自分用メモ。演技について、考えたこと。

自分用メモ。演技について、考えたこと。
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あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

上の口蓋に当てるように発話すれば高音が、下あごや首、喉を震わせるように発話すれば低音が出る。 普段の発話だと、どちらの音も出て和音になる。 「へー」とトリビアの泉のボタンのように、平坦に言うと協和音的。 「えぇ!?」と強い疑問を示すように言えば、不協和音的になるのではないか?

2016-05-19 17:33:57
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

歌うようなセリフ回し、は、 ・日常のセリフ回しよりも単純にスピードが遅い ・高音成分が多くなり、さらに協和音的になりがち(日常の発話では、常に低音が含まれ、不協和音成分が多い) とか、言えるのでは?

2016-05-19 17:36:07
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

「えぇ!?」に関しては、語尾が上がる、音程が上がることが重要であって、 不協和音ではないかも。 やっぱり、低音成分かなぁ。

2016-05-19 23:46:44
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

役としての緊張は表現しても、役者としての緊張は見せないほうが良い、 ということは、 スタニスラフスキーがリラックスすることの重要性を話したり、マイケル・チェーホフもユーモアについて触れてるから、 そう突飛な考えではないと思うのだけど。

2016-05-20 15:00:13
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

でも、役者としての緊張?が効果的に働く例もあるのでは?と。 黒澤明とか小津安二郎は、役者が疲れ切るまで稽古してから撮り始めたって聞くし (疲れ=リラックスかもしれないけど) 矢内原美邦さんとか、小さい劇場でやってた時の藤田貴大もそうでしょう。

2016-05-20 15:03:03
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

矢内原美邦さんは、台詞も叫ばせるけど、 今、アルトーの文章をほんの少し読んでて、彼も「俳優は叫べ」と言ってるなぁ、と。 アルトーの研究者の堀切克洋さんは、アルトーは役と役者の身体の乖離を批判したとしてるけど、 確かに、叫んでる疲れてる俳優は役以前に役者だなぁ、と。乖離はない

2016-05-20 15:06:22
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

矢内原さんの演出について。 疲れてる俳優は役を再現していない、と書いたつもりだけど、 2005年ユリイカ「この小劇場~」で桜井圭介さんが書いてる「リアル」も同じかな? 桜井さんはチェルフィッチュにも触れてて、僕の解釈だと、 ダラダラな動きが俳優の生理からでなく再現になってると。

2016-05-20 15:15:47
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

でも、ユリイカ2005「この小劇場~」で小澤英美さんは、矢内原さんの振付による身体は、 役と役者の身体に分けられない、刻々と変化する「リアル」みたいなことを書いてて。 ちょっと、言ってることが難しくて、分からない…。

2016-05-20 15:30:00
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

桜井圭介さんが、 矢内原さんの振付による、指示が多すぎてノイジーになる身体を「コドモ身体」 t3.rim.or.jp/~sakurah/shabi… と呼んでるそうだけど、 これって、オリザさんの『演技と演出』の「意識の分散」「負荷をかける」だなぁ、と。

2016-05-20 15:43:52
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

ただ、桜井さんは、この批評では、リアルかどうかではなく、 コントロール出来ない楽しさについて、書いてるのかな?

2016-05-20 15:45:13
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

桜井圭介さんの「コドモ身体」について、また別な文章。いいなぁ。 t3.rim.or.jp/~sakurah/kodom… 演技の分析って、あまり進んでない気がするけど、 ダンスを批評してる人の方が上手く出来るのかも。 あと、J的なサブカルチャー的なものを世界の文脈につなげる可能性を感じて。

2016-05-20 15:52:17
あさひなりゅうせい @ryuseiasahina

イヨネスコ「おどけた台詞をドラマ的に演じること。ドラマ的な台詞をおどけて演じること。」 役者は、大げさな誇張をしたり、登場人物になりきったりせず、自分自 身として舞台に立ってよいのである。

2016-05-24 22:21:31