渡邊芳之先生ynabe39の「「いじめられるほうにも原因がある」ということと「いじめられるほうも悪い」ということは「まったく別のこと」である。「いじめられるほうにも原因がある」を「間違い」として批判する人はこの2つを混同していることがある。」
デスブログ問題、自分のやっていることを「いじめ」と指摘されることを非常に不快に思う人が多いことがわかる。私が「批判といじめは紙一重」みたいなことをいうとひどく嫌われるのも同じことだ。
2013-01-19 22:13:57「いじめは悪い」ということだけは相当に共有されているのだなと思う。ただしいじめてる人の多くは自分がいじめをしているとは思っていないし、いじめだと言われると驚愕し激怒する。
2013-01-19 22:18:27こういうことは、色々あるよなあ。 RT @ynabe39: 「いじめは悪い」ということだけは相当に共有されているのだなと思う。ただしいじめてる人の多くは自分がいじめをしているとは思っていないし、いじめだと言われると驚愕し激怒する。
2013-01-19 22:26:53どんなリストに入れられようと、陰で何を言われようと、見えないなら、ブロックするまでもない。ブロッするのは、見たくない@メンションを飛ばしてくる奴。
2013-01-19 22:33:53@junalow 何か全く勘違いされていると思います。ここでいう「デスブログ問題」とは、「誰かのブログをデスブログだというのはいじめだ」という意見に批判が殺到した問題のことです。
2013-01-20 05:40:01@junalow ちなみに、いじめで「いじめられる方の特性がいじめの原因の一部になっている」ことは明らかにあると思います。たとえば北海道生まれであることでいじめられるとすれば、「その人がいじめられる原因」の少なくとも一部は北海道生まれであることです。
2013-01-20 05:42:26@junalow 問題は「本人に原因があったらいじめてもいいのか」で、本人に原因があってもいじめてはいけないのです。「本人にも原因があるというな」という意見は裏返せば「本人に原因があればいじめてもいい」ということになりませんか?
2013-01-20 05:46:05前にも書いたことだが,「いじめられるほうにも原因がある」ということと「いじめられるほうも悪い」ということは「まったく別のこと」である。「いじめられるほうにも原因がある」を「間違い」として批判する人はこの2つを混同していることがある。
2013-01-20 05:52:11「まわりの生徒と違う特徴を持っている子」がいじめられやすい,ということは間違いなくあるが,そのとき「まわりの生徒と違う特長を持っている」ことは「いじめられる原因」になりうるし,教師はそういう子が「いじめられやすい」ことに気づいていじめの防止や発見に配慮しないとならない。
2013-01-20 05:56:06しかしこのとき「まわりの生徒と違う特徴を持っている子が悪い」のではないし,「まわりの生徒と違う特徴を持っている子はいじめてよい」わけでもない。本人に「いじめられる原因」があったとしても,いじめるのはいじめるほうが悪いし,いじめてはいけないのだ。
2013-01-20 05:59:32原因と責任の混同。 RT @ynabe39: 前にも書いたことだが,「いじめられるほうにも原因がある」ということと「いじめられるほうも悪い」ということは「まったく別のこと」である。「いじめられるほうにも原因がある」を「間違い」として批判する人はこの2つを混同していることがある。
2013-01-20 06:00:45「いじめの根本にあるシステム」についてはそうですね。しかしその「同じシステム」をいじめのように野放しにしないで,刑罰のようにきちんと社会的にコントロールしている例もあります。 RT @naoki4g: いじめはなくなりませんね、自然淘汰。生きていく上で必然ですね。
2013-01-20 06:01:24なお,それらは「自然淘汰」とはずいぶん違ったシステムです。 RT @naoki4g: @ynabe39 いじめはなくなりませんね、自然淘汰。生きていく上で必然ですね。
2013-01-20 06:02:49.@ynabe39 イジメを招いた「原因」が被害者にあったとしても、だからイジメてよいということにはならないのであって、イジメた「責任」は加害者のみにある。
2013-01-20 06:03:07「自然淘汰」という言葉が比喩的に使われると意味が拡散しすぎてわけがわからなくなるなあ。進化論が「淘汰」という言葉(訳語)を使わなくなったのもそのためだろう。
2013-01-20 06:04:03「いじめられるほうに原因があると言うな」というのは裏返せば「いじめられるほうに原因がある場合はいじめられるほうが悪い」あるいは「攻撃されるほうに重大な落ち度がある場合は攻撃してもいじめではない」という意味になる。
2013-01-20 06:09:03まえに私がケチをつけた「正当な批判はいじめではない」という意見はまさにそういうことを言っている。つまり「本人が悪くないのに責めるのはいじめ」だが「本人が悪いのを責めるのはいじめではない」ということだ。もちろん,これに反対する人はいないだろう。まさに「常識」だと思う。
2013-01-20 06:11:10イジメ防止には、イジメを「選びにくい」環境づくりが大切。その第一は、被害者が逃げやすい制度づくり。次に、イジメたら損する制度づくり。
2013-01-20 06:14:41@a334 私は「いじめの原因がいじめられる側にもあることはあるが,それといじめられる側も悪いというのは違う」ということを言っています。
2013-01-20 06:16:28批判が正当かどうかは、批判される相手が悪いかどうかだけでは決まらない。批判のやり方が正しいかどうかも重要。やり方が悪ければ、それは不当な批判になる。
2013-01-20 06:18:06さて,その「いじめといじめでないもの」を分ける「本人が悪いか悪くないか」はいったい誰がどうやって決めるのだろう。刑罰や法的な制裁が「いじめ」といわれないのは「本人が悪いかどうか」を決める基準や手続き,それに対する制裁の内容や方法が厳格に定められおおむね合意されているからだ。
2013-01-20 06:19:54