まとめ後の反響:ピーター・シンガーらの障害新生児安楽死正当化、「出生後中絶」論文論争について
- hijijikiki
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@geppeeee 高いですって、十分ww で、何が言いたいかというと、この場合の障害者の親や家族が「感情的になって騒いでいる」という風に取られられるのも、「専門家が高度な知性や知識をもって素人をあしらう」ように見られるのも、どっちも残念なことだと思うってことなんですが
2012-03-06 21:57:15@genjibosi 少なくとも専門家の側には「なぜ感情的に騒ぐ人達がいるのか」という構造を考察する意味や意義はあると思います(さすがに義務があるとは言わない)。ただ、その考察の俎上に乗ること自体が不愉快であると感じる人はいますし、そういう意味での溝は埋まらないでしょうね。
2012-03-06 22:03:22@geppeeee @genjibosi とかしれっと書いている私も「障害者の親」なんだけれど、その立場にあまり義理立てするつもりがないというのも正直なところなのです。
2012-03-06 22:04:21@geppeeee これも同感です。私もそうんなかんじなんですけど、それでいいのか?っていう風な疑問も頭をもたげてきて、自分がなにものなのか分からなくなってしまうところもあります。発達障害者の親であるけど、重度障害者は身内だけど血縁者じゃないし
2012-03-06 22:09:34@geppeeee 当事者性で考えたり発言したりはしていないつもりでも、捨てきれないことですし、「障害者の家族」としてだけ生きているわけでも思考しているわけでもなく昨日言われた「当事者として引き裂かれたまま、そこに踏みとどまって考え続けるというのはけっこう苦しいことですね。」って
2012-03-06 22:13:57「好意的」ってのは principle of charity でもいいんですけど、昨日書いてるときに考えてたのは、「論敵が言ってることがいくつかの方法で解釈できるときは、一番まともなこと言ってることになるやつで解釈する」ぐらいでした。
2012-03-06 22:29:10@eguchi_thu5 ありがとうございます。「好意的」にしてもprinciple of charity にしても、ニュアンス的にこんなかんじ?ってのはあるんですけど、それこそ、「好意的」な解釈ができないと通じにくいように感じました
2012-03-06 22:40:45@genjibosi 伊勢田哲治(著)『哲学思考トレーニング』によると、「・・・聞く側がちょっと意地悪に解釈すれば、相手の言っていることをおよそ筋の通らない不合理な議論として再構成するぐらいは簡単にできる。世間における論争というものを見ていると、そうやって揚げ足のとりあいを(続)
2012-03-06 23:10:34@Mc_Nishioka @genjibosi (承前)するのが論争というものだと思っているかのような人も多い。・・・これはしての議論を組み立てなおす場合には、できるだけ筋の通ったかたちに組み立てなおすべきだ、という原則である。」
2012-03-06 23:13:51@Mc_Nishioka @genjibosi この本には他に協調原理 principle of cooperation なるものにも言及があるね。こちらは話し手に対する要求。今度持っていくわ、この本。
2012-03-06 23:15:39