渡邊芳之先生@ynabe39の「すごく根本的なところで私は「いじめに反対する人の多くも,悪いやつならいじめてもよいと思っている」ことが気になっている。」

朝から絡まれてるんじゃなくて、私が絡んでるんです。 「本人は悪くないのに攻撃されるのがいじめ」としてしまうと、「お前が悪い」とみんなに言われてしまえば終わり、となります。「本人が悪くてもいじめはいじめ」。 「落ち度があるからいじめてよい」「こちらが正義だからいじめてよい」というロジック自体を排除しないとダメなんです。本人に落ち度があってもいじめはいじめ、正義のためであってもいじめはいじめ。 続きを読む
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渡邊芳之 @ynabe39

「言っていいことと悪いこと」というのは「誰が言うか」によってまるで異なる。とくに「当事者」と「当事者以外」がいる場合,当事者以外は言ってはいけないことや当事者以外が言うと問題を見誤らせてしまうようなことがある。

2013-01-21 07:46:08
渡邊芳之 @ynabe39

高校生は飲まない。 RT @hamurabi_subst: @ynabe39 高校で習ったおくすり

2013-01-21 07:46:27
渡邊芳之 @ynabe39

「見て見ぬふりをするのもいじめ」と言ってしまうと「ますますいじめる側が多数派になり社会的勢力として有力になる」のではないかとも思う。

2013-01-21 07:56:14
渡邊芳之 @ynabe39

幸福になる脳の使い方…

2013-01-21 07:58:21
渡邊芳之 @ynabe39

この「傍観もいじめ」もけっきょく「どのタイミングで,誰が誰に言うか」なんだろうなあ。

2013-01-21 08:07:22
渡邊芳之 @ynabe39

@wordblow @sweets_street そうです。文科省のいじめの定義が「一定の人間関係のある者から」とされているのもそのことです。

2013-01-21 12:53:52

まとめ 渡邊芳之先生ynabe39の「自分の子どもには辛くなったら学校はやめてよいと言っている。そのことにどんな弊害があると.. 自分は学ぶことで幸福になった、自分は学ぶことで騙されなくなった、でも他の人は違うかもしれない。そういうイマジネーションを生み出すのも知識の力です。by 渡邊芳之 9354 pv 73 15 users 3