渡邊芳之先生ynabe39の「「いじめられるほうにも原因がある」ということと「いじめられるほうも悪い」ということは「まったく別のこと」である。「いじめられるほうにも原因がある」を「間違い」として批判する人はこの2つを混同していることがある。」

さて,その「いじめといじめでないもの」を分ける「本人が悪いか悪くないか」はいったい誰がどうやって決めるのだろう。 刑罰や法的な制裁が「いじめ」といわれないのは「本人が悪いかどうか」を決める基準や手続き,それに対する制裁の内容や方法が厳格に定められおおむね合意されているからだ。 by 渡邊芳之 続きを読む
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渡邊芳之 @ynabe39

なるほど。それは「制裁の方法」から「いじめといじめでないもの」を分ける基準ですね。 RT @wlte_el28: 自分がどんなに正しいと思っていても、一人を大勢で責めたらそれはいじめ。というのが我が家の教育だった

2013-01-20 06:21:26
渡邊芳之 @ynabe39

「赤いものを見ると踏みつぶしたくなる人」がリンゴを踏みつけたとしたら,そのリンゴが踏みつけられたのは「赤いことが原因」ではないですか?しかしそれを「リンゴのほうが悪い」とはいわないだけの話。@a334

2013-01-20 06:22:55
沼崎一郎 @Ichy_Numa

基準と手続きが「公正」でなければ、正当な社会的制裁とは言えない。それは、学校でも、家庭でも、国家でも同じ。特に、手続きの公正さが大切なのに、この点の認識が日本社会では非常に弱い。これが、イジメ容認につながっている。

2013-01-20 06:22:56
沼崎一郎 @Ichy_Numa

イジメ、バッシング、ハラスメント、リンチは、全て同じで、基準と手続きが「不公正」な恣意的制裁。

2013-01-20 06:26:29
渡邊芳之 @ynabe39

沼崎先生のいうとおりで,誰かを「社会にとって悪いもの」とし「制裁」するときにその基準や方法が明確に定められていて公正に運用される限りはそれを「いじめ」と呼ぶ人はいない(あるいは非常に少ない)。

2013-01-20 06:28:31
渡邊芳之 @ynabe39

しかし「刑罰」と「いじめ」との間には巨大な「グレーゾーン」が拡がっている。「ネットで変なことを言った人を批判する」ようなことも,「批判」している側はそれを「刑罰に近い公正なもの(だからいじめではない)」と思いたがるし,いっぽう「批判」される側や第三者からは「いじめ」に見える。

2013-01-20 06:31:52
渡邊芳之 @ynabe39

けっきょくこれも程度問題で,できるのは線引きだけである。すごく厳格に線引きすれば「法に基づかない私的制裁はすべていじめである」ということになるし,線引きが逆の方向に大きく移動すれば「これはいじめではない」というものが増える。

2013-01-20 06:37:07
渡邊芳之 @ynabe39

まさに,「正当な批判をしていると考える人」はよく相手の行為を「犯罪だ」とか「犯罪に等しい」と言いますよね。「犯罪」だったら責めてもいじめじゃないですから。 RT @apoapoapollon: だからリアルで実際に創価左翼や北海道のストークや暴行あったら犯罪だろ、話転化すんなよ

2013-01-20 06:39:21
渡邊芳之 @ynabe39

ただ自分的には「刑罰は厳格で公正だからよいのだ」と思うよりは「刑罰といじめは同じ基本的なシステムの両面で,刑罰によって社会が維持されるようなシステムの負の面がいじめなのではないか」と思ってしまう。

2013-01-20 06:43:42
渡邊芳之 @ynabe39

近代以降の社会制度の中では「殺人」は個人が行うと基本的にすべて犯罪だけど,政府が行う場合だけは適法とされている。同様に「秩序を乱すものへの制裁」も「法に基づいて政府や行政が行うもの」にできるだけ限定していこうというのが歴史の流れだと思う。(続く)

2013-01-20 06:46:48
渡邊芳之 @ynabe39

(続き)そうすると,時代を経るにつれて「いじめ」とされるものの範囲はだんだん広がっていくのではないか。現にいま「いじめ」とされていることでも私の子ども時代にはまったく問題にされなかったことはたくさんあると思う。

2013-01-20 06:47:59
渡邊芳之 @ynabe39

@a334 それはまた別の問題。教育現場では「その原因」に気づいていじめが起きる前に配慮しておくのは生徒本人ではなくて教師の責任だと思います。

2013-01-20 06:49:21
渡邊芳之 @ynabe39

犯罪と刑罰の場合も裁判と弁護がありますしね。 RT @cafemari: 「批判」と「いじめ」の線引き。私は「空気」もふくめて「受けた側に反論の余地があるか」ではないかと思っています。ネットの匿名の是非にも通じていく話でもあると思っています。

2013-01-20 06:51:18
渡邊芳之 @ynabe39

@kazuo_kazuo007 「その場合」と「別の場合」は区別できますし,あるいは「いじめる側に責任がある」ことと「いじめられる側にも原因がある」ことは容易に両立します。「いじめられる側を責めるな」というのと「原因がどこにあるか」をいっしょにしちゃうのを「混同」と言っています。

2013-01-20 06:54:22
渡邊芳之 @ynabe39

なるほどこういうことを言うと「刑罰への批判」ととられるのか。私が言っているのはいつものように「われわれが信頼し享受している社会システムが同時にわれわれの社会の問題も作り出している,しかしそのシステムを捨てたり急に変えたりすることはできない」ということなんだけどな。

2013-01-20 06:56:20
渡邊芳之 @ynabe39

というか「○○には××という問題がある」というとすぐ「○○批判」「○○追放論」だと捉えるのはやや短絡的だと思う。

2013-01-20 06:57:18
渡邊芳之 @ynabe39

それこそ1970年には「正当な批判であり言論である」と思われたことが2014年には多くの人に「単なるいじめ」ととられることは多いと思う。たとえば政治家への批判なんかかなりそういう雰囲気になっている。

2013-01-20 06:59:49
渡邊芳之 @ynabe39

1970年には総理大臣の悪口なんかいくら個人攻撃して罵詈雑言を言っても「正当な政治批判であり言論である」とみんな考えたけど,今それと同じことをやったら「安倍さんを不当にいじめている」と思われることのほうが多いのではないか。

2013-01-20 07:02:38
渡邊芳之 @ynabe39

そうなんです。グレーゾーンのない世界もまた誰の利益にもなりません。 RT @MATARICA: 「グレーゾン」がない社会は … それは高潔かもしれませんけど為政者も市民も望まない気がします。

2013-01-20 07:08:48
渡邊芳之 @ynabe39

こうやって毎朝同じくらいの時間に同じように連続ツイートしているから「茂木さんとか」というリストに入れられてしまうんだろうな。

2013-01-20 07:09:43
渡邊芳之 @ynabe39

こんなに「批判しちゃいけない」社会なのに「逸脱者への批判」だけは著しく野放しなんだよね。

2013-01-20 07:10:58
渡邊芳之 @ynabe39

「ビートルズ来日けしからん!」(時事放談)。 RT @rollei_life: @ynabe39 まるで、日曜朝の教養番組扱いですね。

2013-01-20 07:14:51
渡邊芳之 @ynabe39

「自分もいつ加害者となって裁かれるかわからない」というイマジネーションは必ずしも「加害者への同情」にはつながらないよね。むしろより感情的な反発になる場合も多いだろう。

2013-01-20 11:24:30
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも「問題があると言われると悪口を言われたと思う」ことそのものもおかしいという話も私のTLにありました。 RT @tacchin7: 「原因」という言葉は「問題」とセットで使われる事が多くて、「原因がある」と言うと、その人に「問題」があると捉えられてしまうのでは…

2013-01-20 11:54:06
渡邊芳之 @ynabe39

まあこれも「問題がある」という言葉のある種「朝日ジャーナル的」な用法がいけないのだろうと思う。「問題だ!」「問題にするぞ!」というような言い方もおしなべてそう。

2013-01-20 11:55:30
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