小説のアイデンティティをそこに求めるのも説得になってないかなとも思うんだよね RT @mikoteni //////とか(笑)とか(黒微笑)とか(怒)とか(汗)とかvとかwとかよくつかってる文書いてる人いるけどそういう記号とかをつかわずにどう表すかが小説だと思うんだよね。
2011-02-10 21:02:30小説に記号使う問題だけど、確かに使ってるの見るとあーあとは思う、大抵ヤバい、でも「略号を使わずにそれを表現するのが小説」と言うのはあまり美しくないなぁと思うわけです。縛りルール遊びではないはずでしょ?あくまで「そのほうがより表現したいものを表現できるから」そうするわけでしょ?
2011-02-10 21:09:21記号を使ってても地の文がほぼ存在しなくてもおもしろいものはおもしろい、それを小説だと無根拠にどうしても言い張ってるなら勉強してこいやって蹴り返すけど、あくまで表現したいものをより表現するということが重要なの。代替できる表現があるとかないとかは表面の形式を気にしたことにすぎない。
2011-02-10 21:13:59創作するときに形式のことを気にしたくはないんだよね。形式はものを書きたいなら活かすためのツールとしてどんどん学ぶ必要があるんだけど、とにかく書きたいものを書かねばならない。そのために今ある最善の手ならなんでも使いたいと思う。そういうアウトローな形式についてはいつも考えてる。
2011-02-10 21:18:35@marimouper まぁ結局、そのスタイルで面白かった試しがない(大抵ヤバい、とまりもさんが仰ってた通り)からで、結果論なんだとは思います。
2011-02-10 21:19:06例えばわたしが悩んで今でも決着をつけられていない問題だけど、語尾に「v(はぁと)」をつけること、これをさぁ、どう無理なく表現として意味のある代替をすりゃいいのさ?はぁとを外すとセリフのイントネーションが変わるじゃない。セリフのリズムが重要であればイントネーションが変わるのは致命。
2011-02-10 21:22:07@marimouper 記号略号を効果的に使える小説って、実はものすごく難しいんだと思います。前例がほぼないからテンプレ的な形式もなくて、自分が開拓者ですから。先人が整えてくれた形式に乗っ取って書くのは、知識があればできるものですし。
2011-02-10 21:23:23セリフの文にテンポがあるように、地の文にもテンポがあり、セリフと地の文、一話や全体のすべてを含んだテンポもある。音楽においてそれぞれの楽曲の歌詞内容だけでなく音律や編曲が違うように、表現したいものによってテンポが違って、「そのテンポとメロディと言葉」を書けてるかだと思うんだよなぁ
2011-02-10 21:49:04@marimouper @monocchi 私ちゃんと読んだことないんですけど、劇の台本がそのまま活字になっている本ありますよねシェイクスピアとか寺山修二とか。あれだって地の文はない会話形式ですけど、世間的評価が高いからか誰も否定はしませんよね。要は表現形式としての歴史かも…。
2011-02-10 21:49:33逆に言うといつも同じ表現のルールに縛られているのはクドい。その人の「味」として「なんかそうなっちゃった」っていうのは真実だからいい味出るんだけど、そういうクドさってなんか読み手にもわかっちゃって疲れるんだよね。力入れるとこはそこじゃねえだろってならないようにしたいんだ。
2011-02-10 21:52:22つうか、自分が自分の今使ってる形式範囲で、それを守ってるからってなんかスゲーいいものが書けてるわけでもないんで、それでマリモはそこんとこユルいって話かもしれんですけどね。記号使いが大抵ヤバいってのは事実だけど自分も大概ヤバいじゃねーかと。傾向とかじゃなく個人、個作品個表現ッスね
2011-02-10 21:55:50想像力の欠如…とか言い始めるとあれなんだけど、時代の変遷で生まれてきた新しい表現形式のひとつではあるんだよね。極端な例で言えば、現代人が古典の原文をそのまま小説として味わえるか、と言ったら基礎知識がないと☓でしょう(ニュアンスは読みとれる、とかは置いておいて)
2011-02-10 22:02:41現代小説が文章表現として完成された様式である、というのも時代と共に揺らいでいくわけで。RTしたお二人が仰ってるように、前例がない、表現形式として市民権を得ていないからこその現状の反応であって、もしその表現形式ですごい作品が出てきたら見方は変わるんだと思う。出てくるかは別として。
2011-02-10 22:08:02私はダレンシャンで字体を変えた太字の表現に遭遇して「え…小説としてこういうのありなの…?」と思ったタイプ。でもそれこそ源氏の雲隠れの章は白紙ページが続くだけなわけで、文章表現ではない。でもそれがすごく響く…という話だよね。でも後者は読者の想像の余韻のために仕掛けられた効果だね。
2011-02-10 22:31:24@marimouper 同じ表現ルールに縛られているのが作者独自の味ではあっても「くどい」「こだわるべきはそこじゃないだろ」の件ですけど、そこが波長の合う・合わないな気がします…。この人の作品はいつもこうだよなぁ、だがそこがいい!感というか。
2011-02-10 22:37:48.@o_sirukou42 うーん、「くどい」っていうのは、たとえば耽美い雰囲気をその作品で重視して書きたいなら耽美い言葉遣いしてもいいじゃないですか、でも別にそういう雰囲気を本人も書こうとしているわけではないのにその人の言葉づかいルールがカタすぎて妙に耽美ってたら違うなぁと。
2011-02-10 22:41:36.@o_sirukou42 たぶんわたしは波長とかっていうより、コンセプト狂なんですよね。おまえが本当に書きたいものを書け!そうじゃないものにウダウダ悩むな鬱陶しいぞ!もしくは書きたいものに向き合う努力をする情熱がないなら去れ目障りだ!みたいな暴言を全身から発しているわけで
2011-02-10 22:45:36@marimouper うーん、それはマリモさんの創作姿勢が<表現したいもの>以外は余剰の要素、だからじゃないですかね…。私も、それっぽい雰囲気を演出しただけで中身はたいしたことない作品ってあるなぁ、と思うことはあるので言いたいことはわかります…。
2011-02-10 22:48:32.@o_sirukou42 「表現したいもの」とか堅苦しく言ってますけども、テーマ性がある必要も別にないとマリモも思っていたりするんですよね。雰囲気が書きたいならそれが表現したいものだと思います。すべてコンセプトに直進していなくても「そこにあるといいもの」もたくさん書けばいいし。
2011-02-10 22:53:04@marimouper 雰囲気が書きたい、という意図でかいてるものばかりじゃないと思いますけど…^^;私が今思い浮かべたものは商業作品なので、商業的意図でやっているんじゃないかと…。「そこにあるといいもの」は主観に寄りますからあれですけども作者の主観に寄りそってれば、ですね。
2011-02-10 22:59:17「読者の想像力が豊かだから、簡潔な表現で楽しめる」んだとしたら、多分良いことだよね。でも、多分そうじゃなくて、「やりとりの面白さ」だけを楽しむ、その裏にある情景の美しさとか感情の細やかさとかは別に重視しない、作品ってことで、繊細さを愛する人たちには不服なのかな。
2011-02-10 22:07:57