「紀要」の問題と課題
- washou3956
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緒語:「紀要」への評価
RT 紀要論文、たんにウェブ公開で参照されやすいというだけでなく、内容的にもすごいというか、最先端になっているものはけっこうある。 これは歴史学とか、そのなかでも日本史とかに限った話なのか、どうなのか。
2017-12-06 21:40:41以下、久しぶりに連投します。日本史という学問のなかで、著者が自由に書くことを許す「紀要的なるもの」(必ずしも狭義の紀要のみに限らない)が重要だという点について。 twitter.com/am2nkm_A/statu…
2017-12-06 23:25:12研究者の業績としては、査読雑誌(のなかでもとくにメジャー誌)が評価されるから、そういうものに載せたいのが人情だが、どうしても査読雑誌だと、分野のごく近い研究者だけではなく、(少なくともその雑誌の編集委員会を構成するような)幅広い範囲の研究者にも「研究の意義」が伝わるように→
2017-12-06 23:25:57→書かなければ、なかなか掲載してもらえない。たとえばとある時代の、何かの個別研究をやっているとして、その研究がなぜ必要なのかという点について、他時代の研究者や、場合によっては他国史の研究者の方にもわかるように論理立てをしなければならない。
2017-12-06 23:26:29ただ、そういう縛りの中で書くと、往々にして主張が先鋭化しやすく、極端になりやすい面もある。「〇〇はAである」との通説があり、そうではない例をある程度発見した場合、事実に即せば「〇〇は必ずしもAとは限らない」「〇〇はAでない側面も持っていた」とか書くのが常道のはずだが、→
2017-12-06 23:27:16そこをあえて「必ずしも」を取り去り、「〇〇はAではなかった」「〇〇はB(Aの対義語)であった」のように書いてしまう、というような感じで。こういう論法は一般書でも多いが、実際のところ、査読雑誌でも(査読側から求められたりして)そうせざるをえないようなことがままある。
2017-12-06 23:27:39とはいえその一方で、歴史学というのは、学説史上意義深いかそうでないかにかかわらず、事実(により近いと思われるもの)を蓄積することを重視する学問でもある。だから、最終的には「〇〇は、まぁ全体的にいえばAなんだけど、そうじゃない側面もあるよね」という全くおもしろくない結論や、→
2017-12-06 23:31:05→「〇〇はAだとかBだとかいわれているけど、どちらの説もそれほど根拠があるわけではないよね」とかいう元も子もない指摘が、「研究の到達点」になったりする。正直言ってこういうのは、よほど学界の注視を集めた議論でない限り、査読雑誌には載りにくいのではないか。
2017-12-06 23:31:42あと、ただ史料を集めるだけ集めて多角的に検討して、それで最終的な結論を出すことには多くの留保を付しておくような論考とかも、それが初めての試みならある意味「研究の到達点」といってよいと思われるが、こういうのもよほど注目を集める内容でなければ査読雑誌には載りにくい。
2017-12-06 23:32:49だから、とくに日本史という学問にとって、著者がある程度自由に書くことを許す「紀要的なるもの」(必ずしも狭義の紀要のみではない)で、そういった意味での「研究の到達点」が示されることは、非常に重要なことだと思っている。
2017-12-06 23:35:14あと、枚数の問題も。査読雑誌を含む多くの媒体では、字数・枚数に制限があるのが普通。ところが紀要類は、枚数にゆとりのあるものも多く、なかには制限がない(と思われる)ものも。長大な表を載せたり、註が300とかついているものをみるとただただ圧倒されるが、そういうのが発表できる場も大事。
2017-12-06 23:36:00研究者の評価としては査読雑誌が優先されるのは、他分野との関係上仕方のないところだけど、それでもこういう媒体がなくなれば、少なくとも日本史の研究はとても薄っぺらくなると思う。そういうわけで、「紀要的なるもの」、とても大事だと思っているという話でした。
2017-12-06 23:36:30一応申し上げておきますと、査読誌批判ではないです。 さまざまな役割をもつ媒体が、共存していることが大事だと思っています。 紀要などの非査読の業績を軽視する分野も多いようにみえたので、ちょっとぐだぐだと書いてみました。
2017-12-06 23:48:39人文・社会科学系の場合、依頼原稿(本の分担執筆か学術誌の論文や書評)、大学の紀要、学術誌の査読付き論文、単行本(単著、共著、編著)など、使用言語を含めて研究業績の出し方はいろいろある。目的に応じて、どの媒体でどういう文章を発表すべきかは異なる。どれが良いかは価値観にも左右される。
2019-05-02 11:24:58最近機会があって18世紀の科学アカデミーの紀要と査読の問題について文献を読んだのだけど、18世紀の時点で出版の可否に厳しい査読を確立したのはパリ王立科学アカデミーで、それは特異なことだったとわかった。大半のアカデミーが「活動報告」として紀要を出していた
2015-09-01 12:27:29「紀要」の査読有無の是非
紀要論文のあり方 - 死んで花咲くデッドボール http://ow.ly/3wMY6 「査読に耐えられそうにない悪い内容の論文を、・アリバイ作りのために利用」「学会の多数派には認められないだろうけど・光っている・(書式やページ上限)にとらわれない自由な意見」紀要の意義を再検討する
2011-01-02 00:10:18論文が査読か依頼か紀要かなどは形式的なことで、本当に重要なのは、論文から伝わる研究の信頼性や誠実さだろう。発表媒体の種類や言語、量などで評価が決まるほど、表層的で甘い世界ではない。
2018-10-09 21:48:35実は紀要の中にも査読つき、さらには一般のジャーナルを超える厳しい査読を備えたものがあり、そうした紀要の場合であれば当然掲載される論文のクオリティも高くなるが、それでも「紀要は紀要」の扱いを受けてしまうため評価としては低くなる、という悩みごとを紀要の中の人から聞いたことがある。
2019-05-04 09:27:59ただしそれが紀要である必要があるのか、紀要の役割ってなんだろうか、みたいな疑問を提示される方もおられ、特に紀要に査読は必要ないのでは(そういう論文でも載せておくことに意義があるのでは)という主張も見るにつけ、なにかうまい具合のオルタナティブはないものかと金のことも含め考える。
2019-05-04 09:33:05紀要掲載論文公開にともなう査読誌掲載論文の参照数低下と学会の課題
学生にざっさくプラスやCiNiiを教えると、まずオンラインpdfがある紀要論文しか読んでこないよ。査読つき学会誌も全部無料公開にしないとダメなんじゃないかと思う。
2015-03-17 14:10:52