地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病
(構造的限界と病E5)これは、ホワイトキューブから飛び出した空間をファインアート的に志向している、という点で、ある種の日本的アースワーク、とも言える側面がある。
2010-10-20 10:37:12(構造的限界と病E6)しかし、このファインアートを目的とした地域系アートプロジェクトを開催することは、簡単なことではない。「アートを使って」、つまり街おこし的な道具として直接的に使ってしまっては、アートは破綻し、街おこしも破綻する。
2010-10-20 10:37:49(構造的限界と病E7)人集めを目指していた主催者側は、こんなはずではなかった、と思い、来年度の中止を言い渡すだろう。そして、プロジェクトに駆り出された作家は、作品の撤去を求められ、こんはなずではなかった、とぼやくだろう。
2010-10-20 10:38:35(構造的限界と病E8)ここから第二の問題が発生する。アートプロジェクトの事後処理である。商店街などは美術館ではない為、作品の管理ができない。その結果、作品は作家が引き取ることになる。
2010-10-20 10:39:03(構造的限界と病E10)しかし、インスタレーション型の作品を作家が引き取ることは困難であり、おそらく廃棄されることになる。つまり、作品は何も残らず、アートヒストリーも蓄積されない、という状況が、「もの派」の変奏曲として再演される。
2010-10-20 10:39:39(構造的限界と病E11)アートは歴史の蓄積の中で価値を持ってきていたが、アートの「目的なき合目的性」を忘れた時点で、その構造を支えるファンダメンタル・バリューが崩れ、全てのインフラがメルトダウンしてしまう。
2010-10-20 10:40:11(構造的限界と病E12)最近、アートプロジェクトに合わせて美術館を解放せよ!と主張する市民がいるそうだが、近代美術館そのものの成り立ちを全く理解していない。これは、市民が「国会を市民に開放せよ!」と言っているのと同じロジックであり、間接民主主義の構造を理解できていない。
2010-10-20 10:42:16(構造的限界と病E13)近代美術館はルーブルから始まったが、王族の所有していた作品を市民のものとし、また全ての市民に、そこで展示をする機会が挑戦権として平等に与えられる(=ニアイコール間接民主主義)、という文化統治機関として始まっている。
2010-10-20 10:43:11(構造的限界と病E14)市民に美術館を解放したら、それこそ全ての文化統治がマヒしてしまう。地域系アートプロジェクトが抱える危うさが、ここに端的に伺える。
2010-10-20 10:43:35(構造的限界と病F1)アートは金銭的なバックアップが無い限り、続けて行くことができない。それは、マーケットで作品販売をしながら制作を続けるか、美術館との仕事や助成金を獲得するなど、非営利的な側面から金銭を受け取って活動するか、の二つに大別されるだろう。
2010-10-21 10:53:49(構造的限界と病F2)しかし、私はこの非営利的な助成の在り方に不安を覚えている。街おこし的なアートプロジェクトが全盛期を迎える中で、本来のホワイトキューブ志向の展示や作品はあまり評価されず、街おこし的な文化事業にしか助成金が行かなくなる、という事態が発生している。
2010-10-21 10:54:15(構造的限界と病F3)私はインディペンデント・キュレーターとして、財団のスポンサードを得て展示を作って来たが、ホワイトキューブ系の展示にはたった数十万円程度の支援しか発生しないにも関わらず、地域系アートプロジェクトに数百万円の助成金が支払われているのを、歯がゆく思っていた。
2010-10-21 10:54:41(構造的限界と病F4)公金がこれらのアートプロジェクトへと助成する論拠として持ち出されるものの一つに、イギリスのアートカウンシルが持ち出す論拠がある。例えば、青少年向けのダンスプログラムを例にとってみよう。
2010-10-21 10:55:04(構造的限界と病F5)仮にイギリスのスラム地域Aにて、青少年向けダンスプログラムを開催した結果、開催後1年間で青少年犯罪が100件から50件へと減少したケースがあるとする。
2010-10-21 10:55:28(構造的限界と病F6)すると、コンサルタント側は、ダンスプログラムを導入することで、この地域コミュニティは1件の犯罪により生じるデメリット(警官の労働や損失など)10万円を回避することに繋がった、と主張する。
2010-10-21 10:55:52(構造的限界と病F7)50件の犯罪の減少は、500万円に相当するから、このプログラムをケースとして、似たような場所で似たプログラムを開催するグループは、行政から500万円の助成金を頂く価値がある、というロジックである。
2010-10-21 10:56:18(構造的限界と病F8)そして行政は、市民から文化行政に関するアカウンタビリティ(説明責任)を求められる為、この説明が妥当と判断すれば、公金から助成を与える。しかしこれが常態化すると、直接的メリットを生みだし難いファインアートへの助成はますます減少する。
2010-10-21 10:56:50(構造的限界と病F9)確かに、ダンスプログラムを通じて犯罪率が減少したことは、社会にとって有益なこではある。しかし、これを論拠としてしまっては、社会にとってただ単に直接的有益をもたらすもののみ、アートとしての価値が認められ、金銭的にサポートされることになる。
2010-10-21 10:57:34(構造的限界と病F10)イギリスのアートカウンシル制度は、未来における地域社会に実際に役に立つもの、という方法として、アートのデリバティブ化(金融派生商品化)を促す。そしてイギリスは、そのモデルを海外へと輸出して、コンサルタントとして日本などにビジネス展開する。
2010-10-21 10:58:15(構造的限界と病F11)この論拠が地域振興と一体化すると、ファインアートにはますます助成が行かなくなる。結果、文化の発展・育成を育てることを目標とした助成が、ファインアートの育成を妨げ、アーティストが、地域振興やダンスプログラムに駆り出される、という本末転倒な事態が発生する。
2010-10-21 10:58:58(構造的限界と病F12)ベニス・ビエンナーレに選出されたにも関わらず、国や財団から十分な助成を得ることができず借金を背負ってしまう、通称「ベニス貧乏」のアーティストがさらに増加しかねない。地域振興での活躍とベニスビエンナーレでの活躍、文化的にどちらが重要かは目に見えている。
2010-10-21 11:00:01(構造的限界と病F13)アートヒストリーを見ても分かる通り、カラヴァッジョやクールベ、ゴッホ、藤田などを筆頭に、アーティストで地域社会の活性化に役に立ったひとなど、ほとんどいない。もしもアートのデリバティブ化を促すのであれば、ロングランの効用についても述べるべきだ。
2010-10-21 11:00:33(構造的限界と病F14)メディチ家のルネサンスへのパトロネージや、ルートヴィヒ2世によるワーグナーへのパトロネージは、ロングランで見れは絶対にペイしているはずだ。もしもアートのデリバティブ化を促すのであれば、カウンシル制度は、この点についても責任を持って行動すべきである。
2010-10-21 11:01:27