【表現規制】 誰にも批判されない作品を作るためには 【表現の自由】

分かりやすい作品を作れば、理解する人が増えるので批判される機会が増える。 分かりにくい作品を作れば、批判者は減るけど売れないので食えない。 タダで作品をばらまいても、理解する人が増えれば【金出してない人】に批判される。 結論:「真に表現にリミッター掛けずに書きたいものを書いた作品を作ろうと思うなら、食うために書く必要がない身分になったうえで、作品をどこにも発表しないのが最も賢い」 続きを読む
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まずは「表現規制」について(・ω・)

加藤AZUKI @azukiglg

それが描写に必要なのであれば喫煙に限らずあらゆる悪徳描写について制限や排除や、表現者当人以外からの抑止はなされるべきじゃない。例えば、生まれたての赤ん坊の両足をバリバリと引き裂いて陰茎をねじ込むような描写であっても、それが必要であると作者が意図したなら作者以外は諫めるべきではない

2013-08-15 07:46:31
加藤AZUKI @azukiglg

表現規制に対する反対を唱えるなら、エロ・グロ・理不尽・戦争・暴力・暴虐・フィジカルに対する者に駆らない、メンタルに対する破壊的行為の活写も含めて、「どこかの著者がそれを意図して選ぶこと」については許容されるべきかなあ、と思う。それを消費者は「選ばない自由」もあるのだし。

2013-08-15 07:48:15
加藤AZUKI @azukiglg

「選びたくない、見たくもないから、視界に入れないために、制作も創作もさせない」というのは、それはそれで消費者として【自分で選ぶ、または選ばない自由】を放棄しているとも言える。提供者にそれを強いて、消費者が「選ぶ自由」を自ら捨て去るのは愚かなことだと思うし。

2013-08-15 07:49:46
えれこみゅ @elecomu

@azukiglg 極端な例だけど、残酷な拷問・処刑の歴史ってタイトルの本があるとして、具体的な描写がなかったら意味ないですよねえ。

2013-08-15 07:50:46
加藤AZUKI @azukiglg

同じ理由で、僕は別に「差別的発言」も「レイシズム」も「風評発信」も「デマゴーグ」も、好きなだけやりゃあいいし、それをすることそのものは差し止めるべきではないとは思う。「それをやったら、どのような仕返しを受けるのか」までも、行為に対する成果として受け止める覚悟があるんだろうし。

2013-08-15 07:51:21
加藤AZUKI @azukiglg

「言いたいことは自由に言うが、俺の言い分にケチを付けるなど許さない」という傲慢もまた許されるべきではない。期待に添えないことを言うなりなんなりする以上は、文句や批判はされて当然だ。その批判の自由を担保しなければ、そうした批判にさらに「言い返す」自由だって担保されないではないか。

2013-08-15 07:52:27
加藤AZUKI @azukiglg

そういうわけで、あらゆる表現は自由であっていいと思う。それに対する反応を背負う覚悟と込みで。あらゆる批判も自由であっていいと思う。その批判そのものが「表現」であり、その批判に対する再反撃を、批判者は引き受ける覚悟が必要である、ということと込みでね。

2013-08-15 07:53:46
加藤AZUKI @azukiglg

「表現は自由にさせろ、批判は許さない」は変だし、 「表現に対する批判を自由にさせろ、批判に対する反論は許さない」も変なんだよ。 表現も自由、批判も自由、批判に対する再反論も自由。 どこかで「自分以外の誰かの権威や規範に寄り添って、相手を黙らせよう」とした所が、自由の終着点だよ。

2013-08-15 07:55:25

次に表現の自由について(・ω・)

加藤AZUKI @azukiglg

一方で、「そんなことが許されると思ってるのか」的な論調の表現規制も、表現規制批判も、道徳や常識やマナーや空気といった「根拠不確かなもの」を根拠とする自粛要請もなくなりゃしないわけで、要するに我々には表現の自由なんてものは最初から存在しなかったのだなあ、とも思える。

2013-08-15 07:57:31
加藤AZUKI @azukiglg

最初から存在しない表現の自由の中で、如何に気付かれずにやるか、巧妙にやるか、うっかりさせるか、ごまかすか、気付いた人だけがニヤリとするようにやるか。そういうのを専門的に考えるのが、作家・絵描き・漫画描きなどの個人事業レベルの表現者だと思う。あと詐欺師。

2013-08-15 07:59:21
加藤AZUKI @azukiglg

誰かが「それはマズイんじゃないのか」とか「それはダメなんじゃないか」と気付いて批判を始めたら、さっさと手仕舞いして別の「ごまかし方」をまた考える。先人達はそのようにして表現の幅を広げてきたし、また「うるさ型の眼をごまかす」「深く踏み込まない人を目先を逸らす」ことをやってきた。

2013-08-15 08:00:42
加藤AZUKI @azukiglg

手管を変え続けてきた人は生き延びてきたし、「これしかできねえ」という人は息絶えた。結局の所、表現の自由というのは「無限にそれが許される」のが理想ではあるけど、それは現実にはあり得ないから「パルチザンの如く、あの手この手で当局やうるさ型の目を逃れる」って言い換えられる気がする。

2013-08-15 08:02:03
加藤AZUKI @azukiglg

よしもとばななだったかな。「キッチン」における摂食行為(ものを食べる)の描写は、実は性行為の代替描写だったとかって話を聞いたことがある気がする。直接的にそれを描写せずに、別の行為を描写することで、「それ」を臭わせるって奴。それが技法として上手くいったかどうかは別として、

2013-08-15 08:03:37
加藤AZUKI @azukiglg

「臭わす」「促す」「仄めかす」「喩える(比喩と揶揄)」てのをするために、目指すものとまったく違う単語、語彙、概念、例え話を山ほど引っぱってくる必要が生まれる。だから作家は専門外についても吸収し続けないとならないし、それを怠るとあっという間に陳腐化する。

2013-08-15 08:04:57
加藤AZUKI @azukiglg

とはいえ、読者の全てが作家の意図した「仄めかし」を正確に汲み取れるわけじゃない。そこで作者は「分かる奴にだけ分かればいい」「熱心なファンだけが付いてくればいい」と扉を閉ざす。もし、「意図が分かる人にだけ伝える」を優先するなら、それは間違いとはいえない。まあ、本は売れないw

2013-08-15 08:06:05
加藤AZUKI @azukiglg

「誰にでも分かる表現」を心掛け、直接的に描けば、伝わる人の人数は増える。「どう表現しようが俺の自由だ」とやれば、本は売れるかもしれん。だけど、「分かってほしくない人にまで通じてしまう」。そうすると結果的に「こんな表現はけしからん」となる。

2013-08-15 08:07:21

究極の自由な表現とは?

加藤AZUKI @azukiglg

そんなこんなを考えていくと、表現の自由を「堪能できる」のは、不自由かつ万人向けの当たり障りがないもので確固たる地位と経済的基盤を築いた作家が、「万人向けではなく、極論すれば自分のためだけに書いたもの」ということになるような気がする。自分のためだけの文章と言えば、日記。

2013-08-15 08:08:55
加藤AZUKI @azukiglg

ブログやTwitterは「誰かに読ませる」ことを常に意識して書かれてるから、厳密にはこれは日記ではない。鍵が付いていてオンラインに乗らないもの、決して誰にも見せないつもりのもの。そういう形で「究極の読者=自分自身」に向けて描かれたものだけが、真に「表現の自由を堪能できるもの」かも

2013-08-15 08:10:15
加藤AZUKI @azukiglg

ま、そんなわけで「真に表現の自由を貫いたもの」が世に出ることはなく、そんなものはこの先も出てきそうにない、というような気がしてきましたw その意味で、「複製されない」「極めて限定的な読者しか手に入れられない」「決して万人には売れない、受けない」みたいなのが、「本」の最後の砦。

2013-08-15 08:12:26
加藤AZUKI @azukiglg

著者が自家製本したもので、活版印刷はもちろん電子版も存在せず、著者当人のみが保有するたった一冊か、著者から直販された人くらいしか持っていない、みたいな。そういう本になると資産価値も出て来るw

2013-08-15 08:14:23
加藤AZUKI @azukiglg

我々は、「情報は自由に複製できて、タダ同然、湯水の如く共有できる」という認識を広く持ちすぎた。別にグーテンベルクやベルやバーナーズ=リーをdisってるわけじゃあないんだけど(^^;)、表現の自由は「読者の規模の拡大」に反比例して狭まるものなのかもしれないなー、という気はしてる。

2013-08-15 08:16:07
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