神経科学と日常概念―リベットの自由意志研究をめぐって―
.@iklog @frroots これについては ぼくは 同意しますし,デネットも 同意するでしょう.リベットの 意識的な 拒否の 可能性に もとづき,自由意志を 擁護する 議論は 科学的基準から いっても 非節約的で あやういものです.
2011-08-26 01:21:07.@iklog @frroots ただ みなさんの 議論で アンフェアに 感じるのは,リベットの 議論自体,非両立論の 哲学的背景に もとづくものであり,「神経科学者の」混乱と なざすべきものではないと おもいます.この 混乱は ともに 解決すべき 問題のように おもいます.
2011-08-26 01:22:19@shokou5 @frroots 私はリベットの議論を「神経科学者の混乱」だとは思いません。そもそもリベットの混乱を指摘したのは神経科学者でもあったとも聞いていますし。『マインド・タイム』を読んだときには「哲学的概念を説明してくれる友達はいなかったの?」とは思いましたが。
2011-08-26 01:30:08@iklog なるほど。理想的な図式ではありますね。補足すれば、前者に関しても、生理学的機構そのものが心だと思い込まないように哲学者は脳科学者を牽制?することもできるかと思います。前者でその機能がうまく働かないと後者での連携も難しくなる気がしますが。
2011-08-26 01:31:22@iklog その 話題は ソファで しましたね.であれば,なんら いうことは ありません.@frroots さんの 議論から 多少 感じたことです.
2011-08-26 01:33:35明快に 区別できれば 簡単ですが,科学の 実践における 区別は 脳という システム上 困難に おもいます.RT @iklog @mskota 神経系の仕組みとか、その生物学的、遺伝的基盤などについての研究成果と、それを我々の行為や心に関する日常的カテゴリーと結びつける試みとを区別
2011-08-26 01:36:34@shokou5 自分の言葉を見返しているのですが、「神経科学者の」混乱と発言した箇所が見つけられません。もしあったら、いきすぎた発言だったと思うのでお詫びします。私が問題にしていたのはあくまで「リベットの」です。 @iklog
2011-08-26 01:37:12うっ、確かに明確な線引きは難しいと思いますが。とはいえ大まかにはわかるのでは。このへんはわかってるけどこのあたりはちょっと概念的問題だ、とか。RT @shokou5: 明快に 区別できれば 簡単ですが,科学の 実践における 区別は 脳という システム上 困難に おもいます…
2011-08-26 01:43:01.@frroots それは 失礼いたしました.はっきりと,引用したわけではなく,ながめていての,印象論でした.@iklog さんの おっしゃる とおり,その くらいの 概念に かんする 精査は 神経科学内部にも ありますよ,程度の つっこみでした.
2011-08-26 01:43:07@shokou5 なるほど。そうした議論は知らずに私は発言していたわけなので、その点は失礼いたしました。 @iklog
2011-08-26 01:46:43@shokou5 他方、ご紹介いただいたHaynesたちの論文のshokouさんによる読解における「意図」のあつかいかたにも同様の問題を感じる部分はあり、その点では単純に「現在では神経科学も進歩して問題は消えている」とも言いにくいのではとも思っています。 @iklog
2011-08-26 01:47:47@iklog そうですね,イージーな 部分と ハードな 部分は 研究者自身 自覚は ある程度 できているとは おもいます.ただ,ハードな ほうへ すすまなければ,神経科学として 進展は ないですし,そこでは 常に リベットが ひきおこしたような 問題が うまれるでしょう.
2011-08-26 01:55:20@frroots こちらこそ 印象論で 失礼いたしました./「意図」,「自由意志」については またの 機会に まわすとして,あの 結果は,概念的問題を こえて,行動の 予測・制御に 応用可能性など,もっと ひろい 射程で かんがえるほうが いいように 最近は おもっています.
2011-08-26 02:01:01