債務・債権としての貨幣 貨幣は常に誰かにとっての負債である

名目貨幣(それ自体は何の使用価値ももたない貨幣)はなぜ流通・貯蓄価値を持つのか、を突き詰めて考えると、貨幣が信用取引(貸し・借り)を反映したものであるという理解に至る。
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望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

その結果として、ベースマネーは(生産物の信用取引としての側面は保持しつつも)形式上政府負債として処理され、銀行通貨(預金通貨)は、ベースマネー決済能力・義務を持つ銀行の負債として形式上処理されることになる。

2016-07-16 09:45:57
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

『通貨発行益を整理する 通貨発行それ自体は収益にはならない』 ⇒ amba.to/2bayRu4 #アメブロ @ameba_officialさんから ベースマネーは名実ともに政府負債であるから、政府にとってベースマネー発行が直接利益になることはない。

2016-08-23 07:53:27
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

「誰かの金融資産は、必ず誰かの金融負債である」という不可避的事実は、通貨においても例外ではないということである。ベースマネー(現金・日銀当座預金)は政府負債であり、銀行預金は銀行負債である。通貨が資産性を持つのは、政府あるいは銀行が通貨を負債として引き受けるからである。

2016-08-24 10:09:08
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

通貨の負債性がピンと来ないという方々は、実物と通貨を峻別して考えてみると良い。 本来、我々が獲得を目指し、効用を得ることが出来るのは、実物(財・サービス)である。通貨ではない。 通貨の獲得を目指すことが出来るのは、あくまで通貨が実物を獲得する手段として機能するからである。

2016-08-24 10:26:48
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

したがって、あらゆる収入は、実物の獲得であると理解しなければならない。その収入が即座に実物の獲得に回されるか(消費)、後の実物獲得に回されるか(貯蓄)の違いしかない。 利子収入も、本来は実物の獲得で実現すべきものであり、通貨獲得はあくまでその媒介手段に過ぎないと理解すべきだ。

2016-08-24 10:27:12
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

しかし、銀行では奇妙なことが起こる。銀行が銀行預金による利払いを受けると、帳簿上は銀行預金(銀行負債)の数字が減るだけだ。 銀行は債権を通じ、実物を獲得する権利を利子徴収という形で持っている。しかし、借入側は、銀行負債を提示することで、当該銀行債権を打ち消すことが出来る。

2016-08-24 10:28:18
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

つまり、利払いとは、利子徴収という銀行債権と、銀行預金という銀行負債の相殺取引であると見做すことが出来る。 利子徴収という実物獲得権を銀行預金によって帳消しにされるならば、銀行預金は明らかに銀行にとって負債として機能するものであると理解できる。

2016-08-24 10:28:40
望月慎(望月夜) @motidukinoyoru

以上の銀行の話は、銀行を(統合)政府に置き換え、利子徴収を徴税、銀行預金をベースマネーに置き換えることですぐさま国定通貨制度に近似することが出来る。 ポイントは、本来実物を獲得できる権利が、通貨の提出(そして通貨の消滅=償還)を通じて相殺されるというところである。

2016-08-24 10:29:29