0531[元号]寛文。京都市内の大火により皇居と上皇御所が炎上。明暦の江戸大火に続く都市災害で、ここでも元号が改められた。前の万治が江戸大火の復興を祈念したものなのに、これを放棄して更なるこの元号を定めた。当時の元号に対する意識や意味がよくわかる。
2012-10-17 18:30:520532[元号]延宝。えんぽう。京都大火の復興を祈念して寛文と改めたのに、すぐにまた京都で大火があり、皇居が炎上。このほか各地で洪水などの災害も発生し、この元号に改めた。それ以前に天皇が後西から霊元へと代替わりしているが、その際は改元されていない。
2012-10-17 18:39:210532[元号]延宝。勘申者は菅原為庸。出典は隋書(ずいしょ)。意味は日や月、星のようにいつまでもこの世が無事に続くように、という願い。宝は三宝でいろいろな意味があるが、ここでは天体。なお、皇帝がいつまでも長生きするようにという意味もあるが、この元号には君が代の意味はないと思う。
2012-10-17 18:49:590533[元号]天和。てんな(てんわ)。←(カッコ)内は、この読みでも間違いではない、ということ。しかし、めったにこう読まれることはない。辛酉(しんゆう)革命により改元。先の甲子革命と同じ中国の讖緯(しんい)思想に由来する。当時は暦法も中国のを踏襲していたため。
2012-10-17 18:59:150534[元号]天和。勘申者は菅原在庸。出典は後漢書(ごかんじょ)。意味は、天と人が協和すれば、世の中は平和である、ということ。この元号も無名に属するが、井原西鶴が登場するなど、元禄文化が胎動を始める時期である。
2012-10-17 19:04:150535[元号]貞享。じょうきょう。甲子革命により改元。勘申者は菅原恒長。出典は易経。意味については判然としないので分かり次第追記します。この元号の途中で天皇が霊元から東山に代替わりしている。将軍は5代綱吉。
2012-10-17 19:34:500536[元号]貞享。2年、綱吉は生類憐憫(しょうるいれんびん)令を制定した。世界の悪法とまで言われている生類憐みの令。もとは一子を失い悲嘆に暮れた綱吉や生母桂昌院(けいしょういん)に護国寺の僧らが前世の報いであるなどと進言したことにより、無益な殺生をやめることを訴えたものだった
2012-10-17 19:41:490536[元号]貞享。最初は抽象的なものであるはずが、綱吉がイヌ年生まれであることからイヌを大切にするようにという具体的なことが盛り込まれたことから、次第にイヌを粗末に扱うと厳罰に処せられることになり、しまいには動物から虫にまで対象が拡大された。法律の拡大解釈と暴走である。
2012-10-17 19:45:300538[元号]貞享。もちろん、幕府の馬飼い担当が動物を虐待したかどで切腹を命じられたり、顔にたかった蚊を叩いてつぶしたとして遠島になった者(これは真偽不詳)がいると噂されるなど、見せしめ的な処罰は確かにいくつかあった。が、弁護させて頂くと、決して恐怖政治などではないし、逆に→
2012-10-17 19:49:24→江戸市内の野犬をことごとく中野の犬小屋に隔離したことで、江戸市内から狂犬病患者がいなくなった、という知られざる大効果もあった。また、野犬を捉えても今のような殺処分もしなかった。この点は現代のほうがむしろひどいと言える。
2012-10-17 19:52:560539[元号]元禄。げんろく。いよいよ元禄である。江戸時代を代表する時代、元号といえば?と問われれば、まず多くの人がこの元号を挙げるだろう。水戸黄門に忠臣蔵、おなじみの時代劇の一端がこの時代だ(もう一つは8代吉宗)。この年号は東山天皇即位により改元された。勘申者は菅原長量。
2012-10-17 19:58:560540[元号]元禄。出典は宋史。原文は皇帝の偉大な仁徳を最大限称えた長文で、皇帝によってもたらされる天の恵みといった意味。天皇、朝廷に対し強く尊崇の念を持った綱吉好みである。それだけに、天皇と上皇の使者をもてなす晴れの場での浅野内匠頭による刃傷に激怒、即日切腹させたわけだ。
2012-10-17 20:04:110541[元号]元禄。綱吉というと暴君のように言う人もいるが、学問好きで政治に熱心な、英邁な君主だった。筋目を人一倍大切にする人だけに、曲がった事、いいかげんな事が許せない。それが残念ながら寛容さを失わせてしまった。しかし、赤穂浪士の処分など、賛否は別にして感情論にとらわれず→
2012-10-17 20:08:03→法治を第一にし、しかも浪士たちの名分も立つ処分案を受け入れるなど、聡明な点が最期まであったことから、庶民を迫害するような暴君にならずに済んだ。
2012-10-17 20:11:110541[元号]元禄。元禄時代(「時代」は「度」ともいう。専門家はこの言い方をよくするようだ)はご存じのように町人文化が栄えた。特に大坂での爛熟ぶりが見事で、今に至るまで浪速の自慢となっていると伺っている。江戸が賑やかになるのはこれから以降のこと。
2012-10-17 20:17:570542[元号]宝永。ほうえい。関東地方の大地震のため改元。勘申者は菅原為範。出典は旧唐書。意味は皇帝の徳が光り輝き、世の中を一新する、ということ。宝永といえば富士山が直近(最後)に噴火した時。但し、正確には宝永年間に噴火したのではなく、元禄時代。その時に大地震と噴火があった。
2012-10-18 06:06:060543[元号]宝永。この元号の途中で天皇が東山から中御門に代替わりし、将軍綱吉が逝去して6代家宣(いえのぶ=甲府宰相綱豊)が即位した。家宣は聡明で良識の人。即位してすぐ暴走していた生類憐みの令を廃止、その後も綱吉の側近や実力者を排除し、新井白石を登用して政治の刷新に乗り出した。
2012-10-18 06:19:110454[元号]正徳。しょうとく。中御門天皇即位により改元。勘申者は菅原総長。出典は書経。意味は正しく徳が行われる世ということ。見た目には良い字、良い意味だが、いささか抽象的すぎるきらいがある。しかし、武士も庶民も徳を磨くよう教育される世だったから、素直に尊んだと思う。
2012-10-18 12:59:040455[元号]正徳。この年号の途中で将軍が家宣から7代家継に代替わりした。新井白石による政治改革が行われ「正徳の治」と言われる。制度・典礼改革のほか、物価抑制など経済政策に取り組んだが貨幣の数を減らすなどしたため逆に混乱を招くこととなった。
2012-10-18 13:08:29では、江戸噺[元号]の続き。/余談。今TLで「平成天皇」と言っている人を見たが、現在、そのような天皇はいない。しかもその人は天皇をとても尊崇している様子。ならばなおさらのこと、正確でなければ。あと、本当に平成という元号で良いのか。(その理由は後述)
2012-10-18 17:48:170456[元号]享保。きょうほう(きょうほ)。変異により改元。勘申者は菅原長義。出典は後周書(こうしゅうしょ)。意味は、天より大命を享(う)け、万国を平和に保つ、ということ。改元理由は変異とあるが、天皇の代替わり直後(中御門→桜町)であり、その意味合いも兼ねている。
2012-10-18 17:55:020456[元号]享保。将軍の中の名君、そして傑物の吉宗の登場。改元して4か月後に将軍も代替わりした。大岡越前や暴れん坊将軍、その他時代劇の設定で近年最も多いのが吉宗の治世。ここでは吉宗について詳しく説明することは控えるが、人材の抜擢、町火消しや養生所の設置、庶民の声を直接聞く→
2012-10-18 18:02:17目安箱の制度の創設から拷問の禁止、高官貴顕の徹底した倹約(将軍自身、常に木綿の着物を着た。また大奥の大幅縮小)など、江戸時代の空気や流れが大きく変わった。
2012-10-18 18:05:440457[元号]享保。吉宗は新井白石を遠ざけ、幕政から離れて市井の学者に戻っていた荻生徂徠を再び招いた。ただし、綱吉と違い、吉宗は学問学説のような理屈よりも、あくまで政治に活かせる知恵を求めた。細かなことにグチグチ言い訳をするだけの者と違い、自分がやろうとする案のよしあしを確か→
2012-10-18 18:12:34→めるために学者の意見を聞くといった態度だった。そこには迷いがない。もちろん、学者を「実務経験がない」とか「自称」「三流」「エセ」などと馬鹿にしない。意見を聞く時は学者を上座に置き、自身は下座で弟子の礼をとって聞いた。古今東西の英雄に共通する態度だ。
2012-10-18 18:15:36