「死の害の形而上学」をめぐって
鈴木 生郎さんの論文「死の害の形而上学」をめぐる応答です。
該当の論文、および関連する議論は以下で読めます。
■ ゆるふわ忘年会 死の害の形而上学編
http://d.hatena.ne.jp/at_akada/20111230/1325214603
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江口某
@eguchi1965
「、死の害は剥奪の害の一種であり、さらに剥奪の害が当人が気づかなくとも被りうる害であるという点である。」文句あるけど認めておく。
2012-01-04 02:01:11
江口某
@eguchi1965
「したがって、私が死の害を被るために必要とされるのは、私がすでに死んでおり、そのことによって当の時点において望ましいことを得られないということだけである。」
2012-01-04 02:02:00
江口某
@eguchi1965
「すると、私が死後の時点において不在であっても、当の時点において私が〈死の害を被る〉という性質をもつことは可能であるように思われる。」その「私」がなにを指しているのかが問題だよね。
2012-01-04 02:04:37
江口某
@eguchi1965
「というのも、私がすでに死に、その後の時点において望ましいことが得られないということのうちに、死後の時点において私が存在しなければならないことを要求するものは何もないからである。」
2012-01-04 02:05:02
江口某
@eguchi1965
「したがって、当人がある時点において不在であるにも関わらず、当の時点において〈死の害を被る〉という性質をもつことを認めることに特別な困難は存在しない」
2012-01-04 02:06:42