アカデミック音楽家 vs ストリートミュージシャン 〜リズムについて〜
@yz_xnaga 在野の学者もいるわけだし、アカデミックというのは所属の問題ではなく、態度の問題ではないだろうか?アカデミックな態度とは、研究の成果を人類で共有しようとする態度のこと。
2013-05-13 20:57:20@neralt @yz_xnaga ウチの先生も同じようなこと言ってたかな。言葉を扱えれば作品の質が良くなると誤解する傾向にも釘をさしてたけどね。
2013-05-13 20:56:02@kotaromiyasaka @neralt わたしなんかが関心のある、いわゆる音楽の哲学とか、そういう人たちって、言葉を扱うことに秀でてても、実際に音を鳴らしているところとか聞(聴)いたことないんだよね(たぶん彼らは、この辺を「割り切って」る)。続きます
2013-05-13 21:01:14うーん。。理論家なら社会の役に立つとは思うけれども、基本的に経験論だからね。外から規則を取ってきて、それだけで作曲できるわけではないし;
2013-05-13 21:07:01@yz_xnaga @kotaromiyasaka 私もそんな認識です。だからといってそういう状況に何かを要求するつもりはありません。単に、アカデミックな組織に属しているだけの音楽家にアカデミックな態度を期待していない、という自分のスタンスの表明です。
2013-05-13 23:48:01@kotaromiyasaka @yz_xnaga 言葉や概念を扱えることは、作品の質には関係しませんよね。もちろん。ただ本人がいい作品を作れるだけなら、いい芸術家であったりいい職人であったとしても、いい研究者ではありえない。それは別のことです。
2013-05-13 23:58:14@neralt @yz_xnaga 難しい。方法の開発(を言葉で伝える)のが研究だとも言えるから。理論家だけで進む分野ではないのも事実なのですね。
2013-05-14 06:40:54@kotaromiyasaka だから、繰り返しになりますが、音楽家としてのスキルと言語のスキルが重なり合った部分が音楽の研究家としての能力ということですよね?
2013-05-14 08:31:36@neralt まさにそうだと思います。ジェネレータとして混沌を作り上げる腕と、混沌を芸術だと言いくるめる腕と…o(^▽^)o
2013-05-14 08:34:37@kotaromiyasaka 混沌を芸術だといいくるめる腕が、言葉の技術をさしてるのだとしたら、あなたそもそもアカデミックな態度ないんですよ。
2013-05-14 08:41:49今回も言葉を扱えない音楽家を目の当たりにした。言葉を扱えない理由は主に二つ。言葉のスキルが低い。もしくは、言葉にする内容がそもそもない。大抵の場合は、二つが重なり合う。ないものをあるように振舞うことが、芸術家の資質でしょうか?
2013-05-14 10:06:44@neralt 似たようなコンセプトの作品を出して貰えると分かりやすいのだけれども。哲学ではありきたりなことでも表現になっていないことあるからさ。
2013-05-14 10:28:31言葉のスキルはともかく、「ない」と言われると気になる。「これのことじゃないのか、なら意味が無いんだ」と納得できるような先行例が欲しい。
2013-05-14 10:49:54@kotaromiyasaka ちょっと何を言っているのか分からないですね。何と似たようなコンセプトの作品?何がわかりやすいんですか?主語と述語が明確でないので、意図が全くわからないです。
2013-05-14 11:10:39@neralt ごめんなさい。感情的になってしまって。創出する側の方法が言葉で明示されておらず、受け手が「わけのわからない音楽」に対して応答する方法だけが言葉で明示されている作品を想定しています。伝える態度について相対化できる作品を…
2013-05-14 11:19:02@kotaromiyasaka よくわからないです。しっかりと頭から最後まで、書いてみたらどうですか?何に反論してるのかも示されていないから僕にはわからないし。
2013-05-14 11:23:09@neralt 反論しているわけではないのですが、たとえば混沌を芸術だと言いくるめる自称アーティストが居るとする。それでも言葉になるように、研究になるようにマネジメントしていこうと考えています。
2013-05-14 11:28:18@kotaromiyasaka どうぞ。誰にだって研究する自由があります。ただ単に僕にとっては、あなたの研究を読む価値がないと申し上げているだけです。でも他の誰かにはそうでないかもしれない。それだけです。
2013-05-14 12:51:50