科学とニセ科学とホメオパシーなど
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---科学が「手段として」優れているのは、強力なエラー訂正機能と自己進化機能を併せ持っているからである---
2010-09-02 00:03:36科学を定義するのは難しいが、あえて単純化するならば、世の中の仕組みと成り立ちを解明する為の「手段」である。ここで重要なのは、目的でもなければ結果でもないという点である。目的も結果もそれぞれに重要ではあるが、それらはいずれも科学そのものではない。
2010-08-13 23:48:26科学に目的まで求めると、哲学や宗教との境界が曖昧になってしまう。一方で、科学の結果として得られた理論体系や更にそれを応用して得られた技術などは、科学そのものと区別されなくてはならない。例えば「理論の間違いは科学の敗北を意味しない」など。
2010-08-13 23:51:19@_pseudoctor 「理論の間違いは科学の敗北を意味しない」は、「間違った理論を更新できる事は科学の勝利である」と言い換えても良いと思います。
2010-08-13 23:56:20科学が手段として優れているのは、自らが進化する点に負う所が大きい。即ち、得られた結果を検証して次回にフィードバックする。この様にして手段そのものが更新されてきた。そして今後も更新され続けていくのである。
2010-08-13 23:55:14誤ちの指摘を進歩だと喜ぶのが科学、自己否定だと怒るのが信者ですね RT @ohira_y: 千島学説やホメオパシーが誤りと今日わかるのは科学の勝利だが、信者にとっては敗北を意味する。>先鋭化
2010-08-14 00:05:34科学者は、自説がどうであれ、正しいと思える説が出てきたら、潔く切り替えて認めるのだと、その大御所先生の態度から教わりました。その先生は、その後もご自分書かれた総説などにもこちらの研究成果を取り上げて宣伝して下さいました。尊敬する先生の一人です。
2010-08-20 14:47:07@kumikokatase まさしく、科学が方法論として優れているのは、エラー訂正機能を持つだけでなく、自ら発展していく所にあるのだと思います。先日もこの様につぶやきました http://bit.ly/b9yQeR
2010-08-21 00:39:08---科学の営みとは「事実の観察・仮説の提唱・仮説の検証」を無限に繰り返し続ける事---
2010-09-02 00:03:53@ublftbo ちょっと違う言い方を思い付きました。「仮説+検証過程=検証済み仮説(但し暫定的)」という式を考える。ここで重要なのは、右辺は暫定的であるが故に再び左辺の仮説に代入される。つまりこの式の構造は円環的であり、その事が科学の発展を示している。
2010-06-13 12:36:58@ublftbo この場合、式の全体と各構成要素のいずれも科学と呼べる。但し「棄却された仮説」は式のループから外れるので、外れた時点をもって、科学ではなくなる。/てな言い方はどうでしょう。
2010-06-13 12:40:03ですです。後、確かに=より→の方が良いかもですね。数式よりもプログラミング的な使い方に近いというw RT @ublftbo: そして、棄却された説を再び見直そう、という営みは左辺に入り得る、ということですね。
2010-06-13 13:31:57@_pseudoctor 横から失礼します。右辺に出てくるのは仮説の強度で、1(正しい)と0(間違い)に漸近するものではないか、と思います。ある程度0に近づいたものはループから(とりえあず)外す事にすると。ある程度がどの程度かの線引き問題は残ってしまいますが。
2010-06-13 13:14:20@alt_az 済みません、言及に気付くのが遅れました。確かにイメージとしては仰る通りと思います。つまり「仮説+検証→より強度の上がった仮説or強度の下がった仮説」という事ですよね。
2010-06-15 23:31:33@alt_az そして、強度の下がった仮説は棄却されるか誰かが再評価するまで放置される、いずれにしても(とりあえず)ループからは外れる、という事なのですよね。確かに私もそう思います。
2010-06-15 23:33:29仮に、反証可能性のあるものだけが科学だと仮定してみましょう。この場合、「反証可能性が無い→科学ではない」が真であるとしても、「反証可能性がある→科学である」とは言えません。言い換えれば、反証可能性は科学であることの必要条件であるけれども十分条件ではありません。
2010-06-09 00:05:47まさにそう思います。 RT @kikumaco 反証可能な非科学だってあるはず
2010-06-09 00:16:54「科学で解る事が全てではない」という言い方を時折目にする。しかし当の科学者達はそんな事は骨身に沁みて解っているのであって、わざわざ言い立てる程の事では無い。こういう事を殊更に言いたがるのは、むしろ科学の限界を良く知らない人の方に多いと感じている。
2010-08-01 23:04:52@_pseudoctor 「しかし当の科学者達は」 < まー、そりゃそうだ。「わかっていない事」を見つけるのが研究のスタートだからな(それだけじゃ駄目なんだけど)。
2010-08-02 15:12:09@sekizuka 殆どの科学者は研究者でもある訳ですから「科学で解っていない事」は飯の種と言うか、全部解ってしまったらオマンマの食い上げですね。
2010-08-02 22:42:55「科学で解る事が全てではない」からと言って、思考を停止しない事が大切なんだと思います RT @_pseudoctor: 「科学で解る事が全てではない」という言い方を時折目にする。しかし当の科学者達はそんな事は骨身に沁みて解っているのであって、わざわざ言い立てる程の事では無い。こう
2010-08-02 17:47:50@tsurumau これは重要な指摘だと思います。確かに「科学が全てではない」というのが思考停止の呪文になっている場合がありますね。「全てではない」なんて、ある意味当たり前の事なのに。
2010-08-02 22:46:52「科学で何でも解る訳ではない」というのは言わば「当たり前の事」なのであって、それ単体では殆ど何も言っていないに等しい。問題なのは、それを枕にして本当は何を主張したいのか、という点である。私は、自説の無根拠さを相対化する為に上記の言葉を使う人を見た事がある。
2010-08-07 22:19:15