脱構築テスト化し端的になった受験国語。仏教で難読化しテストされる日本近代。

端的な受験の国語力 http://togetter.com/li/389456 のつづき。なお途中欠落しています。FBのまとめをご覧ください。 https://www.facebook.com/kaoru.ohmoto 続きを読む
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

さらに時間があると、抜粋文を構文で要約させる。Bは「____」だが、「____」という点で、Aは「____」だ。これを繰り返させる。さらに時間があるとそれを単文化させる。そうすれば難なく読解力と記述力が身につく。ふつう誰でも出来る。東大の端的な説明力もこれと大差ない。

2012-10-14 00:47:58
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

この理由→対比→言明を分からせた後に、近代や人間や主体という命題を問う簡単な例文をその場でつくり、口頭で文中の理由と対比と言明を言い当てさせる。国語はこの応用があるだけ。だから15分ぐらいで、国語の勉強終わりになる。あとは遊んでてよい。

2012-10-14 00:43:46
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

入塾生はたいてい私のところに最初の授業に来る。そこで国語のテストは2パターンしか作れない、ということを5分で分からせる。一つは理由のテスト(男女を対比したら同じとあるがその理由を選べ)、他方は言明のテスト(人という点で男女を対比したら同じか違うかを選べ)。

2012-10-14 00:41:17
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

どんどん一年生が入ってきていて、今日も学習法で、実数や様々な値を道具とする数学とは対照的に、国語は「あるなし」「同じ違う」というOか1かしか問われない、ということを簡単な例文で分からせたのだが、文の語句を記号化してパズルにすれば正解というのでは、性能の悪い機械翻訳みたいになる。

2012-10-14 00:35:37
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

端的にあることというのは、科学的対象といっても、自分からは隔絶されている。だからそのために考え方を(コペルニクス的)転回すれば、隔絶されていた対象を、自分の意のままに扱えるようになる。そういう科学の方法論が小説でも評論でも記述されているだけ。それを端的に言えばよい。

2012-10-14 00:32:20
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

さっきの理系の先生は、駿台の記号法といっていたが、端的ではない。記号化できるのは対比と相同の関係だけ。所詮理系の人は、非端的な文の読解力がないから理系になるようで、端的に何があるか、という「あるなし」を認識できていない。

2012-10-14 00:31:49
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

したがって、https://t.co/Jse6ppSO も、予備校解答例にあるような、河川の豊かさの説明ではなく、概念としての風景は自然だが、身体にとって河川は建築的創造力を掻き立てる、という主張まで端的に取り出さないと、実は合格ラインではない。豊かさという形容の問題ではない。

2012-10-14 00:11:05
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

端的でない抜粋文から、端的な要約的説明という東大の国語力は、ジグソーパズルでは、正反対の誤答となりかねない。名目(たとえば名詞句など)は述定されなければ、概念ですらない。それより端的な命題から遡及する。端的な説明力とはそれ以外にない。それが出来ない人は来てもらいたくないだけ。

2012-10-13 23:47:16
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ではなぜ課題文は端的ではないのか。それは筆者が推敲を重ね、ある命題に対する思想を述べる試行錯誤をしているから。したがって、それを端的な説明に言い換えられる、官僚的な国語力の持ち主を、東大は選抜したいだけなので、やることはジグソーパズルではなく、命題と向き合うことだけ。とても単純。

2012-10-13 23:29:31
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

東大の求める国語力とは、煩雑でわかりづらい記述だが、一つの命題のある文章から、端的に言い換える説明力。官僚になるような人というのは、そういう端的な国語力がある。官僚を馬鹿にする人がいるが、そんなことはない。もっとも国語力があるのが官僚。それを侮るから国民の代表は仕事にならない。

2012-10-13 23:26:32
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

http://t.co/o2Fad6CJ は、風景は概念としては自然だが、身体で感じられる河川は創造対象だ、という一文で収まる現象学。現象学とは、隔絶されていた対象が、自分の意のままの現象になること。問5はこの一点だけで、二つの要点に分解されるというのは、じつは誤りですらある。

2012-10-13 23:22:16
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