65
お菓子っ子 @sweets_street
前回は董卓の内政政策についてお話しました。経済政策の失敗で喪失した求心力を、警察力による弾圧と中央軍の軍事力に頼って維持しようとする董卓政権。その外交政策と軍事戦略はいかなるものであったかをお話しようと思います
お菓子っ子 @sweets_street
董卓を打ち破って帝都洛陽に入城した孫堅は、董卓の息の根を止めるべく、長安のある関中盆地の入り口の函谷関に兵を差し向けます。それに対し、董卓は董越・段煨・牛輔の三人の中郎将(近衛司令官)を配置して防戦させます
お菓子っ子 @sweets_street
洛陽のはるか東の豫州を根拠地にしている孫堅の補給線は伸びきっており、焦土と化した洛陽に軍を置いて董卓軍の強力な防衛線を破るのは困難でした。孫堅は董卓が暴いた歴代皇帝の陵墓を修復すると、袁術のいる魯陽まで兵を引きます。そこへ耳を疑うような知らせが飛び込んできました
お菓子っ子 @sweets_street
袁紹陣営の周喁が豫州に乗り込み、孫堅と同じ豫州刺史(豫州行政管区監察官)を名乗って孫堅が空にしている豫州の制圧に乗り出したのです。さらに周喁の兄周昴が孫堅の豫州における根拠地である陽城を奪いました。袁術と孫堅は豫州奪還に向かいます
お菓子っ子 @sweets_street
袁術と袁紹は共に董卓打倒を旗印にしているはずなのに、なぜこのような内輪もめを始めたかといえば、少々複雑な事情があります。孫堅は袁術から破虜将軍(方面軍司令官)の称号をもらいましたが、実はこの称号はもともと鮑信が袁紹からもらった称号なのです
お菓子っ子 @sweets_street
つまり、これは袁紹より後に挙兵した袁術の「俺はお前の盟主としての権威なんか認めない。俺は自分で董卓と戦う」という痛烈なあてつけなのです。袁紹と袁術は別々に反董卓連合を組んで戦っていたわけです。それでも、袁紹は袁術に歩み寄ろうとしました
お菓子っ子 @sweets_street
中国の北の果て、幽州(河北省北部)の牧(行政管区総督)を務める劉虞という人物がいます。異民族の反乱を懐柔策で抑えこみ、黄巾の難を逃れてきた流民を受け入れて仕事を世話して定住させ、塩と鉄の交易で莫大な利益をあげ、赤字だった幽州の財政を黒字に転じたやり手の政治家です
お菓子っ子 @sweets_street
降虜校尉(旅団長)公孫瓚率いる精鋭騎馬軍団を中核とする強力な軍勢を抱え、漢帝国北部辺境の最大の実力者です。そんな劉虞は太尉(副首相)を兼任していましたが、董卓によって大司馬(国軍最高司令官)に昇進します。この位は相国(首相)董卓、太傅(皇帝の師傅)袁隗と同格の上公
お菓子っ子 @sweets_street
発足当初の董卓政権における最高実力者は、帝都で軍事を担当する董卓と、政務を担当する袁隗。北部辺境の軍政を総括する劉虞の三人の上公だったのです。袁紹が挙兵した冀州(河北省南部)は劉虞が治める幽州の南。劉虞を味方に付けなければ、強力な幽州軍が南下してきて袁紹一派は敗北します
お菓子っ子 @sweets_street
他にも袁紹一派が劉虞を必要とする事情がありました。袁紹は渤海太守(郡【県相当】知事)。前職は司隷校尉(首都圏警察長官)でしたが、これは何進がクーデターに備えて勝手に指名した地位で、その後の混乱の中でなし崩し的に名乗っていただけの肩書きです
お菓子っ子 @sweets_street
袁紹一派には、袁紹と同格の位の郡太守(郡【県相当】知事)や州刺史(広域行政管区監察官)が何人もいます。さらに韓馥は州牧(行政管区総督)で袁紹より格上です。袁紹の名声が高いといっても、気鋭の俊秀といったところで、権威は強くありません。袁紹一派は権威がある指導者を必要としていました
お菓子っ子 @sweets_street
董卓と同格の上公で政権最高幹部の一人である劉虞の権威は、董卓に対抗して天下に号令する指導者とするにはうってつけでした。名声や実力も折り紙つきです。袁紹は劉虞を味方につけるべく、とんでもない手形を切りました。あろうことか、皇帝即位を持ちかけたのです
お菓子っ子 @sweets_street
劉虞は光武帝の子東海王劉彊の末裔。皇室の血を引いているといえばいるのですが、現在の皇統である河間王家には連なっていないので、とうぜん皇位継承権など持っていません。約150年前、世代にすると5世代ほど前に別れた東海王家の、本家との縁も定かで無いほどの末流にすぎない人物です
お菓子っ子 @sweets_street
そんな人物に「あなたは皇室の長老だ。幼弱な帝に替わって帝位に就くべきだ」などと持ちかけたのだから、無茶苦茶です。清和天皇の皇子貞純親王の6世代後の子孫である八幡太郎義家に「あなたは皇室の血を引いていて、人望が厚いから天皇に即位すべき」と勧めるぐらいの暴挙です
お菓子っ子 @sweets_street
この計画の中心となったのは袁紹と韓馥。劉虞が敵に回った場合、真っ先に攻撃される冀州を本拠にしています。要するに、どこまでも自分たちの都合ばかり考えた話なのです。袁紹は反董卓陣営の総意を取り付けたという形にするために、袁術に「共に劉虞を立てよう」と持ちかけます
お菓子っ子 @sweets_street
自分を盟主とする一派の中でも絶対的な権威を持っていない袁紹は、劉虞を袁術とともに擁立することで、反董卓陣営の一本化を図ったわけですが、さすがに見え透いていて袁術に蹴られてしまいます。さらに盟友の曹操にまで反対されました
お菓子っ子 @sweets_street
さらに劉虞にも「君たちは皇室に反逆する気か!」と叱りつけられてしまいます。そこで袁紹たちは「それならせめて領尚書事(首相)に就任してください」と要請しましたが、劉虞はこれも蹴って、袁紹一派の使者を殺害しました。さらに皇帝に忠誠を示すべく使者を派遣しました
お菓子っ子 @sweets_street
袁紹一派は劉虞を敵に回してしまい、袁術一派と共闘もできず、内部では袁紹の主導権を確立できないまま、なし崩し的に董卓との戦いを始めることになったのです。こんな状態だったから、袁紹一派は足並みが揃わず、王匡と曹操と鮑信以外は積極的な動きが取れませんでした
お菓子っ子 @sweets_street
そんな中、後将軍(中央軍司令官・閣僚相当)袁術という郡太守(郡【県相当】知事)や州刺史(広域行政管区監察官)以上の権威を持つ絶対的な指導者を戴く袁術一派は高い結束力を有し、名将孫堅の指揮で果敢に董卓に挑み、ついに打ち破ることができたのです
お菓子っ子 @sweets_street
袁紹一派は面白くありません。宦官を実力で排除したのに政権を董卓にさらわれ、董卓を打倒するために挙兵したのに手柄を後から挙兵した別グループの袁術と孫堅にさらわれてしまったのです。反董卓の旗手の座を袁術一派に奪われたら、袁紹一派の求心力は消滅してしまいます
お菓子っ子 @sweets_street
だから、袁術一派の最大の地盤である豫州を奪って、反董卓勢力の中の主導権を握ろうとしたわけです。くだらない争いをしている間に袁紹一派で内紛が生じます。酸棗に駐屯していた兗州刺史(兗州行政管区監察官)劉岱と東郡太守(郡【県相当】知事)橋瑁が対立し、劉岱が橋瑁を殺害してしまいました
お菓子っ子 @sweets_street
また、兗州刺史(兗州行政管区監察官)劉岱は何を思ったか、「董卓を倒したら、次はおまえを討つ番だ」という手紙を後方支援にあたっている冀州牧(冀州行政管区総督)韓馥に送りつけています。韓馥は疑心暗鬼になって、袁紹への食料供給をサボタージュしたので、袁紹の軍は食糧不足に苦しみました
お菓子っ子 @sweets_street
袁紹とともに河内に駐屯していた王匡は真っ先に董卓に挑んで壊滅し、故郷の兗州泰山郡に戻って再起を図りました。この時の袁紹軍の様子を、韓馥の幕僚たちは「袁紹は兵糧が尽きていて、兵は離散している。於夫羅と張楊の軍は袁紹と手を組んだばかりであてにならない」と指摘しています
お菓子っ子 @sweets_street
袁紹は自ら董卓に挑むどころか、軍を維持することすらおぼつかず、行き詰まっていました。そんな時、韓馥配下の将軍麴義が反旗を翻し、韓馥軍相手に優勢に戦いを進めていました。韓馥に腹を立てていた袁紹は麴義と手を結び、さらに腹心の逢紀の策によって、公孫瓚に韓馥攻撃を要請しました
お菓子っ子 @sweets_street
公孫瓚は幽州の兵を率いて冀州に侵攻し、韓馥を攻撃してさんざんに打ち破ります。麴義の反乱軍と公孫瓚軍に攻められて劣勢となった韓馥のもとに、袁紹の甥の高幹や、韓馥が故郷の潁川から呼び寄せていた客分の荀諶・郭図らが訪れては不安を煽り、冀州牧(冀州行政管区総督)の地位を袁紹に譲らせました
残りを読む(45)

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?

ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする