高橋源一郎氏自身による、’’新著『悪と戦う』メイキング’’
メイキング12の6…ぼくはずっと、『まっぷたつの子爵』のような本を書きたいと思っていました。そんな小説が書けるようになるまで三十年近くかかったのです。そう、だから、『「悪」と戦う』は、少年文学といってもかまいません。誰よりも子どもたちに、ぼくは読んでもらいたいと思っています。
2010-05-13 00:19:32メイキング12の7…『「悪」と戦う』はこんなお話です……登場するのは子どもだけ。ランちゃんという3歳の少年、ランちゃんの弟でことばをしゃべれない2歳のキイちゃん、それから、おそらくランちゃんより1つか2つ年上で顔に大きな障害を持つ女の子ミアちゃん、そして空を飛べるもう一人の女の子
2010-05-13 00:25:07メイキング12の8…気がついた時、世界からすべての人影が消えています。なぜなら、「悪」がやって来て、世界を空っぽにしてしまったから。「世界」を取り戻すために、子どもたちは出発します。しかし、彼らは、どうやって「悪」と戦えば、「世界」を取り戻すことができるのか知らないのです。
2010-05-13 00:30:57メイキング12の9…実は、書き始めた時、ぼくも、どうすれば、「悪」から「世界」を取り戻せるのか知らなかったのです。そんな馬鹿なと思われるかもしれませんね。でも、小説では、そういうことがよく起こるのです。作者はなにもかも知っているわけじゃありません。いや、知らない方がいいのです。
2010-05-13 00:33:24メイキング12の10…なにが起こっているのかわからないからこそ、作者もまた登場人物たと同じように、生き残るために、その「世界」がどんな法則で動いているのか真剣に探ろうとする。耳をすまし、五感をとぎすませて、そこがどんな「世界」なのか知ろうとする。そこでは作者もまた読者にすぎません
2010-05-13 00:37:20メイキング12の11…ランちゃんたちは、「悪」と戦い続ける。それがどんな戦いなのか、当人たちにも理解できない戦いが続くのです。もしかしたら、彼らは負けて、ついに、「世界」は取り戻せないのかもしれない。書き手であるにもかかわらず、ぼくは、時に不安になったりもしたのでした。
2010-05-13 00:43:33メイキング12の12…いえ、不安はありませんでした。ぼくはずっと作品の中で鳴り響いている「A の音」に耳をすませていたのです。パソコンに向かい昨日まで書いた箇所を開き、最初から読み直してゆく。「現実」の世界にチューニングされていた心が、『「悪」と戦う』の「Aの音」に合わされてゆく
2010-05-13 00:48:16メイキング12の13…そうです。ぼくが大好きだった本を読む時のように、自分が作り上げた世界であるのに、ぼくはその世界の「Aの音」にチューニングすることに、深い喜びを感じていたのでした。ぼくは、ランちゃんやキイちゃんたちに「世界」を取り戻させてあげたかった。「八百長」なしにです。
2010-05-13 00:51:43メイキング12の14…「八百長」とは、作者が自分の世界の王として振る舞うことです。自分の作った物語だからといって、恣意的に介入する。それは、その作品を壊してしまうことになる。ぼくにできることは、登場人物たちの戦いを応援することだけでした。ぼくも、彼らの戦いに参加していたのです。
2010-05-13 00:55:20メイキング12の15…最後に、彼らはあるものと出会います。それから、大きな結末がやってくる。そこでなにが起こるのかいちばん楽しみにしていたのは、そして不安に思っていたのも、書いている当人だったかもしれません。物語の最後のパートを書きながら、ぼくは三十年前のことを思い出していました
2010-05-13 01:01:10メイキング12の16…その頃、デビュー作となる『さようなら、ギャングたち』という小説を書いていたぼくは、結末の部分にさしかかっていました。ぼくは、その物語がハッピイエンドで終わるべきだと考えていました。そしてその方向へ作品は進んでいるはずでした。しかし、ぼくは突然気づいたのです。
2010-05-13 01:04:30メイキング12の17…ずっと『ギャングたち』から聴こえていた「Aの音」が聴こえなくなったのです。呆然として、けれども、書き進むしかありませんでした。ぼくは死に物狂いで「論理的にはこうなるはずだ」と考えて書くしかなかったのです。なにも聴こえなくなったベートーヴェンのように。
2010-05-13 01:09:09メイキング12の18…最後まで「Aの音」は聴こえていました。登場人物たちは、彼らがたどり着くべき場所に送り届けることができました。ぼくは、彼らを誇りに思っています。『「悪」と戦う』が、みなさんにとって何十度となく読み返すことのできる本でありますように。聴いてくださってありがとう。
2010-05-13 01:23:40今日の予告編・1…こんばんわ。メイキングオブ『「悪」と戦う』も、今夜でお終いです。今日、本が店頭に並び始めたばかりなのに、ずいぶんたくさんの方から「読んだ」というお返事がありました。速いなあ。ほんとうは、静かにして、みなさんの読書の邪魔にならない方がいいのかもしれませんね。
2010-05-13 23:41:41予告編2…こうやって出版の日に向かって一日一日期待を高めてゆくのは(いちばん楽しみにしているのは作者のぼくなんですから)、もしかしたら、昔を思い出しているからかもしれません。本を読み始めた頃、みんな「ああ、『洪水はわが魂に及び』の発売まであと何日だろう」なんて思っていたものでした
2010-05-13 23:47:49予告編3…『「悪」と戦う』について必要なことはもう書いてしまいました。だから、今晩は、小説家はなぜ小説を書こうとするのか、をお話しするつもりです。たぶん、長くはならないでしょう。とてもシンプルなことだから。そして、最後は、ぼくの好きな詩人のことばを「全文引用」したいと思っています
2010-05-13 23:52:30予告編4…いままでも一度、ル=グインを「全文引用」しましたね。ここで話されるのはぼくのことばじゃなくなったかまわない。もう言いましたよね。ぼくは、ことばが、この公共空間の海に贅沢に放流されるのを眺めるのが好きなのです。ある意味で、それは小説という形でしていることでもあるのですが。
2010-05-13 23:55:34メイキングオブ『「悪」と戦う』13の1…小説家は、ただ小説を書きたいから書くのです。ほとんどの小説家はそうであるように、ぼくもそうにちがいありません。けれど、少しだけ異なった言い方をできるような気がする時もあります。それは要するに、過去に贈られたものを未来へ贈りたいということです
2010-05-14 00:02:39メイキング13の2…それは別に「ぼく」である必要もないのです。一つの暗い部屋で、ひとりの人間が死の恐怖に怯えている。誰も彼を慰めることはできず、彼は、自分はこのまま狂って死ぬのではないかとおののく。けれど、それはすべて彼の内側で起こっていることで、誰もそれを理解できないのです。
2010-05-14 00:06:46メイキング13の3…けれど、ある時、その彼の「内側」にことばが贈り届けられる。誰も知らないはずの、「内側」の扉を、外からなにかが押し広げて。そして、初めて、彼に安堵の夜が訪れるのです。およそ、小説のことば、文学のことばは、そのようなものであるべきだ、とぼくは考えているのです。
2010-05-14 00:10:46メイキング13の4…死の恐怖に囚われた少年の、内側の堅い壁をこじあける、強い力。壁を壊し、震える少年を抱きとめることのできることば。ぼくもまた、そんなことばによって、救出されたひとりでした。だから、り願わくば、ぼくのか細いことばが、ばらばらに飛び散り、遥か未来どこかにいるはずの…
2010-05-14 00:17:19メイキング13の5…少年の助けになることができますように…誰かに贈られたものによってぼくは生きた、だからぼくも、そのようなものを贈ることができるようになりたい、ぼくが小説を書きたいと思いつづけてきた最大の理由は、それなのかもしれません。『「悪」と戦う』がそんな小説でありますように
2010-05-14 00:21:02メイキング13の6…これから先は「全文引用」です。でも、とても有名なことばでもありますね。リルケの「若き詩人への手紙」です。本屋に行けば文庫もある。でも、いいでしょう。路上演奏では他人の曲だって歌うのです。それに、いまや、誰でも知っているようなものではないのかもしれませんしね。
2010-05-14 00:26:1113の7「あなたは、自分の詩がいいものなのかとわたしに尋ねます。わたしに尋ねる前は他の人たちに尋ねました。あなたは詩を雑誌に送り、他人の詩と比較なさった。そして、あなたの試作が編集者に拒まれると、不安を感じるのです。だから、わたしはそういうことを一切を止めるよう言おうと思います」
2010-05-14 00:32:01