自然科学用語のメタファーとしての使用
@ainsophyao まあ、メルトダウンはさすがに極端な例ですが、しかしこれだけ人口に膾炙すると、かなり色々な使い方が生まれそうな予感はします。「神風」が幾つかの言語で「自爆テロ」の意味を表すようになってしまったくらいの多様さを目の当たりにすることはあるかも?
2011-06-18 14:33:30@shinjike 数式の形が似るので、温度を虚時間(時間*虚数単位)と扱うことがあります。ナイーブに善悪概念を持ち込んでしまったのは失敗ですね。良いメタファー悪いメタファーという差は、両方をよく理解して喩えたか程度のものではないかと思っています。 @okisayaka
2011-06-18 17:20:35@shinjike そこでいう基礎付けというのはどういうことでしょうか。例えば、quark はフィネガンズ・ウェイクのカモメの鳴き声から取られていたと思いますが、どちらも三と縁があるくらいしか関係はないと思います。 @okisayaka
2011-06-18 17:21:46@okisayaka メルトダウンがメタファーとしてどういう意味になるのか(ダメになる程度?)分からない上に、私のコアの専門分野では使われませんので、自信をもっては言えないのですが。正直、このメタファーの使用に対して批判する科学者というのは考えにくいのですが、いるのでしょうか。
2011-06-18 17:23:32@okisayaka つまり、一般論として自然科学に詳しい人のメタファー関係の批判の多くは、メタファーの使用についての批判ではなくて、メタファーの使用方法から浅はかな理解をしていることが分かるから批判、あるいは面白がっているように思います。 http://t.co/CC2smja
2011-06-18 17:25:37補足:リンク先は@okisayakaさんの発言「ええ、メタファー使用者には修正する義務はありません。(以下略)」の引用
@ainsophyao 基礎づけにも数学的なものや実験・シミュレーションによるものなどあると思いますが、当科学理論内部で整合的であることくらいに捉えていただければと思います。名前のメタファーを念頭に議論していると思ってなかったので議論がすれ違ったかもです。 @okisayaka
2011-06-18 18:07:45@ainsophyao 科学にとって重要なのは、ある事象につけられた名前のメタファーによって、その名前のallusionから科学がそれによって説明したい内容を曖昧素朴に捉えることではなく理論内部でのその用語を厳密に使用でき応用しうることにあると思っています。 @okisayaka
2011-06-18 18:23:20@ainsophyao しかし当科学的事象を捉えるに際し、良いallusionを与える日常的メタファーも、実践的や認知的な効果の上では欠かせない重要なファクターだと思います。「両方をよく理解して喩える」のが、良いメタファーであるという意見には、同意しています。@okisayaka
2011-06-18 18:26:01@ainsophyao 超準解析のモナド(無限小近傍)などは、標準的点の無限小近傍に無限個の点を含みうるので、いくらかニュアンスはあるとはいえ、ライプニッツのモナド概念とは異なりますし、後者の理解が数学理論におけるモナドの理解につながるとはあまり思えないです。@okisayaka
2011-06-18 18:27:58@ainsophyao @okisayaka 先のモナドの例は、ややもすれば、むしろ混乱を与えかねないものになっています。ライプニッツのモナド概念が、論理的・数学的に実装されているわけでは、ありませんので。超準解析を作ったロビンソンは、ライプニッツについてかなり研究してましたが。
2011-06-18 18:31:40@shinjike @okisayaka 取り急ぎ末節への反応ですが、私も数学における哲学用語の濫用事例として、モナドやカテゴリー論をあげようと思っておりました。あのあたりは、あまりよい用語の仮借(ん、仮借? 転用?)ではないように思いますので、よい思考の材料になるかと思います。
2011-06-18 18:46:42@ainsophyao 人のお楽しみを止めるほど野暮ではないので、それ自体は特に反対しません。まあ、私も実は逆の立場から似たようなことをやっているわけですから。 >つまり、一般論として自然科学に詳しい人のメタファー関係の… (cont) http://deck.ly/~uJCUr
2011-06-18 21:40:26@ainsophyao 別にメルトダウンには拘らないのですが、もともとのツイートの発端は、内田樹の「メルトダウンする言葉」という表現に対する反応を見たことでした。ただ、この言葉に対する一連の反応を細かく追い切れているわけではないので、少し記憶が曖昧な点はあるかもしれません。
2011-06-18 21:52:58@shinjike @ainsophyao ご説明ありがとうございました。恐らく、お二人と私で若干違うのは、この「良い」という評価をどの程度まで使うか否かというところであるようです。 >「両方をよく理解して喩える」のが、良いメタファーであるという意見には、同意しています。
2011-06-18 21:56:10@shinjike @ainsophyao 確かに二つの分野AとBが言語とその文脈を共有しようとする意図があるのなら、そしてそれが双方の構成員にとって有意義であるのなら、そのようなメタファーが「良い」ものであるのは間違いがないと思います。
2011-06-18 21:58:48@shinjike @ainsophyao しかし、ここで歴史家である私は、実際の社会における分野間の権力関係の問題を考えてしまいます。そしてそれを、社会言語学的な、異なる言語集団同士の権力関係に投影して考えずにはいられません。
2011-06-18 22:00:12@shinjike @ainsophyao すなわち、分野Aと分野Bを構成する諸集団の間に社会的な権力関係があり(例えば国家からの資金投下量の違いなど)、それが分野A>分野Bである場合、敢えて分野Bが分野Aと言語を共有せ… (cont) http://deck.ly/~dNyaH
2011-06-18 22:05:25全文:@shinjike @ainsophyao すなわち、分野Aと分野Bを構成する諸集団の間に社会的な権力関係があり(例えば国家からの資金投下量の違いなど)、それが分野A>分野Bである場合、敢えて分野Bが分野Aと言語を共有せず、分野Aを裏切るような形で独自の表現体系を作ることは一種の「創造的行為」たりえないだろうか?などと思ってしまうのです。
@ainsophyao @shinjike 他方で、モナドやカテゴリーについてライプニッツ学者と数学者が話し合える地平が開けることは美しいとは思います。哲学と数学にはそのような共有の場が確かにあるのでしょう。ぜひ、実り多い対話を続けていっていただければと思います。
2011-06-18 22:07:01@ainsophyao @shinjike 失礼、カテゴリーはアリストテレスの名をあげる方が適切でした。
2011-06-18 22:08:06