まとめ後の反響:ピーター・シンガーらの障害新生児安楽死正当化、「出生後中絶」論文論争について
- hijijikiki
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↓ ●先行するまとめ「ピーター・シンガーらの障害新生児安楽死正当化、「出生後中絶」論文論争について」http://togetter.com/li/268401
● 本まとめに続くまとめ:
「議論の続き:ピーター・シンガーらの障害新生児安楽死正当化、「出生後中絶」論文論争について」http://togetter.com/li/268871
@spitzibara @eguchi_thu5 @kayukawajunji つぶやきを使わせていただきました。→「ピーター・シンガーらの障害新生児安楽死正当化、「出生後中絶」論文論争について」 http://t.co/Uui1f3WD
2012-03-06 02:21:57この溝には既視感がありますね。RT @hijijikiki: @spitzibara @eguchi_thu5 @kayukawajunji つぶやきを使わせていただきました。→「ピーター・シンガーらの障害新生児安楽死正当化 http://t.co/OvuBhNB9
2012-03-06 09:13:04コメント多謝(続く)@kayukawajunji この溝には既視感がありますねRT@私:@spitzibara @eguchi_thu5つぶやきを使わせていただきました。→「ピーター・シンガーらの障害新生児安楽死正当化 http://t.co/hKtVHGhv
2012-03-06 13:28:59@hijijikiki続き)「この溝には既視感がありますね」>とてもあります。放射線の内部被曝の影響議論でも、自説・持論を説くときに、方法論的問題が出ると、「専門家」が世間的に信用されてきたことにも。@kayukawajunji @spitzibara @eguchi_thu5
2012-03-06 13:39:16論文批判において、論考の前提となる認識の妥当性を問うことは重要な仕事だが、防衛的に冷笑されることが多い。 RT @hijijikiki: 「ピーター・シンガーらの障害新生児安楽死正当化、「出生後中絶」論文論争について」をトゥギャりました。 http://t.co/RHkGUptw
2012-03-06 08:11:25コメントどうも(続く)@satoopen 論文批判において、論考の前提となる認識の妥当性を問うことは重要な仕事だが、防衛的に冷笑されることが多いRT@私:「ピーター・シンガーらの障害新生児安楽死正当化、「出生後中絶‥」をトゥギャりました。 http://t.co/Uui1f3WD
2012-03-06 13:09:32@hijijikiki 続き)大学教授など強い立場が防衛・冷笑するのが問題かと@satoopen 論文批判において、論考の前提となる認識の妥当性を問うことは重要な仕事だが、防衛的に冷笑されることが多いRT@私:‥をトゥギャりました。 http://t.co/Uui1f3WD
2012-03-06 13:12:36@hijijikiki @eguchi_thu5 @kayukawajunji ありがとうございます。改めて読み返してみて、結局こういうのが「知的な議論だから」姿勢の根っこなんだよなぁ、というところに戻ります。
2012-03-06 09:03:50コメントありがとうございます(続く)@spitzibara ありがとうございます。改めて読み返してみて、結局こういうのが「知的な議論だから」姿勢の根っこなんだよなぁ、というところに戻ります@eguchi_thu5 @kayukawajunji
2012-03-06 13:15:53@hijijikiki 続き)「「知的な議論だから」姿勢の根っこ」>同感です。特にその道の権威(と思われている)者など強い立場からの発言は政策決定のお墨付きに使われたりして、実害がある場合があります@spitzibara @eguchi_thu5 @kayukawajunji
2012-03-06 13:24:40@hijijikiki はい、学的権威の名のもとに恣意的にアリーナを設定し批判の無効化をはかることが問題、と言ったつもりだったのですが、伝えられていなかったなら申し訳ありません。@spitzbaraさんの発言も影響力は強いと思いますので、単純な立場の強弱、とは違う気もします。
2012-03-06 13:26:06@spitzibara @satoopen @hijijikiki @spitzbara 肝に銘じて、つい軽はずみな発言・表現をせぬよう、また防衛的な冷笑を受けたからとメゲぬよう、お気に入りに入れさせていただきました。ありがとうございました。
2012-03-06 13:35:57@spitzibara @hijijikiki 私は『アシュリー事件』一気に引き込まれながら、しかし骨太な論考として読みました。また、親としての当事者性も一種の権威とみなされる文脈はできつつあると思います。でも政策決定の場での学的権威は圧倒的ですよね。私こそ軽はずみ失礼しました。
2012-03-06 13:40:10@spitzibara @hijijikiki 私の印象では、(あくまで私基準ですが)ちゃんとした先生は、素朴な疑問もアカデミックな文法にのっとった批判として解釈し直して、きちんとそれに答えてくれると思います。なんにせよ、防衛反応をぶつけられると傷つきますよね。お疲れ様です。
2012-03-06 13:47:16@satoopen @hijijikiki とんでもない。とても励まされました。拙著についても、ありがとうございます。誰であれ、本当は言いたいこと以外のことをせっせと言葉にしている時は要注意だということが、自分の方については見えていなかったので、大事な気づきもいただきました。
2012-03-06 13:47:21@satoopen @hijijikiki そこまで分かっていただけるなんて、ほんと、ありがとうございます。私はブログでも権威ある立場の方からそういう攻撃を受けることが多くて、でも、おっしゃるように過不足ない情報やアドバイスを下さる専門家の方もいてくださいますね。元気でました!
2012-03-06 13:53:23舌足らずですいませんでした(続く)@satoopen ‥恣意的にアリーナを設定し批判の無効化をはかることが問題、と言ったつもりだったのですが、伝えられていなかったなら申し訳ありません。@spitzbaraさんの発言も影響力は強いと思いますので、単純な立場の強弱、とは違う気もします
2012-03-06 13:50:01@hijijikiki続1)「@spitzbaraさんの発言も影響力は強いと思いますので、単純な立場の強弱、とは違う気もします」>立場の強弱は、見る側によっても異なり、アカデミズム=権威の外の人が適切な発言をしても、内の人の否定によって、世間の大方は@satoopen
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