哲学化する国語教育の現象学
- sunamajiri
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やっぱりそうなんでしょうねー、人間には無限は無限時間早いわね(^-^)/ @nakagawasun 数学では、∞の答はダメなんですよね。
2012-09-21 08:32:58@sunamajiri 大変興味深い話です。神との戦いになるところが、わたしにもヤル気をださせてくれます。上手くは言えませんが、無限大∞への挑戦ですね。私的な言い方ですが、人間界とは競争には負けますので、絶壁絶望の縁を歩むような心地です。数学では、∞の答はダメなんですよね。
2012-09-21 08:00:32ところで、スピノザは神は神という名前ではない、実体だと証明することで、神の存在証明を終わらせているのだが、神が存在証明されていない、あるいは神の存在を懐疑できるというのは、神を実体ではなく名前(名目)と捉えているという話で、先日来、日本人が欧文を漢語の名詞に名目化する話と繋がる。
2012-09-21 07:59:58まとめると、人は神ではない、日本人は神がないと思うから個人になれずみんな押し黙る、という話で盛り上がっていて、たまたまリーマン予想の話で、証明できない数学者が素数に醜さをみるのは、それ自体が神の存在証明(=人が神ではない証明)なのね、という話をしていたようだ。(^-^)/
2012-09-21 07:54:15数学はほとんど、神の美を人間の美観で分かるか、という話しかしていないから、分かったと思っても解けないというのも、人の美観が劣っているということにしかならず、実はそれ自体で神が存在証明されてしまうのかもしれない、という。数学わからんけどねーww(^-^)/
2012-09-21 07:49:02さっきのリーマン予想の証明でも、証明済みの神に対しての何らかな証明で、それ(素数)が、まだそれほど美しく見えてきていない、という話。なにせ証明に失敗する大数学者が口をそろえて、素数を美しくない、と罵るようだから。神にしか分からない美しさがあるのかもねww (^-^)/
2012-09-21 07:35:17おそらく、デカルトの方法論では、神はずっと存在証明されつづけなければ疑われる存在ということになるのだろうが(日本の近代性の特徴でもある)、そもそも誰も神を疑っていない、あるいは疑えないものの名前が神である以上、証明はいろいろと別なものを証明する。
2012-09-21 07:32:49独我論は哲学の誤読かと RT @araijumpei: 取材では、主観だからこそ謙虚になろうと考えています。@hirougaya: 西欧哲学の本をちょっと読めばすぐわかる。私の取材経験でも「結局人間は真実に到達することはできない。ただ主観だけがある」 @sunamajiri"
2012-09-21 07:16:42ところで、デカルトはずっと欺く神と格闘して、猜疑心から方法論を述べてしまう。対するスピノザは、デカルトの哲学原理で、デカルトの神証明を是正し、エチカ冒頭の数ページで、神の存在証明を終わらせてしまう。その結果、方法論を述べない。
2012-09-21 07:13:17言うまでもなく、哲学を神の(存在の)懐疑と誤解するのは、真理を神という名前で呼ばず、神を人格のような別な偶像に表象している場合なのだが、そういう欺く神というものを厳密に取り払うのが哲学。欺くのはむしろ人で、個人はだから神ではない。つまり誰も神の存在を疑っていない。
2012-09-21 07:13:04真理は人が触れられない神だということを疑い、真理に触れようとする日本人というのは、一頃、神の国と言われるほどだったのだが、そういうものが神とは私にも思えない。しかし気掛かりなのは、そういう素朴で純真な気概を日本人が決定的に喪失した、ということの方だな。無関心が席巻してるしね。
2012-09-21 06:49:54@hirougaya さんが、神=真理を前提しないで、主観=真理となり、個人になりきれず同調圧力になる、という話をしていて同感なのだが、では日本人がそれで何が出来ると思っているかが気になるところ。もちろん何もできないのだが、実際には神に代る真理を追い求めているってことだからね。
2012-09-21 06:34:15素数はπと等号になるオイラー積や、自然対数eと等号になるガウスの無限論、そしてリーマンのゼータ関数まで、直感的に美的なのだと思うだけど、リーマン予想を解こうとして失敗した数学者は、それらの直感は醜悪だといいますよね。人間と神の戦いね。@nakagawasun
2012-09-21 06:26:28リーマン予想に失敗した大数学者が、自分の美観に負けて、リーマンの直感である素数の美に到達しないで、素数は無意味だと暴言を吐きますよね。真理を自分たちの主観的な美観で捉えた所で負けている。@nakagawasun 素数が重宝しているのと関係があるのかな?
2012-09-21 06:15:33まさしく僕もそう感じます。いつも取材では、主観だからこそ謙虚になろうと考えています。@hirougaya: 西欧哲学の本をちょっと読めばすぐわかる。私の取材経験でも「結局人間は真実に到達することはできない。ただ主観だけがある」と思い至りました @sunamajiri
2012-09-21 05:41:47取材でというのも説得力あります。子供たちに読解を学ばせていても、人間は真実ではないから、という救済になることが良くあります。@hirougaya 西欧哲学の本をちょっと読めばすぐわかる。私の取材経験でも「結局人間は真実に到達することはできない。ただ主観だけがある」と思い至りまし
2012-09-21 05:39:22@sunamajiri どうでしょぅ?数式・記号式は、ほとんど(←このようにかっこでくくって→)2乗している。そうすると、戻すときはルートでもどしやすいってことかな。これはもしや、素数が重宝しているのと関係があるのかな?←←←なーんて(^^)笑っちゃうしょ
2012-09-21 05:32:11そんなことないです。西欧哲学の本をちょっと読めばすぐわかる。私の取材経験でも「結局人間は真実に到達することはできない。ただ主観だけがある」と思い至りました @sunamajiri
2012-09-21 05:26:57カエルさんも神掛かってきましたね。この話(日本人が真実を捉え違える)という話をしはじめると、神掛かるんですよーw(^-^)/ @hirougaya 主観をいかに多数積み上げても、真実に近づくことはできても真実そのものに到達することはできません。真実は「神様の領域」にあるのです。
2012-09-21 05:19:19主観をいかに多数積み上げても、真実に近づくことはできても真実そのものに到達することはできません。真実は「神様の領域」にあるのです。
2012-09-21 05:16:20その言い方では、神って分節じゃなく、意味(実体や存在という意味)の包摂。それは個人ではできない。神だけが真実といわれるのも、アニミズム的に名目に分節されるもの全てを、神という一語で包摂するから。@JM_is_alive 言葉によって世界を分節していったら「神」って必要なく
2012-09-21 04:58:11「真実は神様だけが知っている 」という思考はキリスト教文化に属さない私にも容易に理解できます。 人間が認識するものは全て主観にすぎないからです。
2012-09-21 04:16:48なんで日本の現代文にとって、一番重要な確定命題は、近代かどうかなんでしょう。私は、近代かどうか、人間かどうか、自由かどうか、と簡単に教えています。(^-^)/ @JM_is_alive
2012-09-21 02:22:47