お菓子っ子さんの語る、董卓伝5~反董卓連合の内紛~
- tetteikaikyou
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韓馥の幕僚たちは「我が国は軍隊は強いし、食糧もいっぱいあるのに、なんで死にかけの袁紹なんかにわざわざ譲ってやらないといけないんですか」と反対しましたが、韓馥は聞き入れずに袁紹に地位を譲ってしまいます。袁紹の挙兵を止めるつもりがいつの間にか一緒に挙兵してて、
2012-06-02 20:29:48味方の劉岱に「信用出来ないから、いずれ滅ぼす」と言われ、さらに部下が反乱するわ、精鋭と恐れられる公孫瓚の軍勢が攻めてくるわ、面倒を見ていた同郷の仲間に「あんたには荷が重すぎるから、さっさと袁紹さんに譲ったほうがいいんじゃないっすか?」と言われるわで、韓馥の心は折れたのでしょうね
2012-06-02 20:36:48ここまで理不尽な目に遭えば、まともな人は心が折れてしまうのも無理は無いですね。破滅間際から韓馥の心だけを折るためだけに外敵を読んでいたり、同郷の仲間を寝返らせたりなどして一州を乗っ取った袁紹は大した寝業師です。袁紹みたいな人間と関わったのが韓馥の不幸としか言いようが無いですね
2012-06-02 20:46:06公孫瓚は袁紹と手を組んで韓馥を攻める裏で袁術とも手を組み、弟の公孫越を援軍として派遣します。公孫越は豫州争奪戦を指揮している孫堅の下で袁紹陣営の周昴と戦っている最中に戦死。激怒した公孫瓚は袁紹の悪事をこれでもかと述べ立てた文章を朝廷に送ってから、袁紹を攻撃しました
2012-06-02 20:56:53袁紹と袁術に二股かけて袁術に援軍を送ったことを棚上げして怒り出して、「卑しい下女の子の分際で出世して金持ちになってるのは罪」なんて言いがかりも含めた袁紹の罪状十か条を挙げてから、攻撃仕掛けてくるとか、公孫瓚のすることは狂ってるとしか言いようがありません
2012-06-02 21:05:18そんなおかしい人でも、勇猛な騎馬民族が姿を見ただけで恐れをなすほどの猛将で、配下の軍勢は漢帝国最大最強の騎兵軍団。袁紹は敵わないと見て「渤海郡を譲るから勘弁してください」と申し出ました。公孫瓚はありがたく渤海郡を受け取ると、渤海郡の兵を自軍に加えてさらに攻撃を続けます。最悪です
2012-06-02 21:15:30公孫瓚が手に入れたばかりの渤海郡に青州・徐州の黄巾30万が攻め寄せてきましたが、公孫瓚は2万の兵で応戦して3万あまりの首を得て、7万人を捕虜にする大勝利を収めました。そんな凄まじい公孫瓚の戦闘能力に目をつけたのが、本編の主人公である董卓でした
2012-06-02 21:24:03董卓は公孫瓚を奮武将軍(方面軍司令官)に任命し、薊侯(県【市相当】を領土とする貴族)の爵位を授けます。公孫瓚は袁紹の罪状を挙げる時に「董卓とまともに戦わないのは罪」と言っているんですが、なかったことにして官爵を贈って取り込みにかかる董卓と、あっさり受ける公孫瓚。大人の関係です
2012-06-02 21:30:56最狂にして最強の男公孫瓚を味方に付けた頃、冀州(河北省)から并州(山西省)にかけて百万の軍勢を持つと言われる巨大反乱勢力黒山賊が袁紹の本拠冀州魏郡と、袁紹一派の有力者である劉岱の領土兗州東郡に侵攻します。絶妙のタイミングです。背後に董卓がいるのは明白でした
2012-06-02 21:53:55一方、豫州で袁術陣営と袁紹陣営が争っている間に、董卓が任命した荊州刺史(荊州行政管区監察官)劉表が江南を制圧して、袁術の本拠地の南陽郡を背後から脅かすようになりました。袁術と孫堅は豫州から兵を引き、劉表討伐に向かいます。守勢一方だった董卓がついに反撃に転じたのでした
2012-06-02 22:05:39@sweets_street いつもタイミング良くしかも大軍で出てくるイベントキャラみたいな「しろなみ」とか「くろやま」って何者ですか?
2012-06-02 22:12:35@trinh_JP 賊というのは、政府に服従しない武装勢力。黒山の場合は大集団は2~3万、小集団は6~7千の兵を持ち、これらの武装勢力が黒山を名乗って河北や山西一帯に遍く分布してるわけです。この規模になると、小軍閥の連合体みたいなものですね
2012-06-02 22:20:26@trinh_JP 黒山の勢力範囲:常山・趙・上党・河内・中山 白波の勢力範囲:西河・河東 http://t.co/Cb3gUK8r
2012-06-02 22:36:02@sweets_street 流賊というよりは支配地を持った地元ヤンキー系反政府系武装集団、惣村連合的イメージでいいんでしょうか?
2012-06-02 22:58:41@trinh_JP 黒山の場合は、もともとバラバラだった賊の集団が張燕というカリスマ的リーダーを得て黒山と総称されるようになりました。白波は挙兵した場所が白波谷って場所だから。この規模になったら地方軍閥と変わらないでしょうね。白波の一部は董卓軍に雇われてますし
2012-06-02 22:46:09@sweets_street ふむ、お隣同士ですね。黄巾みたいな宗教的紐帯もないんですよね。リーダーが朝廷から官職もらってないだけで、その他の地方軍閥と実態は変わらないと見ていいんでしょうか?
2012-06-02 22:40:41@trinh_JP この時代の軍閥は戦国時代の国衆のような数百単位の私兵団(豪族が小作人を武装させた自警団や、指揮官が私兵化した正規軍)の集合体なんです。正規軍に所属してたら正規軍の軍人ってことになるし、してなければ私兵、してない上に正規軍と敵対してたら賊ってことになります
2012-06-02 23:01:03@trinh_JP 今回公孫瓚に瞬殺された青州と徐州の黄巾のように根拠地がなければ流賊。黒山のように縄張り持ってたら土匪だの山賊だの呼ばれますね
2012-06-02 23:07:44@sweets_street あまりにあんまりな最期も、精神的に参ってたのはあるんでしょうね。末路の辿り方からして病んでてもおかしくないですし。
2012-06-02 20:51:33@sidenp こんな目に遭えば、誰だって参っちゃうと思いますよ(´・ω・`) ツイートしながら韓馥に同情しちゃいましたよ(´・ω・`)
2012-06-02 22:27:54@sweets_street 「後、馥軍安平、爲公孫瓚所敗。瓚遂引兵入冀州。以討卓爲名、內欲襲馥。馥懷不自安」に疑問を持ってました。ここは文章が前後していて、「後に韓馥は安平で敗れた。(それに先立ち袁紹の手引きで)公孫瓚が冀州に入った。韓馥は襲われないかと恐れた」って事ですか?
2012-06-02 21:46:05