「死の害の形而上学」をめぐって

鈴木 生郎さんの論文「死の害の形而上学」をめぐる応答です。 該当の論文、および関連する議論は以下で読めます。 ■ ゆるふわ忘年会 死の害の形而上学編 http://d.hatena.ne.jp/at_akada/20111230/1325214603 続きを読む
12
前へ 1 2 3 ・・ 14 次へ
江口某 @eguchi1965

あ、おなじこと言ってるわ。

2012-01-04 01:58:03
江口某 @eguchi1965

「存在要請テーゼ」はわりとばかげているのでこんながんばる必要はないのではないか。

2012-01-04 01:58:43
江口某 @eguchi1965

p.19の右のコラムは論証になってないように私には思える。

2012-01-04 01:59:55
@mskota

そこは私も疑問でした。簡単に反例がでてくるのにどうして論拠になるのかと。

2012-01-04 02:00:35
at_akada @at_akada

p.19の右は、わたしもだめだと思いますね。

2012-01-04 02:02:03
at_akada @at_akada

ほんとうは、死んでる人でも福利をもつとか、死んでる人からでも剥奪できるとか、その類の前提がいるはず。

2012-01-04 02:04:03
江口某 @eguchi1965

ここ細かく見てあげるべきなんだろうな。

2012-01-04 02:00:44
江口某 @eguchi1965

「、死の害は剥奪の害の一種であり、さらに剥奪の害が当人が気づかなくとも被りうる害であるという点である。」文句あるけど認めておく。

2012-01-04 02:01:11
江口某 @eguchi1965

「すると、私がある時点において死の害を被るために、私がその時点において害を被っていることに気づく必要はない。」OK

2012-01-04 02:01:36
江口某 @eguchi1965

「したがって、私が死の害を被るために必要とされるのは、私がすでに死んでおり、そのことによって当の時点において望ましいことを得られないということだけである。」

2012-01-04 02:02:00
@mskota

本人が気づいているとかそういう条件を排除しているのでは。

2012-01-04 02:04:06
江口某 @eguchi1965

「私がすでに死んでおり」でさっき死んだら「私はいない」って確認したじゃん。

2012-01-04 02:03:02
江口某 @eguchi1965

無時間的な意味では存在しているんだっけか。そんでもいいけど。

2012-01-04 02:03:38
江口某 @eguchi1965

少なくとも死んだあとのt2とかt3とかには「位置づけられてない」はず。

2012-01-04 02:03:57
江口某 @eguchi1965

「すると、私が死後の時点において不在であっても、当の時点において私が〈死の害を被る〉という性質をもつことは可能であるように思われる。」その「私」がなにを指しているのかが問題だよね。

2012-01-04 02:04:37
江口某 @eguchi1965

「というのも、私がすでに死に、その後の時点において望ましいことが得られないということのうちに、死後の時点において私が存在しなければならないことを要求するものは何もないからである。」

2012-01-04 02:05:02
江口某 @eguchi1965

私はいなくても私は害を受けられる、って言いはってるだけなんじゃないの?

2012-01-04 02:05:43
江口某 @eguchi1965

時間空間的に位置づけられた私はいなくても、かつていったん存在した(あるいはいずれ未来に存在する)私が害されることがある、と。

2012-01-04 02:06:20
江口某 @eguchi1965

「したがって、当人がある時点において不在であるにも関わらず、当の時点において〈死の害を被る〉という性質をもつことを認めることに特別な困難は存在しない」

2012-01-04 02:06:42
江口某 @eguchi1965

わかりませんでした。

2012-01-04 02:06:46
前へ 1 2 3 ・・ 14 次へ