地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病

インディペンデント・キュレーター渡辺真也氏の連続ツイートをまとめ(長文) 参考 http://blog.goo.ne.jp/spikyartshinya     http://www.spikyart.org/anotherexpo/shinyaresumej.htm 関連 Togetter - 「地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病 番外編 ドメスティックな文脈」 http://togetter.com/li/65420
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Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病C5)「おお友よ、一人も友が居ない」・・・そうか、私は、友を見つけることができなかったアリストテレスにとって、まだ見ぬ友となることができた。つまり、このメッセージは、アリストテレスがまだ見ぬ友に向かって、そして奇跡について話しかけているのだ、と。

2010-10-18 10:50:27
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病C6)この理解ができたのは、レシーバー側に、アリストテレスの考える時間概念を考える素養があったからである。その結果、2000年の時を超えて、このトランスミッションと呼べるメッセージは、世界中のアリストテレスのまだ見ぬ友に、奇跡として届き続ける。

2010-10-18 10:50:57
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病C7)しかし、長者町での会場では、参加アーティストが、目の前にいる観客とダイレクトにコミュニケーションする様な作品を制作しており、故にメタフィシカルなトランスミッションが成立せず、地域、さらにネーション内部にて自己完結してしまっている。

2010-10-18 10:51:44
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病C8)最大の原因は、美術教育にてこういった概念を教えることに失敗してしまっているからである。日本にバウハウス的な流れがあれば良かったのだが、どちらかと言うとエコール・ド・パリ的な感覚が勝ってしまい、こうした概念を体系化することができなかった。

2010-10-18 10:52:36
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病C9)アートは、世界で最もグローバル化した産業のひとつである。そこにはサッカーの様にグローバル化したルール、すなわちアートヒストリーと概念が成立しているのだが、何故か日本のサッカーだけ、手を使っても良い、というローカルルールが成立してしまっているである。

2010-10-18 10:53:50
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病 その4 へと続く・・・

2010-10-18 10:54:25
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

連続ツイート「地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病 その4」

2010-10-19 10:56:48
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病D1)アートのルールを規定しているのが、アートヒストリーや、作品における概念的要素、すなわち作品がもたらすコンテクストの変容である。しかし、いわゆるアートプロジェクトは、村おこし的な要素が主眼となっており、アートのルールが根本から消滅している。

2010-10-19 10:57:19
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病D2)村おこしを目的とするのでなく、アートが目的となり、それが結果として人を集める、という構図であれば健全である。その好例は、Donald Juddが移り住むことで拡大した街、テキサスのMarfaや、彫刻プロジェクトで有名なドイツのミュンスターではないか。

2010-10-19 10:58:06
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病D3)ミュンスターの彫刻プロジェクトは、ランドアートを生んだアメリカに彫刻のヘゲモニーを握られるのではないか、と危機感を持ったヨーロッパが、アメリカに対する対抗する意図で作りだしたと言う。つまり、ここではまだ、ファインアートが目的となっている。

2010-10-19 11:00:04
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病D4)アートは、村おこしの道具ではない。アート活動を展開する中で、それが結果的に人を集めることは素晴らしいと思う。しかし、「アートを使って」と述べる発話者は、自身の言葉が文法的に既に破たんしていることを自覚すべきである。

2010-10-19 11:00:31
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病D5)カントは「判断力批判」にて、Schöne Kunst、すなわちファインアートの定義を、アートのためのアート、とトートロジカルに規定している。つまりファインアートの成立には、他のいかなる目的をも考慮してはならない「目的なき合目的性」が求められる。

2010-10-19 11:00:58
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病D6)カントの言う合目的とは、概念(=目的)に従うことによって可能になる。それに則ると、アートは概念、すなわち目的である為、道具、すなわち手段となることはできず、故に「アートを使って」と述べることは文法的に破たんしていることになる。

2010-10-19 11:01:28
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病D7)文法的に破たんした文章、例えば野球部の先輩が後輩に言う「カラスは白い」や、上司が部下へと「俺の命令を聞くな」と命令した場合、すなわち社会的関係性から論理的破綻が上部から下部に発せられた場合、末端の人たちは、それに従うしかない。

2010-10-19 11:01:54
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病D8)すると、社会の底辺にいる人たちは、この破綻に自らを合わせるべく、「命令を聞く」自己と、「命令を聞かない」自己の二つを、自身の中に生みだす。それを使い分け、分裂症的な症状を生み出すことによって自己解決す、という構図は、年功序列と一緒に温存される。

2010-10-19 11:03:58
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病D9)株価のインサイダー取引の情報をちらつかせながら企業の役員へと天下るヤメ検や、パチンコ屋と癒着して、後輩に口利きをさせることを条件に、パチンコ屋へとに天下る警察官の様な、ローカルな天下りの構造と同じ日本的病が、ここに生まれる。

2010-10-19 11:04:28
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病D10)街おこしはアートの目的ではない。街おこしをしたいのであれば、明治以降続いてきた、東京への中央集権をやめて地方自治を優先する政治的判断を国民が取るべきであり、アートとは何の関係もない。これは政治の失敗であり、民主主義の危機でもある。

2010-10-19 11:05:25
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病D11)日本のアート界は狭い。仮にアートプロジェクト的なものに批判的である人がいたとしても、既得権益のおこぼれを狙っている人が大多数なので、アートプロジェクト的なるものに批判的な発言をすることが難しくなって来ている。

2010-10-19 11:06:27
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病D12)とはいえ、文法的に破たんしたアートプロジェクト的なるものに構築的批判を加えなくては、日本のアートを支える基盤が根底からメルトダウンしてしまうのではないか、というのが私の抱える危惧である。

2010-10-19 11:07:11
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

「地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病 その5」へと続く・・・

2010-10-19 11:07:50
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

連続ツイート「地域系アートプロジェクトの構造的限界と日本美術界の病 その5」

2010-10-20 10:33:26
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病E1)アートで街おこし、が常態化して行く中で何が起こるか。それは、アートで街おこしをしようとしても、 1. 数年もすれば飽きられてしまい、アートで人集めができなくなる。 2. プロジェクト終了後の事後処理が極めて困難 ということである。

2010-10-20 10:34:20
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病E2)瀬戸内海の直島のプロジェクトが成功しているのは、究極的にはファインアートが目的となり、それが結果として人を集める、という構図を堅持しているからである。

2010-10-20 10:35:09
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病E3)1998年に出来た宮島達男氏の「角屋」に代表される初期の家プロジェクトには、ホワイトキューブ空間ではなく、古民家とどう向かい合って作品を展示するか、というファインアート的な志向があった。

2010-10-20 10:35:54
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(構造的限界と病E4)「角屋」にて、宮島氏は築200年の家屋にベニス・ビエンナーレ出品作の直島バージョンを展示しているが、建物の修復修には、高松市のイサム・ノグチアトリエの修復を手がけた建築家・山本忠司が当たっている。

2010-10-20 10:36:30
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