「遊び」について ~"café ludens"構想~

【関連まとめ】 ・「役に立つこと」と「面白いこと」の間 ~哲学カフェ@café ludensより~(http://togetter.com/li/1012472
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直立演人 @royterek

これもまた、目下構想中の"café ludens"の課題の一つである。

2016-04-12 02:03:08
直立演人 @royterek

「どのように知識を極めた者でも、子どもから教わることは出来る」(ユダヤのことわざ)

2016-04-12 02:17:59
直立演人 @royterek

友人のピアノ演奏会の「裏メニュー」として、天王寺のYMCAで「おもちゃひろば」を開催。3名のスタッフが3歳から小学3年生まで子ども10人とお相手。定員20名の半分だが、今回は「預かり制」故、これ以上増えたら大カオスになってたはず…。 pic.twitter.com/gjz98Og48r

2016-04-24 01:40:38
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直立演人 @royterek

一人ひとりの子どもとちゃんと向き合うには、一人につき3、4人が限度だと身をもって体験。一人の保育士が30人近くの子どもの面倒を見る保育園もあるそうだが、ちょっとあり得ない…。保育士の数増やさずに定員だけ増やすとか、さらにあり得ない… pic.twitter.com/liBjPZR8Do

2016-04-24 01:46:39
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直立演人 @royterek

幼い子どもたちと接していてスリリングなのは、「われわれ」大人たちと必ずしも同じ「常識」を共有していないことが大きい。よく言われるように、子どもというのは大人にとっての「他者」である。他者であるがゆえに、大人には予想もつかないアイデアの宝庫であり、「われわれ」を映し出す鏡でもある。

2016-04-25 16:27:47
直立演人 @royterek

子どもにとっての理想的な環境は、勝手に遊んで勝手に育つ環境である。だが、幼稚園や学校のようによく管理された制度的空間でもなく、安心できるか窮屈であるかのどちらかに偏りがちな自宅でもない第三の空間としての遊び場は、開発一辺倒の都市計画や過剰なセキュリティ意識とともに失われつつある。

2016-04-25 16:43:52
直立演人 @royterek

このことは、「われわれ」大人にとっても他人事ではない。

2016-04-25 16:46:55
直立演人 @royterek

子どもの日の昨日は、café ludensによる事実上のオープン企画第一弾となる「おもちゃひろば」を天王寺区勝山のオンガージュ・サロンで開催。「オープン」とはいえ、あっという間に定員に達してしまったので、実質はセミクローズドな会に。 pic.twitter.com/F4T7a4HoND

2016-05-06 02:21:49
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直立演人 @royterek

世界中の様々なおもちゃに打ち興じる子どもと大人たち。今回は大人のみの参加者も多く、世代間のコミュニケーションも大いに促進される。子育て経験のない大人たちは、子どもたちの圧倒的なパワーに押され気味の様子。ていうか毎日これなんですが…。 pic.twitter.com/8KkFQDBdpn

2016-05-06 02:39:02
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直立演人 @royterek

とりあえず、子どもも大人も一緒に遊んで楽しめるイベントである「おもちゃひろば」というのを不定期で開催することになったのだが、自分がその場を取り仕切る「最高責任者」ともなると、特定の誰かと夢中に遊べないのが残ねんと言えば残念である…。

2016-05-06 10:43:53
直立演人 @royterek

子どもと一緒に過ごすのが刺激的な経験となるのは、子どもが大人にとっての「他者」だからといったようなことを書いたが、それだけに留まらない。どんな大人もかつては子どもだったのだから、目の前の子どもと向き合うことは、子どもだったかつての自分ともメタ・レベルで対話する経験にもなるからだ。

2016-05-13 01:00:28
直立演人 @royterek

大学の「構内」を意味するcampusは、「野原」や「草原」などを意味するラテン語の"campus"に由来する。そして、野原や草原はしばしば「戦場」でもあったことから古高ドイツ語の"kampel"(喧嘩)という言葉が生まれ、それが後にドイツ語の"Kampf"(闘争)になったという。

2016-05-18 00:33:18
直立演人 @royterek

「遊びの文化人類学者」ヨハン・ホイジンガは『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』の中で、ドイツ語の「競技」(Wettkampf)が「ラテン語の『遊び場 campus』と賭け『ドイツ語Wette…』の二つが結合した言葉である」と述べ、死を賭することもあった競技と遊びの相同性を確認している。

2016-05-18 00:41:26
直立演人 @royterek

「つまりそこには、いまここで行われようとしていること――すなわち遊び――の象徴的確認と、緊張を内に蔵したその地点と、さらにそのことをえて冒険的に試みること、これだけの観念が含まれている」(ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』p.116)

2016-05-18 00:43:45
直立演人 @royterek

勉強が嫌いな子はいても、遊びが嫌いな子はいない。ここに遊びの本質の一つがある。

2016-05-18 12:39:43
直立演人 @royterek

「子供は大人の父親」(ウィリアム・ワーズワース)

2016-05-24 23:44:05
直立演人 @royterek

子どもと一緒に暮らすということは、毎日デモに遭遇するようなものである。

2016-06-03 03:00:11
直立演人 @royterek

「共生」という言葉はよく耳にするが、「子どもと大人の共生」ということは聞かない。

2016-06-03 03:01:33
直立演人 @royterek

「おもちゃひろば」を主宰する@cafe_ludensの目的の一つは、そんなささやかな「子どもと大人の共生社会」の実現である。

2016-06-03 03:06:31
直立演人 @royterek

「この素晴らしい世界では、遊ぶということほど分別のあることは出来ません。わたしには人生全体が一つの遊びのように思えます」(イプセン)

2016-06-03 10:50:43
直立演人 @royterek

「遊び場づくり」を生業にしようというアイデアについて話すと、果たしてそれだけでやっていけるのかと心配されたり、何か教育的なこととも絡めてみてはどうかといった提案をしばしばいただく。たしかにそう思われるのも無理はないかもしれない。

2016-06-28 02:49:07
直立演人 @royterek

けれども、私が「おもちゃひろば」ないし「カフェ・ルーデンス」に込めようとしているアイデアというかコンセプトは、その発想の前提において、教育的なものと不可分なのである。

2016-06-28 02:49:58
直立演人 @royterek

「遊び」こそは最高の教育であり、子どもの発育や成長にとって最も重要な要素の一つであり、これこそが現代社会において圧倒的に不足しているばかりか、真に必要とされていることではないかと私自身は考えている。

2016-06-28 03:54:26
直立演人 @royterek

もちろん、「それが商売として成り立つのか?」「どれだけ社会的に需要があるのか?」と問われれば、今のところ明快に答えられるだけの確固たる自信もそれ相応の経験もあるわけではない。

2016-06-28 03:56:50
直立演人 @royterek

とりわけ、遊びを他のあらゆる有用かつ有益なものと分離し、それを「真面目なもの」との対比で何か二次的でどこか非本来的なものと考える傾向のある社会にあっては、それ自体を生計の糧にすることは容易なことではないだろう。

2016-06-28 03:57:08