渡邊芳之先生@ynabe39の「すごく根本的なところで私は「いじめに反対する人の多くも,悪いやつならいじめてもよいと思っている」ことが気になっている。」

朝から絡まれてるんじゃなくて、私が絡んでるんです。 「本人は悪くないのに攻撃されるのがいじめ」としてしまうと、「お前が悪い」とみんなに言われてしまえば終わり、となります。「本人が悪くてもいじめはいじめ」。 「落ち度があるからいじめてよい」「こちらが正義だからいじめてよい」というロジック自体を排除しないとダメなんです。本人に落ち度があってもいじめはいじめ、正義のためであってもいじめはいじめ。 続きを読む
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まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「「いじめられるほうにも原因がある」ということと「いじめられるほうも悪い」ということは「.. さて,その「いじめといじめでないもの」を分ける「本人が悪いか悪くないか」はいったい誰がどうやって決めるのだろう。 刑罰や法的な制裁が「いじめ」といわれないのは「本人が悪いかどうか」を決める基準や手続き,それに対する制裁の内容や方法が厳格に定められおおむね合意されているからだ。 by 渡邊芳之 ※捉え違いをしている方が多そうなので追記 朝から書いているように「被害者側に原因がある場合もある」ということも含んで「いじめの原因は加害者にも被害者にも,また学校などいじめが生じる環境にもある」と思います。しかしそのことと「被害者側にも責任がある」とか「いじめられるほうも悪い」というのは別。 そもそもいじめについて「加害者側に原因がない」なんてことはあり得ないでしょう。たとえそれが「人間すべてが生まれつき持ってい.. 62013 pv 257 159 users 118

渡邊芳之 @ynabe39

それは「心の問題」なんかではないと言うのも心理学者の仕事。

2013-01-20 21:36:58
渡邊芳之 @ynabe39

人間同士だったらどうですか? RT @f_bacon: 帰責性はモノより人間にあってほしいw RT @kdxn: 原因は「その人が赤いものを見ると踏みつぶしたくなること」じゃないですか?

2013-01-21 03:23:17
渡邊芳之 @ynabe39

赤いリンゴがなければ踏まないのですから、赤いリンゴを踏む、という行動の原因は「踏み潰したい」ことと「リンゴがある」ことの両方です。どちらが欠けても「踏みつぶす」行動は起きない。 RT @kdxn: 原因は「その人が赤いものを見ると踏みつぶしたくなること」じゃないですか?

2013-01-21 03:28:36
渡邊芳之 @ynabe39

同じことです。RT @kdxn: 外国人を見たら殺したくなる人がいたとして、ある外国人がその人に殺されたら、原因はその人が「外国人を見たら殺したくなる」ことのほうでは?

2013-01-21 03:29:06
渡邊芳之 @ynabe39

@kdxn 「原因はひとつ」ではないし、その原因を構成する要素であることと「責任を問われるべきであること」はイコールではありません。

2013-01-21 03:32:38
渡邊芳之 @ynabe39

@kdxn 「赤いリンゴを踏み潰す人」がいるのがわかっている時に、野間さんがそこに赤いリンゴを置いて、それが踏みつぶされたなら、野間さんも「リンゴが踏みつぶされた原因」に加わります。

2013-01-21 03:33:31
渡邊芳之 @ynabe39

@kdxn 私は「いじめられる方が悪い」と言えてしまう理屈について考えています。その「原因=責任」という考え方だと、何らかの意味で「いじめられる方にも原因がある」と言えてしまうと、自動的に「いじめられる方も悪い」とも言えてしまう。

2013-01-21 03:36:40
渡邊芳之 @ynabe39

@kdxn じっさいのいじめで「いじめられる方の持っている特性」が「いじめの口実」になることはとても多いし、とくにそれが「協調性がない」とか「生意気だ」とかだと教師など大人もいじめに加担することが多いです。そこにも「原因の種類によってはいじめられる方が悪い」論があります。

2013-01-21 03:40:30
渡邊芳之 @ynabe39

@kdxn 「それは原因じゃないからいじめてはいけない」のならば、野間さんが「原因」だと思えるようなことがいじめられる側にあればいじめてもいい」のでしょうか。私が言ってるのは「野間さんが原因だと認めるようなことがいじめられる側にあったとしても、いじめてはいけない」ということです。

2013-01-21 03:43:55
渡邊芳之 @ynabe39

@kdxn 野間さんが言ってるのは「単なる口実や誘因でなく、明らかな原因がいじめられる側にあるならば、いじめられる方が悪く、いじめてもよい」ということです。いっぽう私が言ってるのは「もし明らかな原因がいじめられる側にあったとしても、いじめてはいけない」ということです。

2013-01-21 03:47:16
渡邊芳之 @ynabe39

@kdxn もう一度書きますが、私は「口実でなく原因であっても、いじめてはいけない」と言っています。そうでないと「これは口実でなく原因だ」と言える適当なロジックがあれば、いじめは簡単に正当化されてしまいます。

2013-01-21 03:49:57
渡邊芳之 @ynabe39

それは違う、というのが私の「根本的な主張」です。「在特会を批判するのもいじめ」とあえて私が言った時の論点はそこです。 RT @kdxn: その行為を「いじめ」と呼べるかどうかは、その「明らかな原因」によって変わるんじゃないでしょうか。

2013-01-21 03:51:59
渡邊芳之 @ynabe39

@kdxn そうであれば、学校におけるいじめでも「いじめかいじめでないかは態様による」のであって、いじめられる側に原因があるかどうかの問題ではないですよね?そうじゃないですか?

2013-01-21 03:58:07
渡邊芳之 @ynabe39

「いじめられる方が悪くてもいじめるのはいけない」と言わないと、けっきょく「こいつが悪い」という理屈さえ立てばいじめてもよくなってしまい、その時には「論理的な強者」が有利になります。典型的なのが「大人の子供いじめ」で、大人の理屈がいじめを正当化するのに子供は反論できない。

2013-01-21 04:02:19
渡邊芳之 @ynabe39

いじめる側が「いじめられる側が持つ明らかな原因」を提示できるなら、どのような態様のいじめも免罪されますか? RT @kdxn: 前提がひとつ抜けてます。「明らかな原因」があった場合の話です。

2013-01-21 04:04:03
渡邊芳之 @ynabe39

@kdxn 盗みは私的に制裁しなくても法的に罰せられます。じっさいにいじめの原因になっているのはそのような「誰から見ても明らかな落ち度」ではありません。

2013-01-21 04:07:05
渡邊芳之 @ynabe39

いじめの話をしているのだから当然です。 RT @kdxn: つまり最初に「いじめ」が前提となっているところに問題があるんじゃないですか? 

2013-01-21 04:08:04
渡邊芳之 @ynabe39

私が言っているのは「いじめられる側に明らかな落ち度があっても、いじめが正当化されるわけではない」ということです。「在特会批判」だって「やり方によってはいじめだ」と言えるのはそれが前提ではないでしょうか。

2013-01-21 04:11:28
渡邊芳之 @ynabe39

いいえ。「態様によってはいじめである」ということだし、そもそもそれは野間さんの言葉を借りたものです。 RT @kdxn: でも「在特会を批判するのはいじめか否か」という議論が「いじめの話」だとしたら、結論があらかじめ決まっているということではないですか?

2013-01-21 04:12:50
渡邊芳之 @ynabe39

言いかえれば「不正義であるものはいじめであり、正義であるものはいじめではない」としてしまうと、「正義であるというロジック」によっていじめが正当化されます。実際多くのいじめは教室やグループ内の「ローカルな正義」によって正当化されている。

2013-01-21 04:15:30
渡邊芳之 @ynabe39

@kdxn ですがその「いじめの原因」は在特会の主張や行動にありますよね? ほら、原因がいじめられる側にあっても、いじめたらダメでしょう?

2013-01-21 04:17:03
渡邊芳之 @ynabe39

いじめられている側は多くの場合そのロジックを問う権利が奪われていたり、問う能力がまだなかったりします。 RT @kdxn: 「正義であるというロジック」が正義かどうかをこそ問うべきじゃないですかね。そのロジックそのものを避けるよりも。

2013-01-21 04:19:07
渡邊芳之 @ynabe39

いじめる側が不正義だと、なんの政治的主張もしない在特会があってもいじめますか? RT @kdxn: いや、「いじめる側の不正義」が原因です。

2013-01-21 04:20:41
渡邊芳之 @ynabe39

たとえば「協調性がない」とか「生意気だ」という「罪状」はいじめに抗議したり対決したりすることでむしろ強められます。特に大人による子供いじめでは「黙っていじめられないこと」が子供の罪とされ、いじめがますます正当化される。

2013-01-21 04:24:46