フロイトの精神分析について
- satori_moon
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今回は、19世紀後半にシグモント・フロイト(Freud.S)によって創始された「精神分析」についてと、それに関する様々な事柄についてまとめさせていただきました。 #心理学 #臨床心理学
2016-04-06 03:54:17まず、シグモント・フロイトは1856年に現在のチェコ共和国であるモラヴィアのフライベルクにて、毛織物の商人で三度目の結婚となる父親ヤコブ・フロイトと20歳のアマリア・ナターゾーンの間に産まれ、40歳になる異母兄の家族を含めた大家族の中で育ちました。
2016-04-06 04:02:45この家族関係が後のフロイトの提唱する「エディプス・コンプレックス」などに関係してきますが、今は割愛しまして、まずは「精神分析とは何か?」について説明していこうと思います。
2016-04-06 04:04:51ここでいう「無意識」とは、「人間の心の内にあるものの、自分でもその存在になかなか気づかない、過去に一度も自覚したことがないと思えるような心理・自分の気持ちの一部だと認めたくないような心理」のことをさします。
2016-04-06 04:10:11第2の定義としては、「治療の技法は、フロイトの精神科医だった時に神経症の患者を治療しながら神経症のメカニズムと治療法を研究したところが始まりである」ということです。
2016-04-06 04:13:34フロイトは「神経症の原因は心の無意識の部分にあって、その無意識的なものを意識的なものに変えると症状が消えること」を発見しました。 そして、「無意識的なものを意識的なものに変える方法」として「催眠暗示法」「催眠浄化法」「前額通利法」を経て、「自由連想法」を発見しました。
2016-04-06 04:16:46第3の定義としましては、「人間の心の動きに関する知識について、フロイトは『自由連想法』を使った治療を行うことによって、人間の心についての基礎概念を確立していった」ということです。
2016-04-06 04:20:23すなわち、フロイトは「人の心には無意識の領域があること」「人の心には本人が思い出したくないような不快な記憶を無意識の領域に押しやってしまう力があること」「神経症は心的外傷体験によって引き起こされること」などを理論化しました。
2016-04-06 04:22:32簡単に言えば、「精神分析」とは、「人の心に無意識があることを証明し、無意識を研究する方法を示したものであり、神経症の治療方法でもあり、それらから導き出された人の心についての理論のこと」です。
2016-04-06 04:25:05さて、フロイトが発見した無意識の存在についてですが、彼は1923年に「自我とエス」において、「心的装置(mind)」について心的構造論を発表しました。
2016-04-06 04:30:47また、フロイトは更に、このような心的エネルギーの三層構造における力動的な相互作用を支える人格構造として、「イド(エス)」「自我」「超自我」を設定しました。
2016-04-06 04:39:38「イド」とは、無意識に属するもので、心的エネルギーであるリビドーを解放し、その欲動を充足させようとする「快楽原則」と言われる機能を持ちます。 本能欲動的で論理性に欠き、最も古くて最も力強い衝動が存在する幻想の中核であり、依存や性的なもの・殺人・野心・競争心を含みます。
2016-04-06 04:43:52「自我」とは、「意識」の層に属するもので、「イド」によるリビドーの解放を調整し、現実に適応させる「現実原則」と言われる機能を持ちます。 現実検討力や時間感覚・思考過程をつかさどり、「イド」と「超自我」と外界現実の間を媒介する適応のための機関で、3つの力を平衡状態に保とうとします。
2016-04-06 04:50:35「超自我」とは、「無意識」と「前意識」の層に属するもので、「イド」によるリビドーの解放を禁止・抑圧する「道徳(理想)原則」と言われる機能を持ちます。 両親からのしつけが内在化されて形成された心の検閲機関であり、「自我」を監視し、道徳心・罪悪感・自我理想の機能を持ちます。
2016-04-06 04:53:51「自我」は「イド」の無意識的な欲求からなる圧力と、外界の現実・「超自我」からの圧力に常にさらされています。 三者の均等を保つために、「自我」は健康なはけ口を求めることもあれば、「自我」が不適切な防衛機制を働かせてしまい、心身の失調に至ることもあります。
2016-04-06 04:57:04つまり、「イド」「自我」「超自我」の力動的関係がうまく作用しているときは「適応状態にある」と言えますが、「イド」の欲動が過大だったり、「超自我」の機能が過大立ったりすることで、「自我」の機能が不全なものとなり、神経症などの「不適応状態をもたらす」と言うのです。
2016-04-06 04:59:54それでは、フロイトが提唱した「自由連想法」による治療までの道のりを説明していきたいと思います。 フロイトは1886年にウィーンで神経症患者のための病院を開業しました。 当時の神経症患者への治療法は休養療法・エネルギー療法・温水療法・冷水浴療法・マッサージ療法などでした。
2016-04-06 05:06:31病院に患者があまり来なかったり、無料で診ていた患者がいたりしましたし、開業した年に結婚をした彼にとっては自分の病院経営だけでは生活するのは厳しく、週3回ウィーン公立小児病院で小児神経科医として働いてもいました。
2016-04-06 05:11:14ウィーン公立小児病院ではそれまでの研究の功績が認められ、神経科医としては有名になっていきました。しかしその反面、彼の病院での神経症患者への治療はうまくいきませんでした。
2016-04-06 05:14:16