うちの親伝説・GHQ

終戦後の日本。占領軍GHQで働くことになる。そこで初めて触れる「本物のアメリカ」は父にとって衝撃的だった。 時代順では「うちの親伝説・芋倉」「うちの親伝説・渡米」よりも前に来ます。
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【うちの親伝説・GHQ46】徐々に英語に自信を得てきた頃、父の元に思わぬ話が転がり込んでくる。インドの志士たちと同じ区画に住んでいた日本人で、GHQの通訳だったOさんから「君は若くて英語がよくできる。GHQで夏休みに働いてみないか」と誘われたのだ。

2013-04-16 11:05:32
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【GHQ47】バイトでも一人前の給料がもらえると聞いて、父はその話に飛びついた。勤務場所はGHQの自動車大隊の保安課。難しい面接が待っていると覚悟したが、Oさんの推薦のみで採用され、拍子抜けした。ただ、面接した将校が去ったあとの出来事が衝撃だった。

2013-04-16 11:05:46
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【GHQ48】将校の秘書は見たことがないような大きなマグカップいっぱいのコーヒーを持ってきてくれた。その中にはたっぷりのクリームと砂糖が入っていて、一口飲むと「ギリシアの神々の飲み物だ」と思うほど美味しくて、父は天にも昇る気持ちになった。(つづく)

2013-04-16 11:06:02
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【うちの親伝説・GHQ49】英語にはいささか自信があった。しかし、入ってすぐ、その自信は粉々に打ち砕かれる。米軍のGI(兵士)たちが話すスラングだらけ、訛りだらけの英語は、本でしか英語に触れたことのない父には知らない言語だった。

2013-04-17 06:05:40
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【GHQ50】初日、命じられたのはある安全運転のしおりの英語訳だった。乱暴なバスの運転を揶揄する風刺画のコメントを訳したところ、GIたちは爆笑した。なぜ笑うのかと聞くと、GIたちは日本人の運転は「offensive(攻撃的)」だと答えたが、その意味が分からなかった。

2013-04-17 06:05:51
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【GHQ51】すると、若い十代くらいのGIがかぶっていたキャップのツバを目の下まで深々と引き下げ、その状態でウロウロして見せながら「somethin’ like that(こんな感じだろ)」と言う。父にはそれが「サムンライクザット」と聞こえた。聞いたことのない表現だった。

2013-04-17 06:05:59
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【GHQ52】「これが本当の英語か」ショックを受けた父はやっと事の重大さに気が付いたが、時すでに遅かった。カルチャーショックの洗礼は否応なく始まった。今まで読んでいた上品な英詩や英文学とはかけ離れたアメリカ。本物のアメリカがそこにあった。(つづく)

2013-04-17 06:06:07
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【うちの親伝説・GHQ53】父の仕事は米軍の車両が起こした事故や犯罪の取り調べの通訳業務。日本人の容疑者に権利の説明や、取り調べの内容を伝える。早速ガソリンを盗んだ嫌疑の日本人が連れてこられたが、訳すはずの下士官の第一声に戸惑いを隠せなかった。

2013-04-18 14:19:03
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【GHQ53/資料】GHQ自動車大隊の補給課の入口で撮った父の写真。建物自体は明治時代に作られた国会議事堂の一部で、倉庫として使われていたものだそうです。 http://t.co/GgY108t5CE

2013-04-18 14:21:10
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【GHQ54】「あなたには黙秘する権利がある」訳はできた。でも、意味が分からなかった。「質問はするが、答えなくてもいい」――そんなバカな話があるか、と思った。きっと自分の誤訳に違いない。でも、何度聞いてもそうとしか聞こえないので、仕方なくそう訳した。

2013-04-18 14:19:11
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【GHQ55】「言いたくなければ言わなくてもいい」訳は正しかった。戦前の教育、日本の軍隊を経験した父にはそれは衝撃的な言葉だった。自分がなぜアメリカという国に憧れてきたのか、やっと分かった気がした。あの日聞いた「自由」の意味がやっと理解できた。(つづく)

2013-04-18 14:19:20
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【うちの親伝説・GHQ56】アメリカの軍人の中にただ一人の日本人。奇妙で不可思議な立ち位置だったが、父は馴染んでいった。突然部屋に上官が入ってきた時、思わずほかの兵士と一緒に立ち上がって敬礼したこともあったが、周りのアメリカ人はみんな笑って許してくれた。

2013-04-19 15:03:10
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【GHQ57】GHQの中は小さなアメリカだった。あれだけ行きたかった世界が、すぐそばにあった。雑誌で見たものが、実際にそこらにあった。本でしか聞いたことのない言語が毎日、耳から流れ込んでくる。何よりも、そこには未だ見たことのない本物の「民主主義」があった。

2013-04-19 15:03:39
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【GHQ58】上官に暴言を吐いた十代の兵士が裁判にかけられた時も驚いた。彼は自分の尻を指しながら、上官に放送禁止用語を叫んだのである。日本の軍隊の処置を想像して、酷い刑罰もやむを得ないと考えた父の恐怖に反して、彼は簡単な注意だけで釈放された。(つづく)

2013-04-19 15:04:17
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【うちの親伝説・GHQ59】すべてが新鮮で衝撃的だった。民主主義。合理性。よく笑い、明るく親切なGIたち。ひどい兵士もいたが、大半の人たちは仲良くしてくれた。特に課長のジョイス大尉は可愛がってくれて、英語を誉めてくれ、ことあるごとに父に仕事を頼んだ。

2013-04-20 12:35:48
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【GHQ60】日系二世の特別捜査官と共に米軍のジープに乗り込み、事故現場へと向かう日々が続いた。連日、様々な容疑者や被害者の通訳にも奔走する。忙しかったが、すべてが勉強だった。毎日、新しい英語のフレーズを覚えた。何者にも代え難い、生きた英語の学校だった。

2013-04-20 12:35:56
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【GHQ61】当時は売春婦も町に多く、父が一番困ったのは彼女らに関する裁判だった。現代ではあり得ないほど真面目でウブな父には、売春婦とGIの話の詳細がさっぱり分からず、その度に横にいる下士官に聞くと、下士官に「そんなことも知らないのか」と笑われた。(つづく)

2013-04-20 12:36:03
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【うちの親伝説・GHQ62】「Come in」だと平易でも「Come on in」と前置詞が二つ被ると、親愛の情がこもった表現になるのを知った。たったひとつのonという単語に「どんどん続けて」という優しい意味がある。父は英語の面白さに日に日に惹かれていくのを感じた。

2013-04-21 15:43:35
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【GHQ63】GIたちもまじめで真摯な父の働きぶりに感銘を受け、いつも笑顔を絶やさない父のことを「スマイリー」と呼ぶようになっていた。父のことをよく表しているように思う。父もそれを気に入っているのか、現在もメアドは「スマイリー」にしている。

2013-04-21 15:43:59
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【GHQ64】そんな父の最大の楽しみは食べ物だった。兵士はMPCという軍票をお金として使っていて、そのMPCを出し合って、コーヒーやスナックをオフィスに用意していた。父はもちろんMPCを持っていなかったが、特別にそのコーヒーを無料で飲むことを許されていた。

2013-04-21 15:44:21
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【GHQ65】朝出勤すると、コーヒーを大きな紙コップに注いで、たっぷりの砂糖とクリームを入れて飲み、英語の新聞を読むのが至福だった。おかわりをすることもあった。日本の新聞では読めない国際的なニュースも、米軍の新聞で読むことができた。世界は本当に広かった。(つづく)

2013-04-21 15:44:45
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【うちの親伝説・GHQ66】午後三時になると、よくポップコーンとコカコーラが出た。父はそれを時々GIからお裾分けしてもらっていた。ポップコーンは塩辛かったが、当時はまだバターの風味が一般的ではなかったので、濃厚なその味にアメリカを感じた。

2013-04-22 12:27:45
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【GHQ67】食べ物の中で一番感動したのはGIから数粒分けてもらったハニーローストのカシューナッツだった。ナッツだけでも十分おいしいのに、それがさらにハチミツで煎ってあった。父は数粒を何回にも分けて味わって食べた。この世のものとは思えない美味しさだった。

2013-04-22 12:28:09
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【GHQ68】しかし、そんな小さなアメリカとの別れの時が迫っていた。夏休みが終わるのだ。父は残念な思いでその事をジョイス大尉に告げると、大尉は「学校はどこか」と聞いた。「三田」だと答えると、大尉は「近いじゃないか」と言って、しばらく考え込んだ。(つづく)

2013-04-22 12:28:46
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【うちの親伝説・GHQ69】「かまわん。学校がある時は授業に行け。勉強は大事だ。授業が終わったらオフィスに帰ってこい」ジョイス大尉は笑って言った。不思議だった。なぜ一介の日本人の自分をそこまで気にかけてくれるのか、分からなかった。

2013-04-23 07:49:05