「駅近で1DKで、この家賃は安すぎませんか…?」 ストレートに聞いちゃまずいって気持ちよりも、好奇心が勝ったんで、言葉を続けた。 「これ…いわゆる事故物件、ですよね」 「はい」 あっさり、担当員が返す。言葉を濁すわけにはいかないんだろうな。顧客には知る権利ってのがあるし。
2016-05-21 22:46:29「面白いじゃないですか、ここにします」 「ですがここは…それはもう、曰くつきの、とでも言うべき部屋でして」 「幽霊が出るってんなら大歓迎ですよ、ははっ」 自殺だろうと殺人だろうと、んなもんは過去だ。 血糊やら痕跡やらが残ってない限り、大した問題にならない。
2016-05-21 22:47:04めったにないお宝、逃したくないね。 「考えてもみてください。事故物件だということを考慮しても、この家賃は破格です」 「どういうことです?」 担当員が唾を呑んで一拍溜める。釣られて俺も唾を呑む。 「…出たがるんですよ。住人皆が」 絞り出すように、そう言った。
2016-05-21 22:47:32いかにも『出来れば言いたくないなぁ』って感じに、顔をしかめて。 「ここに住んだら不幸になるって噂が立って、住みたい人が多い代わりに、入れ替わり激しいんですよ。一ヶ月以内に出ないと死ぬ、とまで言われちゃって」 ☆ 「一ヶ月以内に出ないと死ぬ、だとさ。ムラサキカガミかっつーの」
2016-05-21 22:48:24ムラサキカガミ。20歳までに忘れないと死ぬとか何とかいう呪いの言葉だ。 いや、呪われる、だったか?まあいい。あんなの信じる奴いんのかね?小学校の時のクラスの女子は忘れなきゃ忘れなきゃって、ピーピー泣いてたけど。 「そいじゃ、おやすみー」 なーにが不幸になる、だよ。
2016-05-21 22:49:35俺は一日何事も無く過ごせましたとさ、めでたしめでたし、だよ。一ヶ月どころか永住してやらあ。 と、床に着いたところで。 蛇使いが蛇を呼び出すみたいな、耳障りな管楽器音。 「なんだあ…?ピーヒャラピーヒャラ、うるせえなぁ」
2016-05-21 22:50:12実際、薄い音なのでうるさいってほどではないんだが、睡眠妨害には十分だ。でも、近隣に住人はいないって話だったし…どういうことだろう。これが事故物件の呪いか? 「くっそー…せっかくの格安物件、ぜってー出てやんねーからな」 こんなことで出てくなら、最初っから住んでないっての。
2016-05-21 22:50:40今度、耳栓買ってくるかな。 ☆ 住み始めてから、早三週間。夜限定の騒音被害も、耳栓付けたらぐっすり眠れるようになった。千円もせずに解決するなんて、ショボい呪いだなあ。 「あっつ…そういや今日は夏至だったな」 昼の時間が最も長い日。日光が眩しいったらありゃしない。
2016-05-21 22:51:22日当たり良好、といっても良好すぎやしないだろうか。暖かいというよりはむしろ暑い。 「いや、どっちかっていうとこれは熱い…!?」 足元を見ると。 読まずに積んでた新聞紙が燃えている。 「うわっ!?」 慌てて傍らのペットボトルを――ってそれじゃ間に合わない、座布団だ。
2016-05-21 22:52:31座布団を火元に二度、三度叩きつけ、すんでのところで鎮火する。 深夜の演奏だけでも十分変だが、何もないのに火が出るなんて。この部屋は異常だ。 「もう出よう…安物買っても銭失うだけだ」 ☆ 「そういや、お隣がボヤ起こしたって?」
2016-05-21 22:53:15「ええ、新聞紙が発火したとかで。水の入ったペットボトルが、虫メガネみたいに光を集中したんでしょう。住人がいなかったのは幸いでした」 「最近は日が出る時間が長いしなぁ」 「それじゃあ、お邪魔しました。練習頑張って下さいね」 「ええ、そろそろコンサートなんで頑張ります。
2016-05-21 22:53:50ここは深夜まで練習できるから助かりますよ」 「こちらも助かってますよ、ははっ」 「…?」 「いえ、こちらの話です」 ☆ ムラサキカガミという言葉を20歳までに忘れないと死ぬ、という都市伝説がある。 言葉の意味はどうあれ、その思い込みが毒となることも。
2016-05-21 22:54:21