地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病

インディペンデント・キュレーター渡辺真也氏の連続ツイートをまとめ(長文) 参考 http://blog.goo.ne.jp/spikyartshinya     http://www.spikyart.org/anotherexpo/shinyaresumej.htm 関連 Togetter - 「地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病 番外編 ドメスティックな文脈」 http://togetter.com/li/65420
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Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

連続ツイート「地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病①」

2010-10-16 10:34:41
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病1)以前、ローリー・アンダーソンから、自作の英文詩を日本語へと翻訳することを、彼女のアシスタント経由で依頼されたことがある。私の尊敬するアーティストからの依頼、ということもあり、私は二つ返事で了解すると、全力で取り組ませて頂いた。

2010-10-16 10:35:48
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病2)その後、日本語へと翻訳した詩を、ローリーに直接納品した際、彼女にこう言われて驚いたのだった。 「How about my Haiku?」 そう、彼女は散文詩ではなく、俳句を書いたつもりであり、その翻訳を私に依頼したのであった。

2010-10-16 10:36:40
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病3)その後、話を進めて行く中で、彼女は、言語表現における意味について大変造詣が深いことが分かり、芭蕉が俳句の中で捉えている、ものごとにおける「こと」性についても良く理解していることが理解できた。

2010-10-16 10:38:05
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病4)そこで私は、英文詩を単に日本語に翻訳しても、それは俳句にならないことを伝えた。俳句には、5・7・5のルールがあり、季語や枕詞が無くてはならず、季語が無いものは川柳と呼ばれることや、また5・7・5のルールに則らなくては、ただの詩になってしまう、と説明した。

2010-10-16 10:39:07
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病5)すると彼女は、では、その5・7・5のルールを教えてくれ、あなたが翻訳した文章が俳句になる様に英語原文を書いてみる、となった。しかし日本語の音節の5・7・5のルールを彼女に短時間で教えることは、決して簡単なことではなかった。

2010-10-16 10:39:32
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病6)私が丁寧に説明しているうちにそれを分かって頂けたのか、ローリーはこの翻訳された詩を、俳句ではなく詩として受け入れて下さった。言語や文化が違う人たちにルールを教えることは難しい、そんなことを、あいちトリエンナーレの長者町会場での展示を見ていたら、思い出した。

2010-10-16 10:41:29
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病7)アートプロジェクトの最大の構造的限界は、アートをアートたらしてめている「概念」的思考を習得できていない、という点にある。つまり、アートと呼ばれる制度の中の5・7・5や季語、枕詞に相当する概念を、正確に理解できていないまま、表現言語を作ろうとしているのである。

2010-10-16 10:45:15
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病② へとつづく・・・

2010-10-16 10:45:41
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

連続ツイート「地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病 その2」

2010-10-17 11:22:50
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病2-1)ヨーロッパの現代美術はマルセル・デュシャンから生まれたと言って過言ではないが、そこには、「概念」が圧倒的な存在感を持っている。そしてその概念の最も重要なものと言える「存在」や「主体」という言葉は、ヨーロッパ近代において現在の形となっている。

2010-10-17 11:23:40
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病2-1)考える自己は存在している、というデカルトのコギトは、宗教改革の時代に、反宗教改革を目指すローマ・カトリックの側から提出されている。そこには、三位一体というフィクションをいかに延命するか、というミッションが感じられる。

2010-10-17 11:24:04
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病2-3)明治維新前後の日本は、西洋文化を取り入れる為、これらの概念を英語やフランス語から対訳・造語した。そこから「民主」「人民」「社会」「主義」「共和」「進歩」、そして「芸術」「美術」などの言葉が生まれ、日本語へと取り入れられた。

2010-10-17 11:24:42
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病2-4)例えば、「進歩」という概念は、キリスト教敵な直線的歴史観、そしてユークリッド幾何学なしで理解することは不可能である。翻って、「芸術」「美術」という翻訳概念も、「存在」や「主体」という概念なしで理解することは不可能である。

2010-10-17 11:25:20
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病2-5)「存在」や「主体」という概念が生まれ、アーティストがそこへとアプローチしたからこそ、プロテスタント国家として独立したオランダにて自画像が生まれたのである。翻訳をした当事者の時代、つまり明治期には、それを正確に捉えよう、という姿勢があったと思う。

2010-10-17 11:26:19
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病2-6)ヨーロッパ近代の中で生まれ、明治期に輸入された多くの「概念」は当初は上手く機能しているかの様に思えたが、現在の日本では、それが少しずつメルトダウンしている。最大の理由は、日本にキリスト教的なバックグラウンドが無いからだと私は考える。

2010-10-17 11:26:49
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病2-7)しかし、これらの多くの「概念」は、キリスト教世界の中で便宜的に生まれてきた背景があり、フィクションの拡大再生産という性格がある為、全面的に信用することはできないが、金融を始めとする世界のルールの多くはそこで動いてしまっている。

2010-10-17 11:27:40
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病2-8)誤解を恐れずに言うと、この延命措置、つまり考える自己を中心に据えた近代思想の延長線上で動いたのが、ハイデガーやデリダであり、それを乗り越えようとした日本人が大森荘蔵や井筒俊彦、廣松渉たちであった。

2010-10-17 11:28:07
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病2-9)話がそれかけたが、「芸術」「美術」というものがヨーロッパの近代の中から生まれたものであり、そのルールの中でゲームをプレイしない限り、それをアートとして認めることは困難である。現在のいわゆる日本型アートプロジェクトは、こういった概念的思考ができていない。

2010-10-17 11:29:29
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

「地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病 その3」へとつづく・・・

2010-10-17 11:29:50
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病 その3

2010-10-18 10:46:22
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病C1)アートの表現では、この「概念」を用いて、遠くにいる人へとメッセージを届けることができる。アートは、目の前にいる「あなた」とのコミュニケーションではない。遠くにいる「誰か」とメタレベルにてコミュニケーション可能な、いわばトランスミッションである。

2010-10-18 10:46:57
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病C2)そのメタレベルでの表現を理解するには、トランスミッターとレシーバー双方における概念というメタ言語の共有が必要となる。しかし、いわゆるアートプロジェクトではこの概念が正確に理解、共有されておらず、故に概念を用いた作品が少なく、あったとしても評価され難い。

2010-10-18 10:47:52
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病C3)存在しないもの、いわばフィクションをお互い想定することにより、トランスミッションによる遙か遠くへのコミュニケーションが成功した例として、私はアリストテレスの言葉「おお友よ、一人も友が居ない」を挙げてみたい。

2010-10-18 10:48:53
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病C4)この言葉「おお友よ、一人も友が居ない」は普通に理解すれば、んん?このおっさん、何言ってるんだ?となってしまうが、これを読んだ多くの詩人や哲学者、そしてアーティストたちは、アリストテレスのメタメッセージを、こう理解する。

2010-10-18 10:49:51
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