体罰と暴力 何がどこまで許されるか
@chronekotei その場合は、その中でもさらに暴力的な行為も両者の合意で行なわれることがあり、合意であるならそういう趣味を責めることはできないと思うんだよね。でも、それで大怪我したり死んだりしたら、刑事事件
2013-01-18 15:31:35@kikumaco たとえば大怪我をしたとしても、そこは話し合いの問題なのですが、合意の下であれ他人を殺したとしたら社会全体の秩序に抵触するから、個人の愚行権の範疇ではなくなるわけですね。
2013-01-18 15:33:08行き過ぎたSM行為が法律の問題になるのは、まあ相手が死亡した場合だね。現代の社会では、相手が合意していたとしても死なせると罪になる。自殺幇助なんかもそうだけど、「他人を死なせる」行為はどんな理由があれ社会秩序に抵触する。
2013-01-18 15:35:26まあ、本題に戻ると、体罰が問答無用で暴力と認定し得るのは、基本的に相手が就学中の未成年だから合意形成能力が十分ではないと見做されるからだね。しかもそこに立場の不均衡がある。セクハラと同様、形の上で肯定していてもそれが暗黙裏の強制によるものでないとは言い切れない。
2013-01-18 15:36:53@chronekotei よく分からないのが刑法の最低処罰年齢が15歳であるということです。つまり、15歳以上の人間は「人を殺すのは悪いことである」、あるいは「自分の死期は自分で決めてよい」という判断ができるのに、「この人とセックスしたい」という判断はできないということになる。
2013-01-18 15:43:39@tsuneduka この間ちょっと性指向・性嗜好の問題で検索したところ、性的自己決定の年齢を引き下げるべきだと謂う議論も細々とあるみたいですね。これはそれぞれの社会状況との兼ね合いがあるので難しいところですね。
2013-01-18 15:45:34@tsuneduka ただまあ、何が許諾されて何が制限されるのかが個別に調整されるのはそんなに間違った考え方でもないだろうな、とも思います。自己決定能力がどんな対象にでも均しく成熟するとはちょっと思えないこともありますし。
2013-01-18 15:46:21だから、たとえば座禅の修行であっても、学校の授業として行われれば体罰と認定し得る場合は十分にある。体験教室なんかで一回くらい座禅を組む分には許されるかもしれないけれども、本質的にはその時点ですでにグレーゾーンに踏み入っている。
2013-01-18 15:39:22一番下に「罰策・罰警」って項目がありますね、これはやはり修行僧が自発意志に基づいて宗教の修行を目的として入門していることが相当の確度を持って信用し得ると謂うことで未だに存続しているわけね。
2013-01-18 15:43:11そして、「一発殴るなら異常じゃないが数十発殴ったのは異常だ」と言うのなら、異常な状況を黙って視ていたり聞いてもそんなことは問題じゃないと謂う態度を取る人間を異常だと表現することは別に間違っていないと言っているんだよね。だから、問題の核心はそんなところにはないんだ。
2013-01-18 16:07:03@chronekotei それはですね、結局、「暴力」か「威力」かの話だと思うわけです。人間だから、かっとなって手を挙げることもあるでしょう。いい悪いはさておき。それは紛れもなく「暴力」です。で、「暴力」によって目的達成できるという認識で用いられるのが「威力」。
2013-01-18 16:09:37@chronekotei 「暴力」であれば回数が問われますが、「威力」であれば回数は関係なくおぞましいという認識、感覚なのではないですか?
2013-01-18 16:10:22@masakiwachiex いや、体罰の問題に関して言えば、暴力と威力をあえて区別する必要はないかな、と思います。問題は、学校と謂う閉鎖的な場で、教師から生徒に対して行われると謂うことだと考えますので、暴力は均しく排除されないといけないと思います。
2013-01-18 16:12:00@masakiwachiex 一般社会においては、仰る通りでしょうね。暴力についてはその程度によって責任の程度を勘案する、威力の行使であれば脅迫と謂う性格を帯びるのでまた別の問題になる、と。
2013-01-18 16:13:30@masakiwachiex 教育の場では、特別な意図に基づくものではない単なる暴力であっても、長期的には教師を畏怖させて従わせると謂う目的性に合致しますから、こと体罰の問題ではあえて区別する必要はないと謂う考えです。
2013-01-18 16:15:46教育の場で教師が生徒に体罰を加えるのは、それが一発だろうが数十発だろうが、異常だろうが異常であるまいが、そんなこととは無関係に問題なんだと謂う話をしているんだよね。異常であるか正常であるかに拘っても意味がない。
2013-01-18 16:09:25戻ります。
@chronekotei 「いしかわさんは、桜宮の件が異常であるとしたらそれは程度の問題であると考えられた」―すごく頭が混乱しているのは、当事者の生徒や保護者がそう考えているであろうということ。あくまでも問題の枠を桜宮にとどめた上でのことです。僕自身は体罰など吐き気がしてます。
2013-01-18 17:03:00@cQ_Q 言ってみればそれは認知上のバイアスであって、体罰があらゆる面で子供の教育に悪影響があると謂うのは、議論の余地のない事実なんです。
2013-01-18 17:05:48@cQ_Q 認知上のバイアスに対しては、一定の斟酌が必要ではあっても、だからそれも一つの考え方だ、とはならないんです。どこかでそのバイアスの連鎖を断ち切ることでしか解決はありません。
2013-01-18 17:07:43@chronekotei なんども書いている通り今回の事件の解決として「生徒のケア」が最優先だと。しかしその当事者達が体罰に肯定的に傾くバイアスを有していることを理由に、外野から異常であると活動停止や入試中止をすることの違和感をぬぐいきれません。
2013-01-18 17:10:49