「子どもに見せられますか?」という問いかけと都条例

これも私的まとめ。条例そのものは青少年の「性認識の歪み」などの「有害性」を根拠にしているけど、実際の議論は「道徳性」を軸にした話が大半のような・・・。
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wagu @wagu108

ある漫画を「子どもに見せられますか」という問いについて、ぶつぶつと。

2011-02-21 23:45:17
wagu @wagu108

ある漫画を「子どもに見せられますか」という問いについて、現実の局面では、その子どもの年齢、性別、問題となっている漫画を見たがっているか、その子どもと本人の関係がわからなければ、答えようのない問いである。

2011-02-21 23:45:59
wagu @wagu108

しかし、「子どもに見せられますか」と問われて、「さすがに、これはちょっと・・・」などど考えてしまうのもまた、あり得ることであり、逆にこっちの方が謎である。

2011-02-21 23:46:21
wagu @wagu108

この謎は、たぶんこういうことだ。「子ども」ということでぼくたちが何となく思い描く「子ども像」に対して、その漫画を見せられるかという一般的な問いに対して、答えようとしているわけだ。いわば、顔のない子どもたちのことを、この問いは対象としている。

2011-02-21 23:46:51
wagu @wagu108

この、個別の子どもを捨象した、子ども一般というのは、ロールズの「無知のヴェール」を連想させる。(続)

2011-02-21 23:47:39
wagu @wagu108

無知のヴェールとは、「自身の位置や立場について全く知らずにいる状態」を創りだす。個別の状況がわからないから、そこでの判断は、利己的な判断ではなく、全ての人の被害を最小化する正義の選択となる。(続)> http://p.tl/2U3u

2011-02-21 23:48:19
wagu @wagu108

しかし、無知のヴェールの議論と「子どもに見せられますか」という問いがまったく違うのは、前者は自分自身を無知のヴェールに包んでいるのだが、後者は無知のヴェールに包まれた「子ども」と、自分自身が別個に存在していることである。(続)

2011-02-21 23:48:55
wagu @wagu108

「子どもに見せられますか」と問いかけられたとき、ぼくたちは、無知のヴェールに包まれた得体の知れない「子ども」を頭の中で前に立て、ある漫画を子どもに見せていいのかと思案する。(続)

2011-02-21 23:49:22
wagu @wagu108

一方、ぼくたちはぼくたちで、「子どもに見せられますか」という問いにおいて、単なる個人の見解を聞かれているのではなく、一般的に大人としてどう思うのか、という見識を問われているように感じる。子どもとの具体的な関係がわからない以上、そうなるわけだ。(続)

2011-02-21 23:51:07
wagu @wagu108

つまり、「子どもに見せられますか」という問いにおいて、問われている大人は、ぼくやあなたではなく、大人一般としてどう思うか、という問いで、「大人一般」もまた「無知のヴェール」で包まれていると言っていい。(続)

2011-02-21 23:51:36
wagu @wagu108

つまり、「子どもに見せられますか」という問いは、その漫画を「大人一般」が「子ども一般」に対して見せるべきなのかどうか、あなたはどう思いますか?という問いである。(続)

2011-02-21 23:52:27
wagu @wagu108

つまり、ここで問われているのは、大人一般が「子どもは漫画に対してどのようにあるべきか」という規範意識、あるいは道徳性の問題である。(続)

2011-02-21 23:53:00
wagu @wagu108

ここでは、子どもがその漫画についてどう思っていようが、まったくどうでもいい。完全に大人の側の判断である。(続)

2011-02-21 23:53:36
wagu @wagu108

これは、「有害図書が一般に・・・青少年の健全な育成に有害であることは、既に社会共通の認識」とする岐阜県青少年保護育成条例事件の判例に通じる。「有害」なんて証明されてはいない。大人一般は子ども一般に見せない方がいいと思ってるだろうという、ただそれだけの話だ。(続)

2011-02-21 23:54:05
wagu @wagu108

都小P 新谷会長「でも、私たち親の感覚では、『データはあるのか』と言われること自体がありえないですね。素直な親の感覚として、こういうものが規制なしで存在すること自体が問題なのであり、例えデータがなくても子どもを守るために読ませたくないという気持ちです。」(続)

2011-02-21 23:54:36
wagu @wagu108

「私たち親の素直な感覚」これには、実在する、あの子ども、この子どもと、「私」のリアルな関係性は含まれない。個別の問題を捨象して規制の論拠とするならば、そこには統計的なデータが必要である。(続)

2011-02-21 23:55:15
wagu @wagu108

私はこんな漫画は自分の子どもには見せたくないと言う人は、自分の子どもに見せなければいいし、それが子育てというものだろう。そう思ったからといって、それを子どもたち全てに見せるべきではないと思うのは、どうかしている。(続)

2011-02-21 23:55:55
wagu @wagu108

データがいらないと感覚的に思えてしまうのは、それが道徳的な信念だと言うことなのだろう。(続)

2011-02-21 23:56:32
wagu @wagu108

都条例や、有害図書指定を推進したのは、こういう大人の「感覚」であって、証明された有害性ではない。規制の根拠は、有害性ではなく、大人の側の規範意識なんだろう。で、それは子どもの知る権利を制限するに足るものなのか。(続)

2011-02-21 23:57:08
wagu @wagu108

都条例や、有害図書指定を推進したのは、こういう大人の「感覚」であって、証明された有害性ではない。規制の根拠は、有害性ではなく、大人の側の規範意識なんだろう。で、それは子どもの知る権利を制限するに足るものなのか。(続)

2011-02-21 23:57:08
wagu @wagu108

もちろん、市民の規範意識は、考慮に入れられるべきであって、全ての表現が無秩序に氾濫していいか、と言われればそうではないと思う。ただ、それが道徳性に由来する規制であって有害性に由来するものでないと認識されれば、規制のあり方は違ったものになるはずだと思う。(終わり)

2011-02-21 23:58:34
wagu @wagu108

都条例が表向き、青少年の認識の歪みという有害性を論拠として青少年の知る権利を制限しているにもかかわらず、その推進には、道徳性が論拠として用いられたというのは、それ自体が問題だと思う。

2011-02-22 00:03:33
wagu @wagu108

まあ、岐阜県青少年保護育成条例事件の判例自体が、有害性と道徳性を混同している節があるので、言ってもしょうもない話なのかもしれない。でも、それってどうなの?

2011-02-22 00:06:19
wagu @wagu108

「子どもに見せられますか?」は具体的に想定しうる全ての子どもについて、誰が見ても何の問題がないかどうか、を問うている、というakindonightさんの見解は支持する人が多そうです。 http://togetter.com/li/104249

2011-02-23 22:56:07
wagu @wagu108

「全ての子どもについて、誰が見ても何の問題がないかどうか、を問うている」という基準で考える場合、子どもに見せられるかどうかの判断基準は非常に厳しくなると思われる。

2011-02-23 22:57:41