松平定信-その功罪を、あらためて考える

松平定信といえば教科書的には「寛政の改革を行った人物」として知られますが、実は学問・文学・ジャーナリズムにまたがる、大衆的歴史談義では「屈指の名君」「江戸時代のポル・ポト」と、評価が真っ二つに分かれる人物でもあります。その前任者、田沼意次が「賄賂政治家」「開明的近代の先駆者」と、定信の評価と得てして対照的に、こちらも議論が分かれるように・・・そんなツイートを、突発的にまとました。 論者の一人「まとめ管理人」さんは 『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』http://iiwarui.blog90.fc2.com/の運営者であることが名前の由来。
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まとめ管理人 @1059kanri

@ut_ken 可能なことなら意次じゃなくても誰かやってるよ、という話ですものね。田沼意次を称揚する向きからは一首の英雄史観を感じちゃいます

2016-03-21 22:10:08

2016年4月

ut_ken @ut_ken

何度か書いてるネタですけど、松代定信への「商業抑制のだけのダメ政治家」という単純な決めつけは、田沼意次の「商業振興したものすごく優れた政治家」という逆方向の単純な賞賛と隣り合わせ。実際には田沼時代も問題が多く、幕府の収益増加最優先の商業振興で地道な民政をないがしろにしてた。

2016-04-23 10:33:06
ut_ken @ut_ken

ある程度資産があってなにかしようという商人や地主、学者、作家などには非常にチャンスが多い方針ではあったが、士農工商それぞれのそこまでの資産が無い階層の生活への対処は手薄すかった。また事業を起こしやすい反面、賄賂の横行のみならず、ズサンな企画が通っては失敗することも多かった

2016-04-23 10:37:54
ut_ken @ut_ken

また、「直接の年貢を増やすのをあきらめて、商業から収入を得ようとした」とよく言われますけど、別に農村の負担が軽くなったわけでなくて、農村でも各種事業を起こさせてそこからさまざまな冥加金を取り立てることに力を入れていた。

2016-04-23 10:40:11
ut_ken @ut_ken

あと、田沼への過大評価でよく言われる「田沼は失脚しなければ北海道開拓やロシア交易などの先進的な政策を実行していた」ですけど、実際には献策の妥当性を現地調査した結果、田沼自身が却下している。別に田沼が後進的とかでなく、その献策が莫大な利益の甘すぎる見積もりとか幕府単独での開拓

2016-04-23 10:51:41
ut_ken @ut_ken

などかなり無理のある代物だったため。また「田沼は開国を考えていた(「風雲児たち」田沼編冒頭でもそういうふうに描いていた)」というのも、まずない。開国の定義にもよるが、ロシアとの交易をするだけで管理貿易・入出港制限を続けるなら、交易相手を一つ増やすだけで開国でもなんでもでもない。

2016-04-23 10:53:51
ut_ken @ut_ken

開国した場合の問題は幕末で散々展開されている。また「田沼方針が続いていれば、もっと早く近代国家が」とも俗流過大評価で言われてるが、田沼は別に徳川体制を解体して新体制を作ろうとしてたわけではない。あくまで財政関係を中心としての徳川体制の強化をはかってただけ。

2016-04-23 10:57:58
ut_ken @ut_ken

松平定信の方針は「商業の抑制」とするのは的外れで、「商業コントロールの主導権を幕府に取り戻すこと」。

2016-04-23 11:01:56
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