映像・コミュニティ・アーカイブ——『懐かしさは未来とともにやってくる』刊行記念トーク・イヴェント
いわゆるホームムービー的なもの。堺?の人が撮影した地元の運動会の映像。もともと共闘と遊戯の側面が運動会があった。日本に輸入されるなかで遊戯的な側面がバナキュラー化していく。当初の海軍的、規律訓練的なものからのズレ。土着化。
2013-11-04 19:28:46マスゲーム的なものとお祭り的なものの共存。1930年代の映像です。アーカイブを横断的に見ることで、そうしたものが見えてくる。
2013-11-04 19:29:55次の映像。大阪大正区の運動会の映像。総合運動会?ものすごくたくさんの人がいます。サブタイトルがつけられなど、かなり周到に編集さらてます。綱引きの綱の引き方が変。手ブレもなくうまい。
2013-11-04 19:34:28次は愛媛県の宇和島市。高畠華宵の高畠家から出て来た運動会映像。おそらく高畠家に誰かが預けたもの。編集がきっちりされてる。行進とダンスの映像。野球ダンスってなんやねん(笑)
2013-11-04 19:36:48こうして戦前運動会映像のまとまりを複数の映像アーカイブから抽出することができる。ちなみに、新潟の運動会では仮装行列が多いらしい。原田さんより。
2013-11-04 19:38:27小さなアーカイブの中から大きなアーカイブの目を抽出する必要性。また、パテベビーは、当時全国的な撮り手のコミュニティを形成していた。パテベビーは単なる映像でもカメラでもなく。撮る人撮られる人見る人がつながりあう有機的な関係性システムだった。
2013-11-04 19:40:49こうした映像アーカイブを前提とした社会デザインを構想する必要性を主張されて水島さんの報告は終わり。今から休憩です。
2013-11-04 19:42:23前川さんからのコメントです。バナキュラー写真の話。記録写真と芸術写真の間の群れ。セクーラが言うシャドーアーカイブ。
2013-11-04 19:51:25お二人の報告を聞いて。コミュニティとは、一枚岩的なものではなく、多数性、重層性がおりたたまれたもの。そこに映像メディアが関わっている。コミュナルな映像の在り方。
2013-11-04 19:53:46撮り手と取られる側との有機的な関係がどのように映像にあらわれているのか。それがどなようなサイズで上映されていたのか。こうした映像をめぐる身体性についてもっと聞きたい。
2013-11-04 19:56:27映像のインデックス性と、そのアーカイブのインデックスとの関わり合いについて。後者によって、これまでとは違う映像の見方とは異なる観点を提出できるのか?
2013-11-04 19:58:10最後の質問。写真におけるアルバムの多くは女性がになっていた。そうしたジェンダー的な問題を掘り下げて見たい。コレクションを収集•保存するのは男性という何と無くの共有がある。例えば撮り鉄とか。
2013-11-04 20:00:10原田さん。近代に入ると映像でものごとを、かんがえることが常識化している。けれども、映像の密度が当時と現在とでは変わっている可能性がある。湿板写真を初めて見た人の驚きをどう考えるのか。小さな湿板写真を今の僕たちはつい見にくいという理由で拡大してしまう。
2013-11-04 20:02:45水島さん。デジタル化によってものをものとして残しながらアーカイブ化することができる。原田さん。複数的な映像の重なりあい現在経験しているがそれをなかなか意識化することができない。
2013-11-04 20:08:04水島さん。映像メディアを取り巻く感覚の歴史を言説化することの困難さ。パテベビーは、映画の家庭への導入という側面があった。その経験の差異。既存のメディアとの際のうちに新たなメディアは経験される。手回しの映写機。
2013-11-04 20:10:11水島さん。インデックスによるコード化の問題。インデックスの目的をどうかんがてればよいか。映像は写真と違って言語化し難い。網羅的なインデキシングのコードは不可能。目的がらそのコードを決定する。それは事後的な発見を阻害しかねないが、それは未来の人間が改めて行うしかない。
2013-11-04 20:13:02水島さん。とりあえず、一つのテーマで串刺ししておき。それを未来にたくすしかない。原田さん。重要なのは、言葉で残そうとするから問題が生じる。むしろ言葉が出てくるまでのプロセスこそが重要。検索の容易さなどの実技的な側面だけで思考してはいけない。
2013-11-04 20:16:24水島さん。パテベビーを見てると確かにジェンダー的な偏りがある。けれども、それを既存の権力関係、あるいは今日的な権力関係の、枠組みに、回収してしまってはいけない。
2013-11-04 20:19:08