きな筋肉が守ってるのが、守らなくなるからと想像。
2016-04-17 10:27:34なんか、ゆるくていいじゃん、内輪ノリでいいじゃん、 って思ったりする。 大学のサークルで、「え、それ、いーじゃんwww」 で進むことが多かった気がして。 心理学的にもポジティブな方がクリエイティブなアイデアが出る、ってあったはずだし。
2016-04-21 10:52:54浜辺で砂の城を作るような人生。 いつか、白亜の城になるか、 地球の核を掘り起こすか、 誰かのメッセージボトルが流れ着くか。 それとも、ただ波の音を聞き続けるか。
2016-05-07 22:59:58俳優の演技を見てる時、 「役として、緊張した演技をしてる」と思ったり 「役者として、緊張してるのかな」と思う時があって。 役=意志、役者=反射・生理、みたいに考えられるのかな。 面白いことがあった時、 素直な人は反射で明るく笑うけど、 シニカルな人は、意志で抑えつつ、鼻で笑う
2016-05-15 15:20:51松井周さんの2005年のユリイカ「この小劇場を見よ」の文章の冒頭に共感して。 松井さんは、どう見せたい、という意志が不徹底なまま、生理をそのままさらしてるのかな? 飴屋さんはどうだろう?生理は隠せないと知りつつ、あえて晒す意志なのかなぁ。
2016-05-15 15:24:01大学の頃、先輩で、演技が凄く上手いんだけど、 なんか、「役に逃げ込もうとしてるな」と感じる人もいて。 これ(役)を見せたい、という意志はありつつ、 自分そのままは見せたくないと思ってて、 自分を見せたくない、っていう生理が透けて見えたのかなぁ。
2016-05-15 15:27:39松井さんのユリイカ2005年の「この小劇場を見よ」の文章の冒頭は、 「本当のナルシストは鏡も見ない。ただ、(だらしない)自分が見られることを望む」 みたいな感じだったかと。
2016-05-15 15:29:44オリザさんの『都市に祝祭はいらない』で、現代口語演劇は演技として「畏れ、おののき、恥じらい」について、演技するべき、みたいなことを書いてるらしく。
2016-05-19 05:41:44少しずれるけど、 共演者と稽古場を共にすると、役同士の初対面の緊張とかがすり減って忘れられて、 役者同士の妙な親密さ・距離感のなさが出て、相手に対する恥や恐怖の感覚がなくなって、安易に感情を表に出しやすくなってしまうから、気をつけよう、 とか思ってたのを思いだした。
2016-05-19 05:43:48